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※本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています たった1枚の写真から、謎に包まれていた巨大観音像の正体が判明――。Twitter上で繰り広げられた、奇跡のような歴史ミステリーの解読劇に「鳥肌立った」「集合知の勝利」といった声が寄せられています。 発端となったのは、サイト「コンクリート像を見にゆきます(仮)」の管理人・つるま(@clane_2015)さんが12月1日にTwitterに投稿した1枚の写真。そこには1体の巨大な観音像と、その周りに集まった大勢の人々が写っていました。「この観音像が撮影された場所、年代を探しています。これだけ巨大な観音像なのに、日本のどこにあった(ある)ものなのか、全く不明なのです」とつるまさんは呼びかけました。 巨大な観音像と、それを取り巻く人たち。近畿地方のとあるお寺に眠っていたとのこと(画像提供:つるまさん) つるまさんによると、この写真は近畿のと
古いびょうぶの下張りから、鳥取藩主池田家に仕えた武士が江戸から妻にあてた手紙が大量に見つかった。妻から江戸にいる夫にあてた手紙も含まれ、確認されただけで約180枚になる。参勤交代や江戸暮らしの様子を書き記した手紙で、専門家は記述の詳しさに注目している。 発見したのは鳥取市紙子谷の大沢邦彦さん(71)。大沢さんは神社の宮司で、子どものころから古文書に親しんできた。「古文書を読む会」で講師を務めている。江戸時代から明治初期に作られたびょうぶやふすまには、不要になった手紙などの書類が下張りに再利用されている例があり、今回手紙が見つかったびょうぶは鳥取市内の知人から大沢さんのもとに持ち込まれたものだった。 びょうぶは6曲で、下張りに明治時代の新聞が使われており、さらにその下から手紙が見つかった。大沢さんは3年かけて手紙を整理し、解読した結果、約200年前に鳥取藩主が参勤交代した際に随行した城戸左久
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***** この史跡は5回シリーズです。 追記改訂の上サイトに纏めて移行済み。そちらの方が読みやすい。 サイト > WORKS > 史跡 > 近代 > 関西 > 大阪 よりどうぞ。 ***** 真田山陸軍墓地 in 大阪市天王寺区。 第5回。こんなに引っ張るとは思わなかった。 被葬者の名前を見て大変驚いたお墓。 陸軍軍医監従四位勲三等堀内利国墓 いや、本当にびっくりしました…初めて訪れた時は暫し佇んだ。 ただ思うに、堀内利国って言って分かります? 分かる人、多分殆どいないと思う…^^; 堀内利国。 明治期の脚気論争で名前が出てくる方です。 この陸海軍の脚気論争に関しては随分前にサイトにまとめたものがありますので、詳細はそちらをご覧くださいませ~ (麦喰!>④陸軍平時編>9) 大雑把に書きますと、近代日本の2大国民病であったのが肺結核と脚気になります。 脚気は一種の栄養失調でして、日本の場合
古本屋と神社に行っただけだったのが・・・ 先日、大阪市内にある「三光神社」に行ってきました。 そもそもメインの目的は神社ではなく、その周りにあった古本屋だったのですが、「たまたまそこに神社があった」的な感覚で、吸い込まれるように境内へ入っていきました。 この神社は、第18代天皇の反正天皇の時代、西暦なら330~410年の間に創建された1700年の歴史を持つ古い神社です。しかし、知名度はというとほとんど知られていないのではないでしょうか。 武内宿禰の末裔と言われる武川氏が神職として奉職しており、今で86代目らしいです。地味ではあるものの、天皇家や出雲大社の宮司である千家並みの息の長さです。 この神社の珍しいところは、名前にもなっている「三光社」が中風(ちゅうぶ。脳疾患の後遺症)封じのご利益があるそうで、毎年6月に中風封じの神事も行われています。 そして、この神社はおそらく数年前から相当有名に
