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考え方と自殺に関するihokのブックマーク (3)

  • 死にたさが出てきたときの処方箋としての思想

    はじめにある人間に「死にたさ」が上がってきたときに、それを打ち払う便利な思想を自分の人生経験から編み出したので、それを紹介したいと思う。 これは自分はリアルでたくさん言っているのだがなかなか言うべき機会も少なく、普及しないので増田にも書いておく。 いってみよう! 仮に10億円あっても死ぬかテストこれはもっとも重要なテストだ。80%程度はこれで解決する。 「仮に10億円あってもまだ死にたいか?」と自らに問うてみて、直感的に出てきたその答えについて分析する手法だ。 「死にたさ」が上がっているときは「そんな夢みたいな荒唐無稽な話を聞かせてくれるな」などと言い出す人が多いが、それはすなわち「それが叶うなら生きてもいい」という証である。 ほとんどの問題はこれに帰着する。金があっても死のうとする場合は衝動的なものか、金持ちの道楽のようなものである。 「もし10億円あるなら死なない」という答えになった場

    死にたさが出てきたときの処方箋としての思想
  • ぼくが自殺を決行した話をする

    今だからあんまり気負わずに言えるけど、当時は人生に対して切実な思いを持っていた。もちろん自殺には失敗したから今生きている。 当時、ぼくは20歳でニート生活をしており、よくわからないまま何の目的意識もないまま、とにかくこの先の人生に絶望しながら生きてきていた。 ぼくはそのとき大学を中退してそれなりの年月が経過していた。大学に行ったのも特に目的は無かった。働きたくないし勉強もしたくなかったが、親が金を出してくれるということで、自分の人生に対して責任というものがなく、ただ言われるがままに進学をしていた。受験勉強は全くせず高校時代は家で勉強をしたことはなかったが、学校の授業を高校1年生から2年生まではしっかり受けていたこともあって、受験は成功し、ランクは落としたが大学に進学した。それでもそこそこの国立大学には進学したので、ぼくは同級生のほとんどを見下していたように思う。 大学に入ったときは「遊びま

    ぼくが自殺を決行した話をする
  • 母親失格(追記あり)

    小学生の娘との何気ない会話で突然、 「痛いのとかいやだから死にたくないだけで、 痛くないんなら別にもう死んでいい」 みたいなことを言われた。 小学生で死にたいって。 娘がそんな気持ちになるほど、 生きることにつらさを感じていること。 自分のような者が母になってしまったことに最大級の罪を感じる。 自分も、小学生の時から、楽に死ねるものなら今すぐ死にたいと思っていた。 人に馴染めず、劣等感のかたまりで、生きているだけで周りに迷惑をかけていると感じていた。 今でも、困った問題がある度に、 ここで自分が死ねば解決するだろうかと妄想にふけってしまう。 実際、自殺したら地獄に落ちるとか、 生まれ変わって来世で苦労するとか、 そういう宗教的なもので自殺を踏みとどまる人も多いと思うが、 自分は信じていない。 人より劣る自分が、 恥ずかしいとか、 情けないとか、 申し訳ないとか、 あと、痛みとか苦しみとか、

    母親失格(追記あり)
    ihok
    ihok 2016/06/01
    自分も子供と似たような感覚を持っているが、それは『積極的に死にたい』ではなく『生きることに執着しない』というだけだと思う。考えすぎな面もある気が。
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