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大牟田にあった国内最大の収容所 連合軍捕虜1700人を炭鉱労働力に | 西日本新聞me
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大牟田にあった国内最大の収容所 連合軍捕虜1700人を炭鉱労働力に | 西日本新聞me
拡大 大牟田市新港町にあった捕虜収容所「第17分所」の写真。屋根にアルファベットが記されていた(市石... 拡大 大牟田市新港町にあった捕虜収容所「第17分所」の写真。屋根にアルファベットが記されていた(市石炭産業科学館所蔵) 今は知る人少なく 戦時中、全国135カ所あった連合軍捕虜収容所のうち、2カ所が福岡県大牟田市にあった。戦争捕虜の実態を調べる市民団体「POW研究会」によると、大牟田の第17分所は国内最大で、収容人員は米国人やオーストラリア人など計約1700人。三池炭鉱の労働力として集められた。 「大牟田の空襲を記録する会」(中嶋光秋代表)が昨年発行した証言集「第30集」には、収容所に関するPOW研究会の特別寄稿が掲載されている。この中には、終戦直後に収容所を取材し、元捕虜から過酷な坑内作業の証言を得た米国人ジャーナリストの記事も一部引用されている。 「屈辱、拷問、飢え、侮辱。ネズミのように扱われた」「労働、病気、飢え、死が解放だった」…。戦後の戦犯裁判で、当時の分所長らは捕虜殺害などの罪