サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
掃除・片付け
www.nippon.com
進化と深化が止まらない!女性オタクの聖地―2023年、池袋「乙女ロード」の歩き方 文化 漫画 アニメ 旅と暮らし 社会 2023.07.28 男性オタクの聖地が「アキバ(秋葉原)」なら、女性オタクの聖地は「ブクロ(池袋)」にあり。コミック、アニメ、ゲームの専門店が200メートルにわたって軒を連ねる「乙女ロード」には、BL(ボーイズラブ)や乙女ゲーム、コスプレを愛してやまない女子たちが集う。ランドマークたる「アニメイト池袋本店」は2023年3月に売り場を2倍に拡張する大型リニューアルを実施し、約10万点もの漫画やグッズでオタクたちを熱烈に迎え入れている。よりディープに進化し続ける池袋、その姿が映すオタク女子の「今」とは――。 世界最大級、9階建ての「超オタクビル」 キャリーケースを転がしながら、女子たちが真っすぐに歩いていく。2023年6月、日曜日の昼下がり。池袋駅の東口を出た彼女らは、皆一
小林 明KOBAYASHI Akira 1964年、東京都生まれ。スイングジャーナル社、KKベストセラーズなど出版社での編集者を経て、2011年に独立。現在は編集プロダクション、株式会社ディラナダチ代表として、旅行・歴史関連の雑誌や冊子編集、原稿執筆を担当中。主な担当刊行物に廣済堂ベストムックシリーズ(廣済堂出版)、サライ・ムック『サライの江戸』(小学館)、『歴史人』(ABCアーク)、『歴史道』(朝日新聞出版)など。 87 2024.05.10
1909(明治42)年に山手線と命名されて以来、「首都の大動脈」として東京の発展を支えてきた鉄道路線には、現在30の駅がある。それぞれの駅名の由来をたどると、知られざる歴史の宝庫だった。第6回は、駅を建てたことによって、農村が東京有数の商業地へと変貌した「池袋」の物語だ。タイトルの(JY13)はJR東日本の駅ナンバーである。 駅創業を契機に繁華街に成長 池袋駅の開業は、日本鉄道(当時)が田端―池袋間を開通した1906(明治36)年4月1日だった。同じ日に大塚・巣鴨駅も開業した。 前年の11月までに新橋・品川・大崎・目黒・恵比寿・渋谷・新宿・目白・田端・上野・秋葉原の11駅が開業していた。そこに池袋・大塚・巣鴨駅が誕生したことで、環状線が完成をみたのである。ちなみに路線名が正式に「山手線」と決まったのも、前年11月20日だった。 一方で池袋駅は、1885(明治18)年に開業していた赤羽駅への
昭和天皇の「人間宣言」 1946(昭和21)年 昭和天皇が自らの神性を否定する詔書「人間宣言」を発表した。新憲法の象徴天皇制に道を開いたとされる。 関連記事 象徴天皇:時代とともに移り変わる国民統合の意味 占領期最大の恐怖「公職追放」:終戦の翌年、正月早々の衝撃(1) 日本占領がもたらした「負の遺産」 その他の出来事 東京にも宝塚の公演拠点 1934(昭和9)年 宝塚少女歌劇の東京公演の拠点として、東京宝塚劇場が開場した。 関連記事 タカラヅカ100周年 鉄腕アトムの放送開始 1963(昭和38)年 日本初の30分テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』の放映が開始された。 関連記事 《連載開始50周年》手塚治虫の不朽の名作『ブラック・ジャック』の先見性と普遍性 マンガの聖地「トキワ荘」が復活、60年前の熱気を今に 日本アニメ産業のたどった道 三菱東京UFJ銀行発足 2006(平成18)年 三菱
世界各地の古書店街の中でも、東京・神田神保町は世界最大級といわれる。和本や浮世絵を扱う老舗からマンガ・アニメなどのサブカル系まで、さまざまな古本屋が軒を連ねる街を訪ねた。 パリのカルチエ・ラタン、ロンドンのチャリング・クロス・ロード、英ウェールズのヘイ・オン・ワイなど世界各地に古書街があるが、中でも神保町は世界一の規模といわれる。靖国通りと白山通りが交わる交差点を中心とした地域に、130軒もの古書店が集まっているからだ。 カレーと喫茶の街としても知られるが、カレーを食べるついでに、気軽に古本屋をのぞく本好きは、どれだけいるだろうか。特に老舗古書店は、店内に入るのに多少勇気を要するかもしれない。 春と秋の「古本まつり」は、古書街に親しむ良い機会だ。3月に開催された「春の古本まつり」に足を運び、靖国通り沿いの気になる書店を訪ねた。 「春の古本まつり」の光景。靖国通り沿いの歩道にさまざまな古本や
