タグ

foodとartに関するkanimasterのブックマーク (4)

  • 江戸時代のスイカはどのようにカットしていたのかというお話|太田記念美術館

    2020年8月18日、Twitterでこんなツイートをしたところ、太田記念美術館が2012年にTwitterを初めて以来、一番多い「いいね」の数(この記事の執筆時点で3万3127人)を獲得しました。 江戸時代、すでにカットスイカはあったようです。染付の大きなお皿に、カットされたスイカが山のように積まれていて美味しそうです。ちゃんと楊枝も刺さっています。(現在、作品は展示しておりません。) pic.twitter.com/H3ZcCV9Rmi — 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art (@ukiyoeota) August 18, 2020 このツイートを書いたきっかけは、たまたま「マツコの知らない世界」(TBSテレビ)で「スイカの世界」を特集していた際(2020.8.18)、最近のスイカはカットした状態で販売されていることが多いという情報を知ったからです。

    江戸時代のスイカはどのようにカットしていたのかというお話|太田記念美術館
  • 江戸食文化紀行-江戸の美味探訪- no.18「てんぷら」

    右上には「むまさう 嘉永年間 女郎之風俗」とあります。“むまさう”は“うまそう”です。海老のてんぷらをうまそうにべている、嘉永(1848-54)のころの女郎(遊女)の姿を描いたものです。 てんぷらは漢字で天麩羅と書きますが、その起源については定説がありません。 天竺(てんじく)浪人が、ぶらりと江戸に出て来て始めたから天麩羅という『蜘蛛の糸巻(くものいとまき)』(1846刊)にある山東京伝命名説、天麩羅阿希(あぶらあげ)からという『虚南留別志(うそなるべし)』(1843刊)の説、また南蛮語のテムポラ説、テムペロ説、テムプロ説などもあります。

    kanimaster
    kanimaster 2009/09/18
    「むまさう」
  • 江戸食文化紀行-江戸の美味探訪- no.87「麦湯」

    麦湯は麦茶とも呼び、殻つきのまま煎った大麦をせんじた飲み物で、現在も夏の飲み物として親しまれています。 麦湯の名は『料理伊呂波庖丁』(1773)にも見られ、煎茶の普及していなかった江戸前期から庶民の飲み物だったようですが、麦湯の店が江戸の街頭の夏の夜の景物となったのは、文政(1818~30)の頃からといいます。 江戸後期の風俗を記した『江戸府内風俗往来』には、「夏の夜、麦湯店の出る所、江戸市中諸所にありたり。多きは十店以上、少なきは五、六店に下らず。大通りにも一、二店ずつ、他の夜店の間に出でける。横行燈に「麦湯」とかな文字にてかく。また桜に短尺(たんざく)の画をかき、その短尺にかきしもあり。 行燈の(もと)は麦湯の釜・茶碗等あり。その廻りに涼み台を並べたり。紅粉を粧うたる少女湯を汲みて給仕す。」とあります。 麦湯店には、桜湯、くず湯、あられ湯などもあり、価も安く、家の中の暑苦しさを逃れて

    kanimaster
    kanimaster 2009/09/18
    「むぎゆ」
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    kanimaster
    kanimaster 2006/12/07
    忘年会には鍋料理ですよね。
  • 1