katari_mata_katariのブックマーク (360)

  • 素人哲学のススメ - Jazzと読書の日々

    あ、買ってしまいました。 「哲学史入門 Ⅱ」。 「Ⅰ」が面白かったから、これにも期待。 近代哲学のデカルトからヘーゲルまでが今回のメインです。 デカルトは「我思う、故に我あり」とは言ってない、とか、ヘーゲルの弁証法は「正・反・合」ではない、とか、もう「へぇ〜」となるしかない驚きの連続です。 やっぱり最前線は面白い。 素人哲学とは 哲学史入門II: デカルトからカント、ヘーゲルまで (2) (NHK出版新書 719) 新書 – 2024/5/10 上野 修 (著), 戸田 剛文 (著), 御子柴 善之 (著), & 4 その他 まあ、感想はあとで書くとして、なんで哲学のを読むのでしょう。 普通に会社勤めだし、定年退職してアルバイトの立場だし、哲学しても仕事の役に立たない。 専門家じゃないからまったくメリットがありません。 哲学の知識をためてどこかで披露したいのでしょうか。 いえいえ、そんな

    素人哲学のススメ - Jazzと読書の日々
  • うまくいかないこととおこがましさ - 美輝の日記

    地域での助け合いを育むのは一筋縄ではいかないようだ。地域おこし協力隊といえど、全員がまちづくりに興味があるわけではないし、ほとんどの人は自分の周りのほんの近くのことにしか興味がないのではと思えてくる。既に何らかの取り組みをしている組織であっても、長期的な視野を持ち、自組織に留まらない未来を考えた連携というのは過度な期待なのかもしれない。 そんなことを思っていたときに、この町で15年以上地域での活動をしている方とお話した。私の目からはアクティブに器用に色々な活動を実施しているように見えていた。 けれど、「苦節十五年一筋縄ではいかないよね。心折れないでね〜。」と言われた。 それを聞いて、私はなんとおこがましいんだろうって思った。私なんてたかだか2ヶ月弱。そう簡単に地域に入り込んでうまく連携を育んだりできないよねと。 焦る気持ちもあるけど、そんな簡単にうまくいくわけないわな。悲観的になるわけでは

    うまくいかないこととおこがましさ - 美輝の日記
  • 自分から落ちに行くという心の空洞  - sixmillesmilesの日記

    3年、4年前の日記が出てきた。 誰が書いたのだろう?と思うほどに 今と頭の中身が違うと感じる。 この時期から今にかけては確かに 大変動の時期だったので、 いくつもの試練(と当時思っていた)を越えようと 必死に生きていた・・・と思う。 当時インド哲学にどっぷりはまっていて、 を読んだりヨギの話を聞きに行ったりしていたことが、 時間が経ち、 今になって繋がっている、納得するようなこともちらほらある。 その古い日記の中に、 当時ある人の書いていた寂しさについての文章を 書き出していたページがあったので、の少しここでもシェアさせてもらう。 (ごくごく一部を抜粋します) 人は 落ちること (わざと落ち込むようなこと、自分にとっても良からぬことをする、 自分をバッドな状態にする) に快感を覚えるものだ。 特に、 落ちること は、 上がること と同じくらいの快感が 簡単に得られたりするものだから。

    自分から落ちに行くという心の空洞  - sixmillesmilesの日記
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    katari_mata_katari 2024/05/09
    ネガティブに沈んでいくのは、そこに落ちていく心地よさがあるから。落ちていくより心地よいことがわかっていないといえばそう思った。
  • 水と油を混ぜ合わせる仕事 - 忘れん坊の外部記憶域

    社に来てから、会議の回数がもの凄く増えました。 繰り返します。 社に来てから、会議の回数がもの凄く増えました。 会議は嫌いです。 水と油 個人的に会議は価値を生み出さない、会議をしている間は仕事が進まないと思っているため、可能な限り圧縮・削減したいと考えています。 とはいえメーカーの社は司令塔であり、実際に実務を行う現場部署とは違い仕事を依頼する側になりますので、各所へお伺いを立てるために形式的な会議が増えるのは止むを得ません。 規模の小さい集団であればいちいち会議などしなくても立ち話程度で物事を動かすことができますが、規模が大きくなり人間同士の物理的な距離が遠くなれば必然的に阿吽の呼吸を期待できなくなりますし、さらに規模が大きい場合はセクショナリズムが生じて仕事を依頼する際の阻害となるのも自然なことです。 よって物事をスムーズに進めるためには会議の形式が必要になることもあります。

