飛行機の中で赤ちゃんの泣き声がどうたらこうたらという話を眺めていると、ああこれは理屈ではなくて感覚の方の話、つまり強迫性障害である自分に近しい世界の話なんだろうなと漠然と感じた。「赤ちゃんの声が五月蝿い」。なるほど言葉で言ってしまえばこんな考え方は人の道を外れたクレーマーそのものに感じられるけれど、では立場を逆にして、「赤ちゃんの泣き声を生理的に受け付けない人間」というものについて考えてみると、見方は少し変わる。黒板を爪で引っかく音を想像してみるといい。あるいは、アルミホイルを丸めた時のカシャカシャする音を。ああいうレベルの生理的な不快感をこの赤ちゃんの泣き声に感じ取る人がいるとしたら、その人にとって、赤ちゃんの近くで過ごす飛行機の旅というのは中々壮絶だ。我慢すればいいって?もちろん我慢はする。でも、何の行動もせず、そこに平然と座ったまま体裁を取り繕う事はまず無理だろう。さっきの不快な音の