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新疆の考古学者、漢と匈奴の激戦の地「疏勒城」を特定 | 新華社通信
疏勒城西北角にある望楼と城壁の遺構。(2017年6月22日撮影、ウルムチ=新華社配信) 【新華社ウルムチ5... 疏勒城西北角にある望楼と城壁の遺構。(2017年6月22日撮影、ウルムチ=新華社配信) 【新華社ウルムチ5月13日】中国新疆ウイグル自治区文物考古研究所は、6年にわたる発掘調査を経て、同自治区奇台県にある石城子遺跡が後漢時代の武将、耿恭(こう・きょう)が駐屯した「疏勒(そろく)城」の跡だと特定した。後漢の将兵は当時、この場所で匈奴と激戦を繰り広げ、耿恭ら歴史に名だたる英雄を輩出した。考古学研究者の努力により、この血で血を洗う戦いを経たシルクロードの要衝は、再び人々の前に姿を現した。 新疆ウイグル自治区奇台県の石城子遺跡から出土した板瓦と筒瓦、瓦当の組み合わせ。(4月14日撮影、ウルムチ=新華社配信) 考古研究者らの調査で、疏勒城が山麓の突き出た先端部分に山や川を巧みに利用して構築されていたことが分かった。城は北側と西側に城壁を設け、東と南は深い谷を天然の要害としており、厳しい地形がこの城を
2020/05/14 リンク