東京千代田区・神田神保町は、約130軒の古本屋が立ち並ぶ世界最大級の古書街だ。扱う分野は古典籍からマンガまで多岐にわたり、それぞれが専門分野に特化している。街全体がさながら大きな図書館だ。その歴史をたどり、古本屋の魅力を探る。 神保町はいつから本の街になったのだろうか。 「明治になって、神田に大学ができたことが大きいですね」と言うのは、神保町・けやき書店店主の佐古田亮介さんだ。「明治10(1877)年、東京大学の前身が神田一ツ橋地区に創設され、以後、神田周辺は学習院、東京外国語大学、明治大学、専修大学などの発祥の地になりました。教科書や洋書など専門書籍の需要が急増し、洋古書店が増えていったことが始まりです」 佐古田亮介さん=東京古書会館で(©nippon.com) 佐古田さんは『東京古書組合百年史』(2021年)の編さん委員長を務めた。同書を基に、明治以降の神保町の歴史をたどる。 大火・大
首都圏の新築分譲マンションは2015年以降、高額化・狭小化が進んでいる。コロナ禍以降、多くの企業がリモートワーク制度を導入し、オン・オフともに自宅で過ごす時間が増えている。高くて狭くてもやっぱり都心に近い方がいいのか…考えてしまう。 リクルートが首都圏の新築分譲マンション契約者を対象に2001年から毎年実施している調査で、2021年の購入価格は「5000~6000万円」22%、「6000万円以上」36%で、5000万円以上が6割近くを占めた。経年変化を見ると、2015年を境に5000万円以上の価格帯が占める割合が大きくなっている。 2021年の購入平均価格は5709万円で、調査を開始した2001年以降で最も高くなった。高額化を牽引するのは「既婚・共働き世帯総年収1000万円以上」の世帯で、「6000万円以上」が全体の64%を占め、平均が6939万円だった。 一方、平均専有面積は66.0平方
JR中央線は東京を東西に貫くJRの主要路線。特に新宿から西に延びるエリアには、俗に「中央線文化」と呼ばれる多様性に富むカルチャーが存在し、居住地として、訪ねたくなる街として多くの人を惹きつけている。その成り立ちをひもときつつ、駅ごとに個性が異なる中央線の魅力を紹介する。 東京を代表するカルチャーと多様性の路線 東京都の中心部には「山手線」という環状の路線が走り、いわば都心の大動脈となっている。運営会社はJR(Japan Railways)東日本。中央線もJRが運営する東京の幹線のひとつで、ちょうど山手線の中央を東西に横断するように走っている。 起点は東京駅。そこから新宿を経由して、三鷹、立川、さらには山梨県や長野県にまで延びていく。その歴史は古く、開業は19世紀の1889年。当時は新宿駅と立川駅をつなぎ、多摩地区との物流を担う路線として敷設された。のちに延伸されていくが、1904年、日本の
クマ出没、AIで検知へ 瞬時に情報共有、政府が実証事業 Newsfrom Japan 政治・外交 2024.04.29 17:26 / 2024.04.29 17:43 更新
春画の深奥な世界にさまざまな角度から切り込んだドキュメンタリー。美術史に残る逸品から庶民が秘蔵した廉価版まで、100点を超える春画を巧みなカメラワークで紹介しながら、木版技術の継承者、愛好家やコレクター、研究者、アーティストら、春画に魅せられた人々を国内外に訪ね、その真髄を解き明かしていく。平田潤子監督に話を聞いた。 平田 潤子 HIRATA Junko 2000 年、映像制作会社テレコムスタッフに入社。「三代の恋物語」で 06 年 ATP 賞新人賞受賞。ダンスドキュメンタリー『ペンダントイブ』(09 年公開)をはじめ、現代詩や身体表現、美術などをテーマにしたアートドキュメンタリーを主に制作。『にっぽんの記憶』(10)で湯布院文化映画祭松川賞を受賞。他に監督作として、震災後の東北を描いた『なにゃどやら―陸中・小子内の盆歌』(12=山形ドキュメンタリー映画祭上映)、『詩人・榎本櫻湖の“冬の旅
