空襲被害に遭い千葉に疎開、高校時代にはたった1人で自動車を自作―。「故郷のジャガー星に帰還した」と10月に突如発表し、世間を驚かせた千葉のご当地ミュージシャン、JAGUAR(ジャガー)さんが「帰還」前に執筆した自伝が17日、出版される。自ら制作した音楽番組を千葉テレビで毎週放 ・・・ 【残り 1240文字、写真 1 枚】
今年8月に宅八郎さんがお亡くなりになったことが発表になりました。プラスチックスの大ファンで、一時はミュージシャンとして小山田圭吾くんたちとともに立花ハジメバンドのメンバーでもありました。DJとしても「宅ザイル」として、玄人を唸らせる選曲とトラックメイキングを見せる一面もありました。 — 熊谷朋哉 (@tomoyakumagai) December 3, 2020 Twitterのタイムラインに宅八郎氏が亡くなったと上がってきた。これは実は生きていて「宅八郎死亡説が流れた」なんてことになるネットの祭りなのかなと思った。しかし複数の人が同じ内容をツイートしているところを見ると、どうやら本当のようだ。 宅八郎は1990年に「オタク評論家」と言う肩書きでテレビに出始めた。1989年に幼女連続誘拐殺人事件があり「オタク」という呼称は蔑称の意味合いを強く含んでいる中での登場だった。 宅八郎を知ったのは
言葉には言霊という霊的な力があって、口にした言葉は現実になると言われています。だから嘘でもポジティブな言葉を口にしろ、と数々の啓発本には書かれていますが、嘘をつくのもなんなんで言いますけど、40代に入った頃からかな? 仕事がゆる~りと減り始めました。テレビの世界に入って、一度も手を抜いたことはありません。なのに減るのです。流行り? 運? 好感度? ネットには「面白くない」「消えろ」「消えた」…… 私は独身です。旦那も、子供も、彼氏もいません。わかりやすく私を必要としてくれる人が側にいません。年齢に比例して増えてゆく休み、そりゃ不安になりますよ。長い夜、思っちゃいますよ。「私は誰にも必要とされていない」と。 ©文藝春秋 ネットには「面白くない」「消えろ」「消えた」無責任な言葉が溢れています。私は、顔も名前も出さない奴らの憂さ晴らしのためだけに生きているんだ……。28年やってても頑張り方すらわ
日本一有名なホストクラブ、新宿・歌舞伎町の「クラブ愛」で5年間、ナンバーワンホストとして君臨し、芸能界に転向してからは“カリスマホスト”キャラでバラエティーに引っ張りだこだった城咲仁さん(37歳)。襟足が長い茶髪にスーツ姿が懐かしい。今どうしているのか。 「ホストってお客さまに夢を見ていただくのが仕事ですからね。寝ても覚めても、“歌舞伎町のナンバーワンホスト・城咲仁はかくあるべし”って生活をしなきゃなりませんでした」 新宿区内にある所属事務所で会った城咲さん、まずはこう言った。「かくあるべし」のため、移動は1400万円の新車ベンツ、豊島区内の家賃40万円、4LDKマンションに暮らし、年収は1億円を超えていたとか。 「一晩で2500万円稼いだこともありましたよ。でも、だんだんおかしな現象が起き始めた。韓流のヨン様みたいに、“仁様、仁様”と呼ばれ、“おカネを持ってきたので、隣に座っていただけま
こんにちは!オタクです。 推しの数だけ、オタクがいる。オタクの数だけ、推し方がある。 私もそのオタクの1人であり、いわゆるTOってやつでした。 月に1、2回のイベントのために、来る日も来る日もバイトバイトバイト。授業は切って単位は現在ギリギリ、就活の準備も程々、体調不良も重ね続けているのに、お金はいつもギリギリ。 でもそれでも楽しかったんです。元推しがいたから。 今思い返せば、人としてどうなの?って思う部分は沢山ありました。 お花もプレゼントも手紙ですらも1回も「ありがとう」って言われたこと無かったし、Twitterの更新もまちまち、同じ週の別々のラジオ番組で全く同じ話するし。 自分で「自己満足で見返りを求めてないから、お花とかプレゼントのお礼なんていらない!」なんて強がっていたけど、他の芸能人の方はちゃんとお礼もいうし、いつも応援してくれる人には多少特別対応してくれるみたいですね。この間
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高木 ああいうの大好きなの。作った人に感謝してるんだよ。 ―― メンバーが揃うのを見るのは、ファンとしてもうれしい限りです。 高木 今の人の笑いのセンスもすごいと思うけど、僕らは全部、体を張ってやってきたからさ。どんな転び方したらいいのかって考えたりして。タライもそうだよね。まさか80歳を超えてタライを落とされるとは思わなかったけど(笑)。 ―― 今日は、ミュージシャン時代から『8時だョ!全員集合』まで、芸能活動全体のお話を伺いたいと思っています。まずは、ドリフターズとの出会いから教えてください。 高木 僕は途中から加入したメンバーで、ドリフとはジャズ喫茶で知り合いました。そのころのジャズ喫茶は、30分交代で2つのバンドが出るんですよ。僕らのバンドが出たとき、その相手がドリフだったことがあったんです。 僕はドリフに引き抜かれたんです ―― そのときのドリフには、いかりやさんや加藤さんは?