口ひげにコート姿の男は20世紀を代表する文豪だ――。大長編小説「失われた時を求めて」で知られるフランスの作家マルセル・プルースト(1871~1922)が動く映像が確認されたと、カナダの研究者が仏の雑誌に発表した。写真ではその姿が知られていたが、映像では初めてという。古典的名著の着想の一端を知ることができる貴重な資料となる。 映像は1904年11月、パリの教会であったプルーストの友人の結婚式を映したもの。35ミリフィルムに収められ、約1分10秒の無音で、パリ郊外の仏国立映画センターに保存されていた。カナダのラバル大学のジャンピエール・シロワトラアン教授(映画学)が、このフィルムに映る、新郎新婦らとともに教会の階段を足早に下りていく男性をプルーストと確認。今年2月、仏プルースト専門誌「ラルビュ・デチュードプルースティエンヌ」で、明らかにした。 決め手はファッション。男性招待客のほとんどが黒のジ
東北の日本海側、山形県でこれまで知られていない高さ30メートルを超えるような巨大津波が起きていた可能性を示す痕跡が、山形大学の調査で新たに見つかりました。津波だとしたら県の想定の16メートルを大幅に超える高さとなり、専門家は「防災対策へつなげるため今後も総合的な研究が必要だ」と指摘しています。 地質学が専門の山形大学の山野井徹名誉教授の研究チームは、海岸から内陸におよそ1キロほど入った斜面にある泥の層に注目しました。泥の層は標高25メートルから37.9メートルの付近にあり、含まれていた植物から年代を測定したところ、西暦1000年代から1100年代前半、平安時代後期にできたと見られることがわかりました。研究チームは津波によって低い所にあった近くの沼の泥が巻き上げられたと見ています。 山形県の想定では、津波の高さは最高で16.3メートルで、今回の痕跡が津波によるものだとしたら、想定を大きく上回
軍人飲んだ?ビール瓶次々 戦時中、普賢岳山頂に極秘レーダー基地 1900年代前半か「DAINIPPON」の刻印 [長崎県] 雲仙市の雲仙・普賢岳(1359メートル)の山頂付近で、地面の土中から空のビール瓶が相次いで見つかっている。刻印などから1900年代前半に製造された瓶とみられる。山頂付近には太平洋戦争中に陸軍の「電探(レーダー)基地」があったことから、当時の隊員が飲んだ形跡ではないか、などと謎を呼んでいる。 出土する瓶には「DAINIPPON BREWERY」と刻印がある。日本では1906年、札幌麦酒、日本麦酒、大阪麦酒の3社の合併でシェア7割を誇る「大日本麦酒」が発足し、49年に分割された。うち1社を引き継ぐサッポロビール(東京)に瓶の写真を送って確認を依頼したところ、「大日本麦酒の瓶で間違いない」という。 雲仙お山の情報館(雲仙市)によると、普賢岳の山頂付近にあったレーダー基地
家康生涯の大敗北のひとつ「三方ヶ原」にまつわる逸話の創作性を論じた、原史彦氏の論文がダウンロード可能になり評判に。 そういった「実は伝説」という話によく登場してくる『沢田源内』という男、その界隈ではニセの系図やニセの歴史書を作る悪名高き男として知られ、その影響は近代にまで及んでいます。 ただ、彼の事績をツイートで読んでいくと、「そこまでやりおるとは、或る意味凄い!」という気がいたしてまいりました(笑)。 そんな視点からのまとめです 続きを読む
黒海の水深300メートル地点で見つかったオスマン帝国の沈没船。ある調査船が発見した41隻の沈没船の1つだ。(PHOTOGRAPH BY RODRIGO PACHECO-RUIZ, COURTESY EEF, BLACK SEA MAP) 先史時代の人々が海面上昇にどう対応したかを探るため、船員と科学者の国際チームが黒海で調査を行っていたところ、予想外のものを発見した。9~19世紀の千年間に沈んだ、極めて保存状態の良い41隻の沈没船だ。(参考記事:「沈没船から17世紀の王家のドレス見つかる」) チームは約1万2000年前に起きた黒海の拡大について調べるため、ソナーと遠隔操作無人潜水機(ROV)で海底地形図を作成していた。沈没船が状態を維持できたのも、実はこの拡大のおかげだった。 英サウサンプトン大学海洋考古学センターの所長で、今回の研究を率いるジョン・アダムス氏は「約1万2000年前に最後の
