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蒙古襲来750年(2):元軍が初上陸、内陸の大宰府に迫る
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蒙古襲来750年(2):元軍が初上陸、内陸の大宰府に迫る
今から750年前、元の船団はついに博多湾に姿を現わした。初めて目にする外敵を当時の人々は「異国襲来」... 今から750年前、元の船団はついに博多湾に姿を現わした。初めて目にする外敵を当時の人々は「異国襲来」として恐れた。威嚇が目的だったのか、元軍はたった1日で退却したというのが従来の定説だが、最近の研究では内陸部の要衝・大宰府辺りまで攻め込んで来たとの説が浮上し、注目されている。日本は元軍を退けたが、再侵攻に備え博多湾一帯に防塁を築いた。 博多湾上陸 元は支配下に収めた朝鮮半島の高麗に軍船を建造させ、大船団が高麗の合浦(がっぽ)から日本に向かった。1274(文永11)年10月20日(旧暦、以下日付は旧暦)の夜明け前、対馬や壱岐といった日本の防衛線となる島を突破していた約900隻の船団が博多湾に姿を現わした。「文永の役」である。 人馬を乗せた大型の母船、兵士用の小型突撃船(バートル船)、食料・水を積んだ補給船など大小さまざまな船が侵入し、騎馬兵が上陸を試みた。元の指揮下、かなりの高麗人兵士が動員