70-74歳の就業率は過去最高の33.5%。人生100年時代―「人は長寿を手に入れた代わりに、70歳を過ぎても働き続けなければならない」と思うとため息が出るけれど、「70歳を過ぎても労働力として期待される時代になった」と考えると、悪くない時代に思える? 総務省のまとめによると、2022年の65歳以上の就業者数は912万人で、19年連続で前年実績を上回った。就業者総数に占める高齢就業者の割合は13.6%で、就業者の7人に1人が65歳以上ということになる。 65歳以上の就業率は前年比0.1ポイント上昇して25.2%。年齢階級別では、65-69歳が50.8%、70-74歳は33.5%でいずれも過去最高を更新。75歳以上も11.0%が就業している。 高齢就業者のうち自営業者や会社役員を除く「雇用者」は529万人。その雇用形態は76.4%が非正規で、特にパート・アルバイトが半数以上を占める。正規雇用
「和本」とは、有史以来、明治初期までに日本で生まれた書物の総称だ。古書の世界では、和本は今でも「現役」だという。東京・神田神保町の古書街では、数百年前の本はもちろん、1300年前の奈良時代の写経まで展示販売されているからだ。老舗・誠心堂書店店主で和本研究者としても知られる橋口侯之介氏と共に、和本を通じて日本の出版文化の歴史をたどる。 今日では日本文学の古典として世界でも名高い『源氏物語』だが、紫式部が執筆した平安時代には「格下」の本とみなされたという。まず、この日本最古の長編小説を一つの切り口に、書物の歴史をひもとこう。 読みたい物語を書き写す 仏教が栄えた奈良時代以降、大量に経典が作られた。写経をする職人「経師(きょうじ)」が活躍し、後に装丁全般の仕事をするようになる。平安時代中頃には、上質で丈夫な紙も作られるようになった。仏典、歴史書、公家の日記などは漢文の「正式」な書物として巻物に仕
激突!「鎌倉武士vs元の騎馬軍団」 蒙古襲来750年(4):海底の元の軍船が物語る「弘安の役」、長崎・鷹島沖は「海のタイムカプセル」 歴史 社会 文化 2024.04.25 長崎・佐賀両県にまたがる伊万里湾に鷹島(たかしま)という小さな島がある。この付近の海底から、ここ15年近くにわたり、蒙古襲来の跡である元の軍船など遺物が数多く見つかっている。2回目の侵攻「弘安の役」当時のモノだ。海底遺物が物語る戦いのありさまとは──。 東路軍と江南軍の合流失敗 「文永の役」(1274=文永11=年)から7年後。皇帝フビライ・ハンの号令の下、元軍は再び日本に襲いかかってきた。1281(弘安4)年のことで、「弘安の役」と呼ばれる。 前回の侵攻で日本を攻めきれなかった元は、戦力強化に向け2方面から船団を進軍させてきた。一つは、元の属国である朝鮮半島の高麗から出発した「東路」軍。もう一つは、元が滅ぼした中国大
コロナ禍を機に企業が相次いで取り入れた在宅勤務は、働き方の選択肢を増やした。一方で、ワークライフバランスの取り方など新たな課題も現れた。 文具大手のコクヨ(大阪市)がインターネットを通じて実施した調査によると、在宅勤務が半減し、職場へ回帰する傾向が浮かび上がった。在宅勤務を経験した人々のうち49.3%が現在は行っておらず、そのうち28.2%は職場で在宅勤務が認められていた。在宅勤務が認められていないと答えた人のうち、在宅勤務の希望者は25.2%にとどまった。自らの意思で「職場勤務」を選択する様子が見て取れる。 在宅勤務のメリットとして挙げられたのは、「通勤時間がない」(41%)、「上司・同僚とのコミュニケーションの減少」(15%)、「作業に集中できる」(14%)が上位となった。一方、デメリットは、「運動不足」(17%)、「上司・同僚とのコミュニケーションの減少」(15%)、「仕事とプライベ