平日は大阪の会社でサラリーマンとして働き、週末はアイドル現場に通うべく全国を飛び回っています(平日でも夜に行われている現場には足を運びます)。特に多いのが東京への遠征。金曜の夜に仕事を終えそのまま夜行バスで東京へ行き、日曜の夜に再び夜行バスで大阪へ戻り、月曜の朝に出勤する……ということもしばしば。 そんな私が2016年に通った現場の数は401でした。「1年は365日しかないのにおかしいだろ!」と言う人もいますが、週末に朝から晩までライブやイベントに参加しているとそんなにおかしな数ではありません。ちなみに2015年は「アイドルネッサンス」に大ハマリしたこともあり、トータルの現場数は466にふくらみました。
元日本フィギュアスケート界のスターで、「氷上の女優(アクトレス)」と呼ばれた村主章枝(すぐり・ふみえ)さん(35)の今の生活が、悲惨過ぎると話題になっている。 年収は普通のOLよりも少なく、地方のホテルを転々としながら食事はコンビニのサラダだけで済ますことが殆どという極貧生活。人前への露出はというと、週刊誌のヌードグラビアに登場したり、バイセクシャル(両性愛)を公言し、性別を超えた恋愛を訴える講演会に出たりしているのだという。ネット上では「なんでこうなった?」などと驚きが広がった。 ■「地方のホテルを転々とする極貧生活を送っている」 そんな村主さんの今を紹介したのが、2016年12月6日未明(5日深夜枠)放送の番組「あの天才のその後...今を追跡してみました」(テレビ東京系)。村主さんといえば、2000年初頭に日本で最も活躍したフィギュアスケート選手の一人で、03年には日本人として初
森田さんを初めて見た時、「あっ、この人はいつか辞めるんだろうな」と率直にそう思った。人を寄せ付けないオーラを振りまき刺々しいし協調性も0。グループの和を乱す良い例だと思うほど、誰がどう見てもグループとして活動するには向かないタイプだと思った。昔は金髪ロン毛の細眉やピアスに腰パンなど、アイドルらしからぬ風貌だった。見た目通り口も悪く、自己中心的で周りも振り回されて大変なんだろうなと思っていた。デビュー当時は坂本さんと仲が悪かったようで、言葉遣いや礼儀などを注意されても耳を傾けることなく、1年半無視し続けていたと言う話を聞きそりゃねえだろと思ったし、とにかく悪い印象しかなかった。 しかしながら20年経った今もV6の一員として森田さんはいる。辞めるどころかメンバーから「うちの天才なんですよ」と外で誇らしげに自慢されるほどのカリスマ性を持ち尊敬されている。岡田さんは生まれて初めて出会った天才が森田
■前編はこちらから ――そこで「局アナとしての役割を演じるのが職責だ」と理解しつつも、疑問を感じていたわけですね。 「”何かを伝えたい”と思ってアナウンサーという職業を選んだはずだったのに、実際にやってみたら全然違ったんですよ。『オマエの考えていること、言いたいことは封印して、言われたことだけを伝えろ』っていう仕事なんだって、入ってから気付きました。これはどうも私が素人頭で考えていた、”何かを伝える”っていうのとは違うぞと。だから結局、テレビでいくらしゃべっても、どんな人が見てくれていて、見た結果なにを思ったのかなんてほとんど分からないわけですよ。ホント、視聴率くらいしか手掛かりがない。そういう「伝わった、伝えたつもり」で、堂々と高いお給料をもらって『私たちは情報の伝え手である』とか言うアナウンサーの立場が気持ち悪かったですね。もちろん、キレイな若いお姉さんがキレイな日本語で、誰からも好か
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