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浜松オートバイ列伝2「ライラックの軌跡」
ものづくりの街浜松は、太平洋戦争終了後オートバイ製造が急速に発展し、多くのオートバイメーカーが設... ものづくりの街浜松は、太平洋戦争終了後オートバイ製造が急速に発展し、多くのオートバイメーカーが設立、やがて短期間の間に姿を消していきました。 戦前に本田宗一郎が経営していた「アート商会浜松支店」で働いていた伊藤正は、独立して、戦後二輪車製造の研究を開始しました。伊藤は、社名を「丸正自動車製造」とし、本田宗一郎の本田技研と異なる構造のオートバイ製造を念頭に置き、チェーンの無いシャフトドライブのオートバイを開発しました。 昭和26年(1951年)には、本格的にライラックMLやLBの生産を開始し、昭和30年(1955年)に第1回浅間高原レースに優勝して、ライラックの名声を高めましたが、昭和42年(1967年)には会社が倒産し、ライラックは製造されなくなりました。 今回の展示では、オートバイ産業が熾烈を極める中で、伊藤正が立ち上げ、独特なオートバイ製造で人気を集め、そして終止符を打った丸正自動車製
2015/08/27 リンク