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(第1回)私にとっての教養
現代日本人に教養は必要なのか--社会思想研究家の稲葉振一郎氏と翻訳家・評論家の山形浩生氏が、さまざ... 現代日本人に教養は必要なのか--社会思想研究家の稲葉振一郎氏と翻訳家・評論家の山形浩生氏が、さまざまな切り口から「教養」を語る。 稲葉 まずは、自分にとっての教養とは何かということからお話ししたいと思います。僕にとって教養とは「自分には欠けているもの」という思いがあります。自分があまりお育ちが良いという気はしてなくて、アッパーミドルというよりはロウアーミドルくらいの出自で、育った家庭が文化的に豊かだったという憶えもありません。だから、戦後啓蒙を代表していたような人たちに対しては、ある種の羨望感を持っていました。教養とは自分にとっては欠如しているもので、欠如しているがゆえにそのありがたみを幻影のように欲してしまう。まず原点として、自分にとっての教養とは、そういうものだと。 似たような思いは、大学闘争世代に属するような僕の先輩の一部の学者たちも、じつは共有しているんですね。大塚久雄のような自分
2015/01/06 リンク