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「3密」が集落を滅ぼした 100年前の災禍 今に警鐘 福井・大野にスペイン風邪の碑:東京新聞 TOKYO Web
一九一八(大正七)年に世界でまん延した「スペイン風邪」が広がり、その後、離村へと追い込まれた集落... 一九一八(大正七)年に世界でまん延した「スペイン風邪」が広がり、その後、離村へと追い込まれた集落が福井県大野市の山奥にあった。集落跡に立つ石碑には、住民の一割近くが死亡し、壊滅的な被害を受けたと克明に記されている。新型コロナウイルスの感染が広がる今、約百年前の惨状を繰り返してはいけないと、不住の地から訴えかけている。 (山内道朗) 集落は、大野市和泉地区の九頭竜湖南側に位置する面谷(おもだに)。同市教委文化財課によると、かつて、良質な銅を産出する鉱山町だった。幕末は大野藩の財政改革に寄与し、明治に入ると財閥の合資会社が鉱山経営を引き継ぎ隆盛を極めた。当時の大野市街地にはなかった電気も通り、「穴馬の銀座」と称されたほど。海外から安価な銅が輸入されるようになっていたところにスペイン風邪のまん延が追い打ちをかけ、鉱山は二二年に閉鎖。集落も解散した。 石碑はいつ、誰が建てたかはっきりしないが、集落
2020/04/30 リンク