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大枠の見当 - 一朴洞日記
柄にもなく、分不相応に巨きなことを考えた時期があった。 『悲劇の死』が日本の文学や芸術に及ぼした影... 柄にもなく、分不相応に巨きなことを考えた時期があった。 『悲劇の死』が日本の文学や芸術に及ぼした影響は小さくなかったと思う。一九七〇年ころだったとの記憶なのだが、ジョージ・スタイナーというのが重要かつ面白いのだと、原文で読解できる気鋭の論客たちが云い始めた。私は山崎正和や山口昌男の文章によって知ったと思う。 フランス育ちのユダヤ人で、ナチスによる迫害を逃れてアメリカへ亡命した人だという。学位はオックスフォードで取ったらしい。大学に勤めてはいるけれども、学者というよりは文筆家だそうだ。『悲劇の死』の日本語訳はまだ刊行されてなかった。なん年か後に翻訳刊行されたのを読んで、なるほどと思った。山崎正和の文章に要約紹介されていたとおりの意味合いの一書だと思えた。 造物主の観念から逃れることで(つまり神を殺すことで)ヒトは人間になった。個人の自由を獲得した。同時に、なにものからも護られてない素裸の自我