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盛岡八幡宮の米内光政像と昭和史
盛岡八幡宮の米内光政像盛岡には、町の鎮守のために建てられた盛岡八幡宮があります。南部藩が盛岡に移... 盛岡八幡宮の米内光政像盛岡には、町の鎮守のために建てられた盛岡八幡宮があります。南部藩が盛岡に移った16世紀末に作られて以降300年間、盛岡の総鎮守として今日も町を見守っています。 隣には明治時代に護国神社も建てられ、明治天皇の像が盛岡の安寧を見守っています。 八幡宮にはもう一人、ある人の銅像が建っています。 そ八幡宮の南端、崇敬殿の前には、岩手が生んだ海軍軍人、米内光政の銅像が立っています。 昭和35年(1960)に建立された像は、軍服ではなくスーツ姿となっています。大将にまでなった海軍軍人なので、本来銅像は軍服姿であるべきでしょう。 しかし、まだ戦争の傷が癒えない頃で軍隊アレルギーが強い頃だったのと、生前の米内さんを知る友人や家族が話し合った結果、この姿になりました。 建立の言い出しっぺは、兵学校同期だった高橋三吉大将。 派閥抗争に明け暮れる陸軍に対し、帝国海軍は明治大正を通して比較的