    水と油を混ぜ合わせる仕事 - 忘れん坊の外部記憶域
  • 思い出す、手を動かす【日記】

    いま命ある者たちより、いなくなってしまった者たちを思う時間が長い。 温かい日々が続き、窓から吹きこむ風が心地よい。 網戸越しに風を浴び、気持ちよさそうにするシナモン文鳥の姿を思い出す。 かつてケージがあったその場所に、無意識に名前を呼びかける。 生前、毎日声をかけていたけれど、いなくなった今もその習慣は変わらない。 時間が経つとその習慣も途切れるときが来るのだろうか。 家族との別れ【日記】 我が家の家族構成は私を含め2名と1羽だった。今年の1月12日金曜の早朝、家族の一員だったシナモン文鳥が亡くなった。「ティピ」という名の男の子だった。昨年の10月に体調をくずし、以後3か月余りの戦いのすえ、旅立っていった。もう2か月以上が経過したがその間の記憶ははっきりしない。 www.neputa-note.net 妹が亡くなって3年が経った。 妹に対しては複雑な感情が入り混じったまま終わってしまった。

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  • 【蔵書No. 39】失敗に寛容な文化を | 失敗の科学 - Tanti Anni Prima

    この世は失敗に対して手厳しい。というか「厳しくなった」が正しい表現なのだろうか。何をべたらこんな失敗に厳しい風潮が出来上がったのか定かではないが、誰でもネットを通じて情報を発信できるプラットフォームが出来上がったのが、加速の原因のひとつなのかもしれない。ただここで思うのは、失敗ってそんなに悪いことなのだろうか?世の中のこれまでを振り返ってみても、失敗はまるで穢らわしいもののように扱われてきた。学校では少しでもミスをしたら「恥ずかしい」という思いが優先し、手を挙げることができない。医者は医療ミスが起こった時に認めないケースも多々あるし、政治家は政策を徹底的に検証することもない。そんな失敗を毛嫌いしてきた我々だが、書を読むことでそのマインドは少し好転するかもしれない。失敗は「しても良い」ではなく、むしろ進歩のために「必要」。そんな捉え方をさせてくれる内容である。 読んだ ・タイトル:失敗

    【蔵書No. 39】失敗に寛容な文化を | 失敗の科学 - Tanti Anni Prima
    katari_mata_katari
    katari_mata_katari 2024/05/02
    事態の緊急性に応じて発言(アプローチ)を制御する→Probe(確認・探求)Alert(注意喚起)Challenge(挑戦)Emergency(緊急事態)
  • 変わりたくない意思もある - 語る、また語る

    ついていくことでもないとはいえ、いろいろな変化の速さについていけないと思うことがある。 ついていけないながらどうにかやっているのは、案外みんなそうなのかもと感じる。 人は変えられないとはいえ、辺りは変わっているように思われる。 自発的に変わったのか、変わること促す仕組みがあったということか、流行りというもにはよくわからない。 変わらない人に苛立ってみても、自分もところによっては変わらない人だ。変わりたくないから変わらないのだ。変わることにも変わらないことも、意思があるというところでは、同じなのかもしれない。

    変わりたくない意思もある - 語る、また語る
  • 雑談(特に結論のない話) - 寝台燈

    同年代であろう女性の日記や日常エッセイをちらっと見ると、やはりというか結婚や家族や出産、育児の話が出てきがちなわけですね。同年代の女性の文章をことさら読みたいと思っているわけではないんですが、たまに見てみますとね。(なぜちらっとしか見ないのか、なぜことさら読みたいわけではないのかはこの直後の記述に関係する) わたくしは独身、まあ今風の言葉で言えば非婚、もっと言うとそもそも恋愛・性愛そのものに興味がない、アロマンティックかつアセクシュアルというやつです。恋愛に興味がなくても結婚はしたいとか、結婚はしたくないけど子供は欲しいとか、望みは人それぞれだと思うのですけども、私は性格的になのかどうなのか結婚にも出産や育児にも興味がありません。興味を持てないと言った方がいいかな……。(もしかしたら他人そのものに興味がないのかもしれないが、この点については判断を留保したい) 自分が興味ないので、他人のそう