JR西日本の新神戸駅(兵庫県神戸市)から、たった30分で往復できる名瀑「布引の滝」。緑豊かなハイキング道を歩けば、自然に癒やされ、海と山に挟まれた大都市・神戸の魅力を短時間で体感できる。 神戸の魅力の一つ、六甲山系の自然 奈良時代から瀬戸内海の海運の要衝として栄え、1868年(慶応3年)に開港した神戸。異国情緒漂う港町として知られるが、150万人以上が暮らす大都市のすぐ北側に、六甲の山々が横たわっていることも大きな特徴といえる。ベイエリアのシンボル・神戸ポートタワーからわずか2キロの距離に、緑あふれる登山道の入口があるのだ。 神戸ポートタワー展望台から見下ろした神戸の中心街。その背後には六甲山系が横たわっている 海外から伝わったものの中には、登山やハイキングといった自然を楽しむ文化もある。1874(明治7)年、ピッケルや登山靴などを装備した外国人たちが六甲山に登った。それが日本で初めての本
ネットの闇in JAPAN シリーズ:ネットの闇 in JAPAN (3)海外から狙われる日本――あなたも無縁じゃない「サイバー攻撃」の新常識 社会 技術 2019.01.22 インターネットの世界は、常にサイバー攻撃の危険にさらされている。ハッキングによる機密情報の流出、クレジットカード情報などの不正利用、アカウントの乗っ取り……いまや、だれが被害者になってもおかしくない状況だ。国境のないネット空間で、ますます高度化する攻撃の脅威から逃れることはできるのか。サイバーセキュリティの専門家に聞いた。 ザイフ流出事件の犯人を追跡 いま日本の仮想通貨が狙われている。2018年9月、国内の大手交換サイト「Zaif(ザイフ)」で、約70億円分の仮想通貨が盗まれた。同年1月には、やはり大手の取引所「コインチェック」が不正アクセスを受け、約580億円相当の仮装通貨が流出したばかりだった。 とにかく被害額
Japan Data お花見インバウンド : 訪日客初の単月300万人突破―24年3月、円安で旅行消費も膨らむ 旅 経済・ビジネス 社会 旅と暮らし 2024.04.18 満開の桜で春を満喫したい―と思うのは日本人だけではないようだ。例年、桜シーズンには訪日需要が高まる。2024年3月の訪日客はコロナ禍前を上回り、初めて単月で300万人を突破した。 コロナ禍前を上回る 日本政府観光局が発表した2024年3月の訪日外国人数(推計値)は前年同月比69.5%増の308万1600人だった。2019年7月の299万1189人を上回り、単月で初めて300万人を突破、過去最多を更新した。 例年、お花見シーズは訪日需要が高まる。急激に円安が進んだことも、訪日の追い風となり、韓国や台湾に加え、欧米諸国からの客数もコロナ禍前に比べて大幅に増加した。 政府は年間の訪日客数が過去最多だった2019年の3188万人
対イラン制裁「数日中に」 米政権、同盟国に同調要求 Newsfrom Japan 経済・ビジネス 2024.04.17 12:17
2024年4月17日午後11時14分ごろ、豊後水道を震源とする地震があり、愛媛県愛南町、高知県宿毛市で震度6弱の揺れを観測した。気象庁によると、震源39キロ、地震の規模(マグニチュード)は6.6と推定される。津波は観測されなかった。
1909(明治42)年に山手線と命名されて以来、「首都の大動脈」として東京の発展を支えてきた鉄道路線には、現在30の駅がある。それぞれの駅名の由来をたどると、知られざる歴史の宝庫だった。第5回は謎と不思議に彩られた「品川」の物語。タイトルの(JY25)はJR東日本の駅ナンバーである。 品川駅は山手線の起点 品川駅は横浜駅(現在のJR桜木町駅)とともに日本最古の駅だ。開業は品川―横浜間で旅客輸送がスタートした1872(明治5)年6月12日である。 『鉄道唱歌』の歌詞に「汽笛一声新橋を〜」とあるため、日本最初の駅は「新橋」と思っている方も多いだろうが、新橋駅の開業は同年10月14日で、実は品川駅より4カ月遅かった。 当初、新橋―横浜間で開通する予定だった路線のうち、新橋―品川間の工事が遅れたため、品川駅が「仮開業」として先行営業を開始したためだった。 初代の品川駅は、現在の駅から300メートル
