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『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <8> 松山バレエ団
海外からの誘いを断ったのが大正解というのは、根無し草のように契約していたら、とっくに踊っていない... 海外からの誘いを断ったのが大正解というのは、根無し草のように契約していたら、とっくに踊っていないと思うから。40歳を過ぎると、だいたい次の人に主役を譲らないといけなくなる。海外に行っていたら、今のように踊り続けていられたかどうか分かりません。 1970年、「白毛女」を見たのが転機となる。松山樹子(みきこ)さんと夫の故清水正夫さんが創立した松山バレエ団の公演だった 松山先生が舞台に登場した途端、鳥肌が立ちました。海外で見たようなゴージャスな会場ではないし、オーケストラもない。けれど、欧米を見て回っても、ぴんとくるものがなかった私は「うわっ、これだ」と感じました。 そのころ橘秋子先生が病気になられ、私はほかの人に教えることが多くなっていた。もっと勉強したい。これから先、何とかしなきゃという思いが強かった。松山先生の踊りに出合い、教わりたいと思ったんです。先生にお願いに行きましたが、断られました
2021/05/23 リンク