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考え方と映画に関するeririchan3031のブックマーク (2)

  • 『私たちに許された特別な時間の終わり』感想 - sugitasyunsukeの日記

    かつてfacebook(2014年8月4日)に投稿した記事を以下に転載します(一部個人的な人間関係の話は削除しました)。 ***** 太田信吾監督『私たちに許された特別な時間の終わり』を昨日、試写で観た。 《2010年12月、かけ出しの映画監督の太田は、ひとりの友人を自殺で亡くした。彼の名は増田壮太(そうた)。かねてより壮太とバンド仲間の冨永蔵人(くらんど)を撮影していた太田にとって、そのショックは大きかった。10代のバンドコンテストで優勝するほど音楽の才能に恵まれ「ミュージシャンになる」という強い夢を持っていた壮太がなぜ———。一方、壮太に誘われバンドを組んでいたものの、何がやりたいのか自分でも分かっていなかった蔵人は、徐々に壮太と袂を分かち、就職することで自分の居場所を見つけはじめる…。 作はそんな3人の若者たちをめぐるドキュメンタリー。監督は岡田利規が主催するチェルフィッチュに俳優

    『私たちに許された特別な時間の終わり』感想 - sugitasyunsukeの日記
  • ネタばれ!『桐島、部活やめるってよ』の基本的解釈。 - ゾンビ、カンフー、ロックンロール

    『桐島、部活やめるってよ』について、人の感想を読むのが面白い。 かなり親切な作りですが、スッキリとしたオチめいた物を提示していないので、憶測が憶測を呼び自由な解釈をしている人も多く、多種多様さが楽しいのです。しかし、中には「全くわけが解らない?」と言う人も多いのです。そこで、『桐島』を理解するための基礎的な解釈をしてみようかと思います。当然ながらオチ(的な話)にも言及しますので、まずは劇場で『桐島、部活やめるってよ』を観賞をした後にお読みください。エントリは高校生に読んで欲しいです。読んでないと思うけど…… 『ゴドーを待ちながら』 作にはタイトルロールになっている「桐島」は登場しません。「桐島がいない」というのがドラマの軸になっています。これは舞台劇『ゴドーを待ちながら』のオマージュだと言われています。 『ゴドーを待ちながら』は1952年に発表された戯曲で不条理劇の傑作だとされています

    ネタばれ!『桐島、部活やめるってよ』の基本的解釈。 - ゾンビ、カンフー、ロックンロール
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