貿易大国として、黒字を積み上げていたことは、いまや昔話? 資源高に円安が重なり2022年の日本の貿易収支は過去最大19兆9713億円の赤字となった。 財務省が公表した2022年の貿易収支(輸出額から輸入額を引いた額)は19兆9718億円の赤字となった。赤字幅は14年の12兆8161億円を大きく上回り、比較可能な1979年以降で過去最大。赤字は2年連続。ロシアのウクライナ侵攻によるエネルギー価格の高騰に円安が重なり、輸入額が大きく膨らんだ。 輸入額は前年比39.2%増の118兆1573億円で、史上初めて100億円を突破した。品目別では、原油粗油13兆2701億円(91.5%増)、LNG=液化天然ガス8兆4493億円(97.5%増)などが大きく伸びた。原油価格は、円建てで前年比76.5%、ドル建てで47.6%上昇。円建て単価は1キロリットル当たり8万4728円と過去最高だった。 輸出は、自動車
Home トピックス 映画『燃えるドレスを紡いで』:地球にとってファッション産業は害か? デザイナー中里唯馬が考える衣服の未来 『燃えるドレスを紡いで』(関根光才監督)は、「パリコレ」の頂点、オートクチュール・ウィークで作品を発表する森英恵以来2人目の日本人デザイナー、中里唯馬に密着したドキュメンタリー。リサーチに訪れたアフリカでは、世界中から集まった衣服が巨大なごみの山と化す衝撃の現場に立ち、言葉を失う中里。しかしショックを乗り越え、その体験を新たなコレクションを創造する力へと変えていく。映画の公開を機に、当時の葛藤を本人にあらためて振り返ってもらいながら、服飾の未来について聞いた。 中里 唯馬 NAKAZATO Yuima 1985年、東京生まれ。高校卒業後の2004年、ベルギーのアントワープ王立芸術アカデミーに入学、08年卒業。09年、自身のブランド「YUIMA NAKAZATO」を
燃料価格や電気料金の高騰が続く中、輸入に頼らない国産エネルギーである太陽光発電の存在感が増している。2021年度の日本国内の太陽光発電の累積導入量はFIT制度(固定価格買取制度)スタート以前の2011年度と比べ10倍以上に伸びた。日本の太陽光発電導入量は現在、中国、米国に次いで世界3位となっている。 2023年度のエネルギー白書によると、最新データの2021年度の国内の太陽光発電導入量は累積6935万キロワット。2011年度の導入量は推定約500万キロワットだったが、2012年度にFIT制度が採用された後、住宅向けに加え、大規模なメガソーラーなどが急速に拡大。技術開発などによる設備コストの低下も影響している模様だ。 ただ、導入スピードは鈍化している。FIT制度開始直後の2013年度の累積導入量は前年度比で2倍近く伸びたが、2021年度は前年度比7%増にとどまった。鈍化は、FITに基づく買取
脱炭素社会に向け、日本初の水素&バイオ燃料の作業船が実証成功: クルーズ客船としても運航開始 環境・自然・生物 技術・デジタル 旅 2024.04.07 日本財団が北九州市で4月4日、水素燃料電池を搭載した洋上風力発電施設の作業船として、二酸化炭素(CO2)を排出しない運航実証に世界で初めて成功したと発表。この船は10日から観光船としても営業を開始。クリーンかつ振動の少ない快適なクルーズで人気を呼びそうだ。 国内初の20トン以上の水素燃料電池船 水素とバイオディーゼルを燃料とする作業船「HANARIA(ハナリア)」が2024年3月26日から4月4日にかけて、北九州市の小倉港から若松区沖合に浮かぶ洋上風力発電施設間で運航実証を実施。往復57キロメートルを3時間45分で、CO2を一切排出しないゼロエミッション運航することに成功した。 ゼロエミッション運航テスト中のハナリア。洋上風力発電施設への
激突!「鎌倉武士vs元の騎馬軍団」 蒙古襲来750年(3):モンゴル出身の横綱・照ノ富士らが供養に訪れた寺、元の使者斬首の悲劇 歴史 社会 文化 国際・海外 2024.04.12 およそ750年前、日本と元が対立する中で、元の使者5人が鎌倉幕府の手で問答無用とばかりに斬首される悲劇が起きた。非戦闘員の外交使節が犠牲になったことに日蓮は心を痛めた。5人を悼む心は今も日本とモンゴル両国の間で引き継がれ、モンゴル出身の力士がたびたび、ある寺を供養に訪れている。 4月12日夕、大相撲横綱・照ノ富士、大関の霧島と豊昇龍を含めた総勢13人のモンゴル出身力士と駐日モンゴル大使が神奈川県江ノ島に近い常立寺(じょうりゅうじ)を訪れた。この寺には、1275年に斬首された元の使者たちが埋葬されており、その弔いのためにやって来たのであった。 今年は蒙古襲来から750年。力士らと檀家を交えて本堂で法要が営まれた。照
