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『鉄砲洲稲荷橋湊神社』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第73回
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『鉄砲洲稲荷橋湊神社』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第73回
歌川広重『名所江戸百景』では第77景となる「鉄砲洲稲荷橋湊神社(てっぽうずいなりばし みなとじんじゃ... 歌川広重『名所江戸百景』では第77景となる「鉄砲洲稲荷橋湊神社(てっぽうずいなりばし みなとじんじゃ)」。「下りもの」の廻船(かいせん)でにぎわう江戸湊を、富士山と共に描いた一枚である。 新酒の到来に沸いた江戸湾の玄関口 江戸の町における海の玄関口「江戸湊」は、日本橋川の支流・亀島川(越前掘)の河口付近にあった。現在の亀島川は隅田川に合流するが、江戸時代には、この辺りまで江戸湾だった。 亀島川河口の西側は江戸時代初期には砂州で、埋め立てられた後も本湊町(現・中央区湊1~3丁目)から南の明石町辺りまでを「鉄砲洲」と呼んだ。河口東側の霊岸島(現・中央区新川1~2丁目)には、幕府の船手頭・向井将監(しょうげん)の船手組屋敷があり、諸国から江戸へ入る船は古くはこの場所であらためを受けたため、江戸湊が発展したようだ。千石船と呼ばれる大型船の荷は、小ぶりな平舟に載せ替えた後、亀島川や八丁堀(桜川)を経