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【話の肖像画】元プロ野球阪急選手ロベルト・バルボン(1) 力道山にものすごう怒られた(1/2ページ)
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【話の肖像画】元プロ野球阪急選手ロベルト・バルボン(1) 力道山にものすごう怒られた(1/2ページ)
「話の肖像画」特集へ 〈ソフトバンクのデスパイネ、中日から巨人へ移籍したゲレーロら現在、日本のプロ... 「話の肖像画」特集へ 〈ソフトバンクのデスパイネ、中日から巨人へ移籍したゲレーロら現在、日本のプロ野球で活躍するキューバ人選手は多い。先駆けとして東京・羽田空港へ降り立ったのは昭和30年3月18日。言葉や食べ物、気候と何もかも異なる極東の地で、波乱とドラマに満ちあふれた野球人生が幕を開けた〉 あの時代、まだジェット機はなかったから、首都ハバナからアメリカのマイアミ、シカゴ、カリフォルニア、ハワイを経由して3日間かかったわ。まあ(日本は)寒かった。それから阪急(現オリックス)のチームに合流したが、寒さでほんま練習できへん。グラウンドではずっと火鉢の横ばっかりや。 食べ物も日本で口に合うもんは少なく、ケチャップ味のチキンライスばかり食べていた。すき焼きはOKやったな。箸はずいぶん使えるようになったけど、刺し身やすしといった生魚は今でもダメ。 通訳はなかった(笑)。言葉は通じなくても野球のやり方