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川本輝夫さんしのび咆哮忌 水俣病未認定患者救済運動に尽力 | 西日本新聞me
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川本輝夫さんしのび咆哮忌 水俣病未認定患者救済運動に尽力 | 西日本新聞me
水俣病未認定患者の救済運動に尽力した故川本輝夫さん=1999年、67歳で死去=をしのぶ「第19回... 水俣病未認定患者の救済運動に尽力した故川本輝夫さん=1999年、67歳で死去=をしのぶ「第19回咆哮(ほうこう)忌」(実行委員会主催)が命日の18日、水俣市で開かれた。川本さんが中心となって74年に設立した水俣病センター相思社(水俣市)の世話人を89年まで務めた柳田耕一さん(67)=熊本市=が招かれ、思い出などを語った。 柳田さんは東京農業大に在学中の71年、チッソに補償を求め水俣工場前で座り込みを始めた川本さんらに呼応し、東京のチッソ本社前に座り込んだ学生の一人。初対面の川本さんが、たばこを差し入れてくれたエピソードを紹介し「心の優しい人なんだなと思った」と振り返った。 当時の運動を「逮捕覚悟だった」と柳田さん。期末試験の直前になり「勉強のため、支援活動を2週間ほど休みます」と川本さんに伝えると、「わしなら日本の大学をうっつぶす。大学がこのままなら、水俣病が三つあっても四つあっても足らん