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伊勢国府・鈴鹿関・斎宮の関係に迫る 鈴鹿考古博でシンポ
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伊勢国府・鈴鹿関・斎宮の関係に迫る 鈴鹿考古博でシンポ
飛鳥・奈良時代の重要遺跡と斎宮の関係に迫るシンポジウム「伊勢国府・鈴鹿関・斎宮」が4日、鈴鹿市考... 飛鳥・奈良時代の重要遺跡と斎宮の関係に迫るシンポジウム「伊勢国府・鈴鹿関・斎宮」が4日、鈴鹿市考古博物館(同市国分町)で開かれた。ともに国史跡の「伊勢国府跡」(鈴鹿市)と「斎宮跡」(明和町)、さらに古来の重要な関所である「鈴鹿関」(亀山市)の3遺跡の発掘成果が紹介され、万葉集の編纂(へんさん)者といわれる大伴家持(おおとものやかもち)がクローズアップされた。 同博物館で開催中の特別展「道でつながる古代の役所」(12月3日まで)の関連事業で、「斎宮と古代の三重」をテーマに企画された3回シリーズのシンポジウムの2回目。約80人が熱心に耳を傾けた。 シンポジウムのコーディネーターを務めた榎村寛之・斎宮歴史博物館学芸普及課長は、3遺跡にかかわる可能性がある人物として、大伴家持(718〜785年)を挙げた。 家持は宝亀7(776)年に伊勢国の最高行政官である伊勢守に就任するが、伊勢国に来た記録はなく