2021年度から23年度まで3年間で日本が半導体産業支援のためにつぎ込んだ補助金は3.9兆円に上る。1980年代から90年代前半にかけて隆盛を極めた日の丸半導体の復権なるか? 財務相の諮問機関である財政制度等審議会が提示した資料で、日本政府の半導体産業への支援が欧米各国と比べて格段と手厚いことが浮き彫りとなった。 半導体はスマートフォンや人工知能(AI)などのIT機器はもちろんのこと、家電などほとんどの電子機器に組み込まれている。鉄道や電気、水道など社会インフラの制御にも不可欠だ。このため、各国が半導体を「戦略物資」と位置付けて産業支援策を打ち出し、工場誘致にしのぎを削っている。 日本が経済安全保障の観点から過去3年間の補正予算に計上した半導体産業への支援額は約3兆9000億円で、国内総生産(GDP)の0.71%に相当する。内訳では、半導体受託製造世界最大手で熊本県菊陽町に工場を建設した台
8月に司馬遼太郎(1923年8月7日~1996年2月12日)の生誕100年を迎えた。今も司馬作品は世代を超えて多くの人々に読み継がれ、映画・テレビで映像化もされている。司馬は歴史小説というものをどう捉え、どのようにして数々の名作を生み出していったのか。司馬遼太郎記念館の館長・上村洋行氏(80)に話を聞いた。 上村 洋行 UEMURA Yōkō 司馬遼太郎記念館館長。司馬夫人の福田みどり氏の弟にあたり、小学生のころ司馬が実家をしばしば訪れたという。1967年、同志社大学を卒業後、司馬と同じ産経新聞社に入社。社会部などに配属され、京都総局長、編集局次長を歴任した後、司馬遼太郎記念財団(2012年に公益財団法人)の専務理事となり、今は亡くなったみどり氏の後を継いで同財団理事長兼記念館の館長を務めている。 館内に広がる大書架の蔵書の世界 目指す住所は東大阪市下小阪3丁目。近鉄奈良線八戸ノ里(やえの
Home 旅と暮らし 浜松の銘菓「うなぎパイ」は、なぜ“夜のお菓子”なのか?:うなぎパイファクトリーで誕生秘話や製造方法を聞いた 浜松の銘菓「うなぎパイ」は、なぜ“夜のお菓子”なのか?:うなぎパイファクトリーで誕生秘話や製造方法を聞いた Guideto Japan 旅 食 2022.10.01 うなぎの名産地・浜名湖を擁する浜松の定番土産物「うなぎパイ」。生地にうなぎエキスを練り込んだ珍しい洋菓子は、“夜のお菓子”のキャッチフレーズと共に全国的に知られている。製造工程を見学可能な「うなぎパイファクトリー」で、誕生秘話や隠し味などを聞いた。 北海道「白い恋人」、鎌倉「鳩サブレー」、京都「生八ツ橋」などと伍して、ご当地銘菓の代表格として知られる浜松「うなぎパイ」。さほど観光名所があるわけではない浜松の菓子が、全国区の人気を誇っているのだ。 静岡だけでなく、東海地域を代表する銘菓「うなぎパイ」
今から750年前、元の船団はついに博多湾に姿を現わした。初めて目にする外敵を当時の人々は「異国襲来」として恐れた。威嚇が目的だったのか、元軍はたった1日で退却したというのが従来の定説だが、最近の研究では内陸部の要衝・大宰府辺りまで攻め込んで来たとの説が浮上し、注目されている。日本は元軍を退けたが、再侵攻に備え博多湾一帯に防塁を築いた。 博多湾上陸 元は支配下に収めた朝鮮半島の高麗に軍船を建造させ、大船団が高麗の合浦(がっぽ)から日本に向かった。1274(文永11)年10月20日(旧暦、以下日付は旧暦)の夜明け前、対馬や壱岐といった日本の防衛線となる島を突破していた約900隻の船団が博多湾に姿を現わした。「文永の役」である。 人馬を乗せた大型の母船、兵士用の小型突撃船(バートル船)、食料・水を積んだ補給船など大小さまざまな船が侵入し、騎馬兵が上陸を試みた。元の指揮下、かなりの高麗人兵士が動員
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『nippon.com | 日本情報多言語発信サイト』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く