    雑談(特に結論のない話) - 寝台燈
  • 感情をベクトルとして捉える - 忘れん坊の外部記憶域

    常に役立つ訳では無いし誰にでも有効な訳では無いが、あるとお得な考え方。 物理の話 前段として、スカラーとベクトルについてまずは話しましょう。 と言っても理解するために可換体やらテンソルやらの専門用語が必要となる厳密な意味ではなく、もっとシンプルな高校物理でやる範囲の話です。 大雑把に言えば、スカラーとは数で、ベクトルとは矢印です。温度やエネルギーなどの大きさを表す数字がスカラーで、そのスカラーがどちらを向いているかの方向性の情報をプラスしたものがベクトルです。 例えば誰かが走っているとして、その人の質量や速度、運動エネルギーなどはスカラーです。それらに対してスカラー量がどっちの方向に向かっているかの情報を追加した量をベクトルと言います。走っている人が体重100kgであれば、[100kg]と一つの情報を持つのがスカラー、[100kg、北向き]と二つの情報を持つのがベクトルです。 もちろんこれ

    感情をベクトルとして捉える - 忘れん坊の外部記憶域
  • 特権への罪悪感 - Qana’s diary

    地域格差、経済格差、教育格差、文化、諸々の生得的属性といった要因がある人々を不利な状況に置き、ある人々には「特権」を与えている。そんな話をネットで見ない日はなかなかない。私自身、困難もあったにせよ、いくつかの面で利益を受けてきた。そうした格差が歴然と存在し、温存されているのは良いことだとは思わない。だから、恵まれた立場にいることを後ろめたく感じている。 けれど、その「後ろめたい」という罪悪感は当に当を得たものなのだろうか。たぶん、違うと思う。もちろん社会的資源は公平に配分される方がよく、恣意的な偏りが出ているのはよくないことだ。しかし、「私」という個人がその構図の中で恵まれた立場にあることに意味を見出すのは間違っている。たまたまでしかないのだから。その席に座っているのが代わりに「あなた」であっても、「どこかのだれか」であっても、やはり格差が問題であることは変わらない。そうした構造へ

    特権への罪悪感 - Qana’s diary
    katari_mata_katari
    katari_mata_katari 2024/04/26
    "「私」という個人がその構図の中で恵まれた立場にあることに意味を見出すのは間違っている"
  • 小学生に教えるために編集者歴17年の父親が本気で考えた…「きちんと伝わる文章」を書く10のコツ(プレジデントオンライン) - Yahoo!ファイナンス

  • 民主制と独裁制の比較~民主制の利点 - 忘れん坊の外部記憶域

    愚民の上に苛き政府あり、というように、民衆が愚かであれば政府は同様に愚かとなり、いずれは大きな損失をもたらします。 そして世の常として、民衆は決して賢いとはいえません。胡乱な意見に流されて誤った判断をする危険は大いにあります。私自身は民主主義の信奉者ではありますが、民衆は誤るということを否定するつもりはまったくありません、むしろ民衆は頻繁に間違えます。また民主主義は皆で議論した上で物事を決定するため、判断は遅く、合理的でないことも多々あります。 しかしそれは欠点でもありますが、利点でもあるのです。 この世で最も効率的な政治体制があるかといえば、それは賢者による独裁制であることに間違いはありません。 イメージとしては、 独裁制は水のように粘性が低い流体で、 民主制はヨーグルトのように粘性が高い流体です。 どちらが早く流れるかは明白でしょう。 独裁制における変革速度は民主制とは比べ物にならず、

