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有鄰 No.441 P1 「横浜警備隊長 佐々木大尉の反乱」
昭和20年夏、といってもピンとこない人が多くなった。 近頃の若い人ほとんどが西暦を使っている。 昭和2... 昭和20年夏、といってもピンとこない人が多くなった。 近頃の若い人ほとんどが西暦を使っている。 昭和20年夏はつまり1945年夏、いまから59年も前の遠い昔のことになる。 この間ずっと平和の空気だけを満喫している若い人たちには、アメリカをはじめ世界の国々を敵として、日本人が3年7か月以上も戦った太平洋戦争のあったことなど、信じられない夢物語ということになろう。 その年の8月、東京も横浜も、米空軍のB29の爆撃により、見渡すかぎりの焼野原になっている。 敗北は決定的となっている戦闘であったが、やせ衰えた人々は、その瓦礫の上で眼だけはギラギラと光らせ、なお”徹底抗戦あるのみ”と闘志をみなぎらせていた。 しかし、昭和天皇の強い意思表明もあり、日本政府は14日昼には御前会議の決定にもとづき、降伏によって戦争を終結することをひそかに決定した。 そしてそのことを天皇じきじきのラジオ放送を通して
2010/01/15 リンク