なぜ誰もやらないんだと嘆くより、まずは自分がその"誰もやらないうちの一人"であることを認めよう p.91
学生エンジニアをはじめてから1ヶ月も経過していないですが、やめました。 理由は会社の代表の頭のネジがぶっ飛んでいたことが主にあげられます。 私に非が無かったと言えば嘘になりますが、少なくともこの人の下で働くべきではないと感じました。 入ってすぐに渡されたマニュアルもガバガバだし、読みにくいし、ところどころ日本語を間違えているし、その時点で少し勘付いてはいたのですが、予想をはるかに超える酷さでした。 具体的なやめるに至った経緯は、参加自由の就活イベントへの参加を拒否したことがはじまりでした。 就活イベント自体は就活生の役にも立っているだろうし、別に批判する気は無いのですが、何度参加しないと言ってもそれっぽい言葉を並べて私を参加させようとするのです。 就職は早くて4年後、スーツも持っていない、給料も交通費すらも出ない、知り合いもいない。おまけにプレゼンをしろと言うのです。 こんな場所に単身で突
「新天地に飛び出したい気持ちもあるが、今の会社に愛着があるから転職に踏み切れない……」 こんな悩みを持つビジネスパーソンもいるだろう。そんな迷いに対して、「自分も同じようなことで悩んだことがある」と言うのが、ウェブのエンジニアとして著名な伊藤直也さんだ。 伊藤さんは、新卒で入社したニフティでブログサービス「ココログ」の立ち上げに参画。転職先のはてなでは取締役CTOとして「はてなブックマーク」を開発し、グリーではソーシャルゲーム開発現場の統括を歴任した。現在は、サイト改善のA/B テストを提供するKaizen Platformで技術顧問を務める。 移り変わりの激しい業界で、傍目には常に正解と言える選択をし続けたように見える伊藤さんに、キャリア形成についてお話を伺った。 「周囲を自分好みに変化させたい」というのはエゴかもしれないと思った ――ウェブ業界ができてまだ20年も経っていないといわれま
"首都「圏」から島根「県」へエンジニア・ワークシフト2015" での講演資料です
ケニア・ナッツ・カンパニー創業者、オーガニック・ソリューションズ代表取締役社長。1939年生まれ。宮城県志津川町(現・南三陸町)で幼少期をすごす。1963年、東京外国語大学インド・パキスタン語学科を卒業後、アフリカ独立運動の父、クワメ・エンクルマに憧れて日本人初の留学生としてガーナ大学で学び、修了後はケニア・東レ・ミルズに現地職員として入社。31歳で退職し妻子を連れて日本に一時帰国。「やっぱり、アフリカで何かやりたい」と決意し、32歳で単身ケニアに戻り、鉛筆工場、製材工場、ビニールシート工場など、小規模なビジネスを次々と立ち上げ、うち一つを最終的にケニア・ナッツ・カンパニーとして世界5大マカダミアナッツ・カンパニーに成長させる。2008年に同社をタダ同然でケニア人パートナーに譲渡したのちは、微生物を活用した公衆衛生・肥料事業をケニア、ルワンダで展開。 アフリカで25万人の生活を変えた日本人
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