エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
白水社 :連載・エッセイ 今尾恵介「鉄道王国の歩み」 第5回 東京急行電鉄(2)
執筆者プロフィール ●震災後に広まった「郊外志向」 大正12年(1923)9月1日。折悪しくちょうど昼時に南... 執筆者プロフィール ●震災後に広まった「郊外志向」 大正12年(1923)9月1日。折悪しくちょうど昼時に南関東を襲った巨大な地震により、昼餉のための火は各地で燃え広がり、都市部の密集市街地を焼き尽くす最悪の事態を引き起こした。その結果は東京市での10万人を超える犠牲者数である。まさに「地獄絵」を目の当たりにして逃げ延びた多くの市民にとって、安全のために郊外に住みたいという意識は切実なものだったに違いない。 東急のルーツにあたる田園都市株式会社は、もちろんこの震災を受けて会社を立ち上げたわけではなく、それ以前から大都市で働く中流勤労者の理想的な居住地としての郊外住宅地─田園都市を提唱し、それは着実に評価を得ていた。その住宅地と都心を結ぶための足として建設されたのが、田園都市の子会社・目黒蒲田電鉄(現東急目黒線・多摩川線・大井町線の前身)である。その最初の路線が開通したのは震災の半年前に
2014/08/04 リンク