1931年に、東京市議会で築地市場建設を認可、着工。1933年に竣工した。そのとき導入したヨーロッパの市場を真似て導入した水はけのよい石畳は、現在も一部残っている。 そして1935年の2月11日、東京都の中央卸売市場として、築地市場が開場した。当時は鉄道が物流の中心であり、「東京市場駅」という国鉄の貨物駅が市場内に設置され、荷下ろしの場所がせり場になった。現在まで残るカーブした場内の形状や橋梁、アスファルトから顔を出したレール、荷積み場の段差は、その名残りだ。 1940年ごろには戦時体制に入り、生鮮食品の価格が一定に定められ、配給割当制に移行。市場から「せり」が不要になり、築地市場は配給拠点になった。 終戦後の1945年からは、市場の4分の1ほどがGHQに接収され、駐車場や洗濯工場として使用されていた。1950年には水産物の配給割当制が撤廃され、「せり」が復活した。 戦後の復興期から高度成