料金改定について 2023年11月より料金が改定されました。 料金改定の同意からお手続きをお願いします。 現在の旅券(パスポート)につながる「海外渡航文書」が幕末に初めて発給されてから150周年を迎えるのを記念し、成田空港で17日、現存する最古の旅券を展示するイベントが行われた。 今年は、江戸幕府が1866(慶応2)年に日本人の海外渡航禁制を解き、現在の旅券に当たる文書の発給を始めてから150周年の節目となる。現存する最も古い旅券は、1866年の10月17日に横浜市在住の「亀吉」という男性に交付された第3号旅券。通常は外務省外交史料館に保管され、今回はレプリカが展示された。 現在の旅券と違って1枚の書面に手書きされ、A4判よりやや大きいサイズ。写真がなかった当時、本人を確認するため、名前や年齢だけでなく、身長や目の大きさなど身体の特徴が記載されている。 会場には、2019年9月から使用され
「大坂の陣」(1614~15年)前後など江戸時代初期の様子が記された文書が、オランダ・ハーグの国立文書館で見つかった。同国ライデン大学と共同調査している国際日本文化研究センター(日文研、京都市)が21日、発表した。既存の文献にない記述もあり、検証が進む可能性もありそうだ。 東インド会社の拠点だった長崎の平戸オランダ商館のオランダ人関係者らが1609~33年に作成した書簡524点や日記で、幕府高官や日本の商人らから聞き取った情報などを記したという。 夏の陣で大坂城が落城した直後の15年6月11日付の報告には次の記述がある。東インド会社の商務員ワウテルセンが平戸オランダ商館長に宛てたという。「皇帝(徳川家康)、その息子および全軍は、(豊臣)秀頼の城を攻囲するために6月2日に大坂へ出発し、同月3日に到着した。秀頼の数人の大名が赦免が得られると考え、皇帝側に寝返るために城に火をつけたが、彼らは逃げ
沖縄の洞窟で、世界最古とみられる釣り針2個が発見された。報告論文が16日、米科学アカデミー紀要(PNAS)に掲載された。巻貝から作られた釣り針は、約2万3000年前のものとみられる。ほかにも貝で作った珠や道具類に加えて、カニや貝を食べた跡が見つかったという。 沖縄県立博物館・美術館などの専門家からなる調査グループは、沖縄県南城市のサキタリ洞窟で発掘作業を行っていた。この周辺では少なくとも3万年前から、人間が住んでいたとみられている。 釣り針の発見によって、これまで考えられていたより広範囲で、初期の海洋技術が使われていたと推測できるという。論文は、こうした技術が大西洋西岸沿いに北から中央緯度の地域にまで広がっていたことがうかがえると書いている。
1700年当時、カナダはまだファースト・ネーションズ (先住民族インディアン)が統治していた時代だった。その中にあって発生したマグニチュード9に及ぶカスケード地震に関する資料は一切残されていなかった。 いつ何時発生したのかわからない地震。だがこの地震の正確な日時は、江戸時代に記録された日本の津波記録によって明らかになったという。
オリバー・L・オースティン Jr.(1903-1988)はハーバード大学で鳥類学の博士 号を修得し、その後アメリカ海軍に従軍した。従軍中も南太平洋で2,000以上の 鳥類やコウモリを採取、2つの新種のコウモリを発見するなどした。 1946年の4月から1949年の12月まで米国天然資源局(the Natural Resources Section)の野生生物部署の代表に就任、占領下の日本で狩猟法の改善や動物保護 区の設定など野生動物の保護に尽力した。また山階芳麿などの研究者とも交流し た。日本に滞在中の約4年間で駐留中のアメリカ人の生活や東京や地方の生活に 関する1,000枚以上のカラースライドを残した。 このコレクションは氏の息子のトニー・オースティン氏が所有していたものを フロリダ州立大のアニカ・カルヴァー准教授が中心となり戦後70周年を記念して デジタル化したものである。
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