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  • 東京大空襲から2日後、官僚御用達のレストランの食事は豪華なままでしたー戦時下の格差実感|信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)

    戦時下でも人々の格差はさまざまにあったと言われますが、なかなか具体的な話は残らない物です。1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲から2日後、2024年からみて79年前のきょう、1945年3月12日、長野県平野村(現・岡谷市)出身の童画家、武井武雄は、貴重な作品を「戦中気侭画帳」に残してくれました。 1944年9月から1945年8月まで、東京と故郷での暮らしを描いた 武井武雄も、東京大空襲を目撃しています。幸い自宅は燃えませんでしたが、建物疎開のため壊されることとなり、故郷に引き上げる目前のことでした。 東京大空襲は何ページにもわたって描かれています その武井武雄は空襲2日後に開かれた「日少国民文化協会」の理事幹事長会議に出席するため、新橋駅にある東洋軒に出向きます。余談ですが、この協会も国策協力のための組織で、愛国イロハカルタをつくるなどしています。途中で見える風景は、一面の焼け野

    東京大空襲から2日後、官僚御用達のレストランの食事は豪華なままでしたー戦時下の格差実感|信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/03/19
    "なぜ東洋軒がこれだけの品を出せたか""役人が国家の施設を、決戦輸送だ何だと掛け声を挙げながら、自分たちのために利用していたのです。武井武雄は文部省管轄の協会の会議に出たからこそ…" →ブクマ。
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