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【なるべく週刊エモト】「ベンチがアホ」の試合で怒って客席へ投げたグラブが60万円!理由は…水島先生によるエモトの似顔絵が縫ってあったから
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【なるべく週刊エモト】「ベンチがアホ」の試合で怒って客席へ投げたグラブが60万円!理由は…水島先生によるエモトの似顔絵が縫ってあったから
漫画家の水島新司(みずしま・しんじ)さんが10日、肺炎のため東京都内の病院で死去した。本紙専属評... 漫画家の水島新司(みずしま・しんじ)さんが10日、肺炎のため東京都内の病院で死去した。本紙専属評論家の江本孟紀氏(74)が「週刊エモト」の特別版として水島さんを追悼。南海時代、阪神時代の古き良き思い出をつづった。 振り返ってみると、とにかく画期的な作品だった。われわれには、極上のエールでもあった。 水島先生の存在を知ったのは南海時代。当時の本拠地、大阪・ミナミの繁華街で、飲み屋のニイちゃんに耳打ちされた。 「江本さん、漫画に登場してまっせ」 それが『あぶさん』。連載開始は1973年。パ・リーグは人気低迷期で、南海の本拠地・大阪球場にも〝閑古鳥〟が鳴いた。南海の選手がメインキャストに選ばれ、パがメインステージに設定されること自体、驚きだった。 先生は確かあのころ、大阪・阿倍野区にお住まいだった。野村克也さんが監督・捕手・4番で奮闘していた地元のチームを、ひいてはパを、なんとか盛り上げようとの