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秋葉原無差別殺傷事件に関するhyaknihyakのブックマーク (6)

  • 森永卓郎「加藤容疑者はアキバ系だったから犯行に及んだのではない、むしろその逆だ」

    欧州が先行する形で利用が進むMaaS(マース)と呼ばれる次世代の新交通サービスを巡り、2019年から日でも企業の動きが活発化する。スマートフォン(スマホ)の専用アプリに目的地を入…続き 急がれるプラットフォームづくり 課題は各社の連携 [有料会員限定] トヨタ、MaaS自ら手掛けず 体面捨てた逆転手 [有料会員限定] 小田急が移動サービス開発へ 電車・バス・カーシェア連携 モビリティー革命、「2035年に市場1兆ドルに」 [有料会員限定] MaaSと働き方改革は融合 マイクロソフトの確信 [有料会員限定]

    森永卓郎「加藤容疑者はアキバ系だったから犯行に及んだのではない、むしろその逆だ」
    hyaknihyak
    hyaknihyak 2008/06/23
    どさくさにまぎれて綾波萌えを暴露している森永かわいい
  • 格差社会という虚構の絶対化 | 社会学玄論

    現在日社会を格差社会と位置付ける学者たちがいる。格差社会は、二極化社会とも呼ばれたりする。(正社員/派遣社員)、(勝ち組/負け組)という二極化された区別コードによって創発された社会観である。 しかし、別の区別で観察すると、格差社会論は無意味化する。例えば、(日/外国)という区別で観察すると、日よりも格差が大きい社会はいくらでもあり、日は格差社会とは言えなくなる。また、前近代の身分制社会と比較すると、現代のほうが格差がない社会である。では、格差社会は、どの社会との区別によって格差社会足りうるのだろうか?おそらく、高度経済成長期の一億総中流社会と呼ばれていたころの日社会との区別において格差社会と呼ばれるにすぎない。格差社会論も絶対的なものでなく、観察地点によって異なる相対的な社会観なのである。格差社会論は、一つの社会解釈の枠組=社会観であり、社会的事実そのものではない。自己の観察点に

    格差社会という虚構の絶対化 | 社会学玄論
    hyaknihyak
    hyaknihyak 2008/06/18
    動機や個人の事情を社会の全般にあてはめようとする行為にはある種の狂気を感じる。
  • 某全国紙に掲載されるはずだった秋葉原通り魔事件のコメント - MIYADAI.com Blog

    某全国紙に掲載されるはずだった秋葉原通り魔事件のコメントが、地震で「とび」ましたので、かわりにこちらに掲載します。 **************************************************************** 社会学者の宮台真司・首都文学東京教授(49) は携帯サイトの書き込み内容からこう分析する。 『現実でも一人。ネットでも一人』『みんな俺を避けている』などの書き込みから見ると、加藤容疑者は社会に居場所が見つけられない不満を強く感じている。背景には若者文化の変質があろう。 かつては人づきあいが苦手な若者たちの『もう一つの居場所』が若者文化の中にあり、秋葉原もその象徴だった。今はオタク文化もネット文化もまったり戲れる場所。被害者の一部がそうだったように秋葉原も今は友達と連れ立っていく所だ。友達がいない者には秋葉原でさえ居場所にならない。 他方『県内トップ

  • http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20080614-OHT1T00086.htm

  • あの秋葉原の殺人犯って、案外、フツーの人だね。- はてな匿名ダイアリー

    ニュースを見ていた。犯人がいかにイカレた人間で、イカレたNET上でおかしな事を発言し、アニメやネットオタクは危ないだの、ナイフを規制しろだのと言っている。犯人の生い立ちや最近の言動なども紹介され、キチガイ青年だと言わんばかりに不安を煽る。 一通りのニュースを見て、一緒に見ていたお袋とカミさんがどちらともなく言った。「なんか別に、フツーの人っぽいね」「とんでもない人物のように言われているけど、殺したりした事を除けば、他はそこらへんにいる人と同じじゃない?」びっくりした。 実は、自分も同じように考えていた。自分はあの犯人とは今でこそ違うが、犯人と同じ年齢の頃は、考え方や言動などはほとんど同じだ(自分は今34歳)しかし、その思いをクチに出す事はしなかったが、自分を見てきたお袋やカミさんは同じ臭いを嗅ぎ取ったのかもしれない。 ワープア状態だったのも同じ、趣味嗜好もきっと同じ、派遣で全国転々としてた

    あの秋葉原の殺人犯って、案外、フツーの人だね。- はてな匿名ダイアリー
  • あのころは加藤智大がいた - 過ぎ去ろうとしない過去

    オタクを叩くマスコミ叩きに余念が無いはてなオタククラスタのみなさん、いかがお過ごしですか。まあ卒業文集引っ掻き回してまで「オタクの」「心の闇」を探し出そうとしたり、両親連れてきて人身御供にしたりするマスコミに怒るっていうのは、正当であると思います。 しかしですね。そのやり口はどうなんでしょう。普通のオタクは良識のある市民であって通り魔などしないだとか、両親は悪くない大人なんだから全責任は容疑者に、とか言ってませんか? ぶっちゃけ、容疑者を切断処理してませんか? いや、今いろいろなところでやたらなされようとしている秋葉原の「神聖化」にそうしたものを感じざるにはいられないのです。 通り魔は「神聖な」秋葉原に「穢れ」をもたらしました。ゆえに、清めなければいけないというものです。 僕は、(通り魔事件のせいで)秋葉原に怖くて行けない感性というのがあまり理解できないのですけど、その真逆、つまり「我々は

    あのころは加藤智大がいた - 過ぎ去ろうとしない過去
    hyaknihyak
    hyaknihyak 2008/06/13
    オチで自己矛盾が
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