下村博文元文科相が講演会で「日本のメディアは日本国家をつぶすために存在しているのか、と最近つくづく思う」と発言していたことが、共産党が23日公表した音声データで分かった。
先日の ザ・ボイス そこまで言うか!というラジオ番組で評論家の宮崎哲弥がこんな事を言っていた 実際にここで聞ける(15分辺りから) http://www.1242.com/program/voice/ 軽減税率の対象品目に加工品を含めるかという議論が続いているというニュースに対して 宮崎「率直に申し上げますがこれは全部プロレスです 党税調と内閣が、あたかも何か3000億~8000億の綱引きで対立しているかのように見えますが これはもう完全に国民の目をそらさせるためのプロレス、芝居 これを新聞の一面とかに書いている新聞社とかも全部グルです…… っというと陰謀論みたいに聞こえるでしょ、でもホントなの だって言ってるでしょこの番組でずーっと、3週間か4週間前から 新聞、こそっと、いれられますから! もう、これ決まっていることですから! ですから、大手町の新聞社と竹橋の新聞社と信濃町の宗教団体が決
行く気どころか興味関心もないロンドン五輪についてなにやらこのような記事が出ているわけであるが(「IOC委員もブチ切れたヒースロー空港、本当の"悪夢"はこれから?」MSN産経ニュース)。 ヒースロー空港と英国政府は、空港の職員を増員させて対応するとしているが、それにも限界がある。そして、最悪の"悪夢"は、ズバリ8月13日の月曜日。五輪閉会式の翌日だ。ヒースロー空港は通常、1日に9万5000人の出発客を扱うが、8月13日の出国客は13万8000人にも上るとみられている。出国審査がこれほどの人数をスムーズにコントロールできるのかは大いに疑問。本当の"悪夢"はこれからかもしれない。 ヒースロー空港って出国審査ほとんどやってないような気がするんだけど。一応セキュリティチェックの先に窓口はあるけど閉まりっぱなしで、パスポートにスタンプも押さない。入国審査の厳しさとは対極的だよねえという評判もあるはず。
以下、日経の大林尚記者のコラムだ。結構ふざけたことを言っているが、これは経済保守派のホンネだろう。同じような意見を持つ財界人、評論家、マスコミ人は多いのではないか? 民主政治は最大限に尊重されなければならない。だが国や国民が重大な危機に瀕している時は、民主的と言えないやり方にも羨ましさを感じることがある。 シンガポール政府が22日に公表した経済回復パッケージは、現行18%の法人税率を下げて17%にすることである。いうまでもなく「国の競争力を維持する」のが狙いだ。日本では産業界の税負担を軽くすることは不人気政策の代表だ。野党はおろか与党にさえも反対を唱える議員が少なくない。 シンガポールは国会の議席の圧倒的多数を与党議員が占める擬似独占国家だ。 〜中略〜 むろん日本は非民主的なやり方を取れない。活路を見出すなら、与野党が党派を超え救国政策を立案、実行する努力ではないか。 例えば自国の競争力に
麻生太郎首相は22日昼、首相官邸で記者団に対し、執務終了後に高級ホテルなどで会合を繰り返し、批判が出ていることに関し、「ホテルは安いとこだと思っている。たくさんの人と会うときにホテルのバーは安全で安いところだ」と述べた。ぶら下がり取材の詳報は以下の通り。【6カ国協議】 --6ヵ国協議の枠組みの中で北朝鮮への重油支援は、日本は拉致問題が進展しない限りしないということで、米国がオーストラリアに日本分の肩代わりを打診しているという報道がある。その一方で、北朝鮮は日本に6カ国協議から出て行けと主張しているが、日本の6カ国協議内の立場が弱くなっていると見受けられるが、それに対する首相の考えを「それは違うと思いますね。はい、それから」 --この状況で拉致問題の解決の方針、戦略が変わっていくようなことはあるのか「ちょっと、二者むりやり結びつけてひとつの質問にしようとしているから分けて質問した方がいいよ」
【議員会館】 〒100-8981 東京都千代田区永田町2-2-1 衆議院第一議員会館301号室 電話:03-3581-5111(代表) 政治家の見立てはむずかしい。麻生太郎というひとを見ているとつくづくそう思う。重心が高く、それゆえに失言が多い――。これが日本の政治ジャーナリストによって描かれてきた麻生太郎像だった。だが、外交を委ねられたこの保守政治家はいま、これまでとは違う貌を見せ始めている。にもかかわらず、メディアは使い古したプリズムで同じ見立てを流し続けている。 麻生自身も多くの責めを負っている。メディアとまったくといってよいほど対話ができないのだ。少年時代に祖父である吉田茂首相のもとにおしかけた政治記者たちのバーバリズムにすっかり嫌気がさしてしまったためだという。本人も「新聞は読まない」と言うほどだ。このため講演会ではつい聴衆と直接対話を試みてしまう。それは間接民主制の煩雑さに耐え
祖父・吉田茂の言葉 手嶋 大臣は、まさに吉田総理のすぐ傍らにおられて、当時の最高の国家機密を聞いていた。それを取材に来た大物記者たちのふるまいに嫌気がさして、それ以来、メディアとのコミュニケーションができなくなったという指摘もありますが。 麻生 いやいや、あの頃吉田番として本当に入り込んでいた記者というのは3、4人ですから。朝日新聞の小島安信さんとか、皆独特の人でした。 あれ、記者にこづかれてマスメディアが嫌いになったんじゃなかったんですか。 手嶋 そういった方々は、みな本当の意味で書かない大記者ですよね。 麻生 絶対に書かない。吉田茂は長く海外にいて、戦争がはじまったら情報が遮断されてしまい、基本的に国内のことにはまったく無知だった。それがいきなり昭和21年に大命降下みたいな形で内閣総理大臣になった。新憲法下での初めての選挙が昭和22年の片山内閣のとき。どの政治家がどうだなんてまったく知
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