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日本古代製鉄の謎(1)糸魚川ヒスイの再発見で教訓とするべき考古学の歴史 - ものづくりとことだまの国
古代の鉄の話をするのに、少し当ブログ「ヒスイの古代史」の話をお許しいただきたい。 関西人の私は縄文... 古代の鉄の話をするのに、少し当ブログ「ヒスイの古代史」の話をお許しいただきたい。 関西人の私は縄文時代について、最盛期(縄文中期)の本場を知らないのがネック。 去年の秋、新潟・北陸・東北の各地の縄文遺跡や博物館・資料館を20ケ所近く巡り、話も聞けたおかげで多少なり知識が増え、考え方も変わった。 日本の『ものづくり文化』の背骨 中でも、糸魚川ヒスイの日本海沿岸の加工・分業スタイルが「縄文-弥生-古墳時代」に貫かれ、現代日本の『ものづくり』に繋がっていることを学んだのは大きな収穫だった。 そんなヒスイだが、1300年もの間、糸魚川ですら忘れ去られ、昭和初期までの長い間「大陸や半島からの由来」をアタリマエとして遺跡・遺物が考察されていた時代があった。 そのような中、文学者・相馬御風(そうまぎょふう、童謡・かたつむり、春よこいの作詞家)が、ヌナカワヒメ伝説から糸魚川ヒスイを推理し、相馬説に関心を持
2020/02/02 リンク