    民主制と独裁制の比較~民主制の利点 - 忘れん坊の外部記憶域
  • 民主主義の強み/弱みは「話し合いが続くこと」 - 忘れん坊の外部記憶域

    民主集中制・民主主義的中央集権主義・Democratic centralism。 呼び名は様々ですが、これは共産主義政党や社会主義国家の組織原理の一つであり、組織の下部構成員が上級機関や指導者の決定に無条件で従う行動規範のことを指します。 もう少し噛み砕いて言えば「上意下達」です。投票等の政治プロセスによって得られた意志決定が全てのメンバーを拘束することを意味します。 投票や話し合いなどを経由している以上、民主集中制による意思決定は表面的には民主的なはずです。 ただ、どうにもこれが民主的だとは腑に落ちなかったため、民主的とは具体的にどのような状態かについて言語化してみたいと思います。 時間の概念 上意下達自体は民主主義組織においても表出する現象です。投票や話し合いによって決まったことを実行するためにはある程度の強制力が必要不可欠であり、下は上意に従うよう求められます。よって上意下達の有無は

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  • たとえAIに取って代わられるとしても - 忘れん坊の外部記憶域

    今を努力しない理由にはならないだろう。 視点の高低は価値の高低ではない たまには真面目風で前向き風な話をしてみましょう。 まず、長い目で見れば人は必ず死にます。 これは自然の摂理です。 では人はいずれ死ぬのだから何かを成し遂げたり築き上げたりする行動や今日のご飯をべることですら無駄かと言えば、それはどの視点で見るかによって変わります。 高い視点、それこそ地球や世界の視点から見れば無駄です。高い視点から見れば一人の人間なんてちっぽけなものであり、その人がどんな人生を歩むとも歩まずとも大した影響はありません。 しかし私たちは地球でも世界でもありません。ただの一人の人間です。 よってそのような高い視点での見解を個人に適用しても仕方がないでしょう。 「大は小を兼ねる」とはいえ、この場合の巨視的な高い位置からの視点は微視的な個人を優越するわけでもなく、マクロな視点は何か大きな意味を持っているように

    たとえAIに取って代わられるとしても - 忘れん坊の外部記憶域
    katari_mata_katari
    katari_mata_katari 2024/04/21
    未来がどうなろうと、今を努力しない理由はない。今に目を向ける数学的アプローチ!
  • まずは量ってこと - In My Head

    先日ポストしたオンラインの英語コーチングセミナーの話 結論としては、申し込みは見送ろうと思う。このセミナー自体は非常に有用なものなのだろうと推察する。しかし、現役高校生である娘に受講させるのは、違う気がする。 これは、55万円を自分の稼ぎで支払えて、かつ普段仕事や家事育児で物理的に勉強する時間が取れない、そして記憶力も衰えてきている大人にはとても良いコンテンツだと思う。 しかし、娘は部活もしていない学生である。勉強する時間などいくらでもある。「短時間で」「効率良く」結果を出す必要などないのである。有り余る時間を思う存分英語の勉強に充てれば良い。 私が引っかかったのは、これが英語の教材ではなく「コーチング」の教材であることだ。つまり、英語ではなく英語の勉強の仕方を教えるのである。それを自分で見つけることが「勉強」なのではないか? 時間がたっぷりあるのに、覚え方や学習の進め方を人から教わろうと

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  • 敬虔 - Cream Lemon Soda

    もともと、キリスト教系の大学に通っていた。 そこに格も嘘もないんだが、あの大学は実際格的で、敷地の中心に新築のチャペルが擁してあった。中に足を踏み入れると、その足音の一つひとつがチャペル内によく反響する。学生の頃にはちゃんと気づかなかったが、その足音ですら反響音がなんと美しかったろう。たまたまそう綺麗に聞こえた、というより、どんな音からも美しい音色のみを摘み取ってから、室内に注ぎ返している印象だった。音響の意匠に凝ったのではないだろうか。 薄くて柔らかで上質で、いつでも少しひんやりとする聖書の頁をめくる音と、言葉を紡ぐように静かに語りかける牧師の声。主の祈りを捧げたあとの、分厚い音が重なり合って決して途切れない、永遠に重奏し合わんとするパイプオルガンの演奏。 学内礼拝に参加するたび、何か、言いようのない澄んだ空気を感じていた。 ……と、そんな優等生なことを述べているが、実際はてんで礼拝

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  • 自分のために料理を作る - y o m u : n e l

    四月も半分が過ぎたが、なかなか落ち着かない毎日。 山口祐加 星野概念『自分のために料理を作る』(晶文社)を読んだ。他人のために料理を作ることはできるのに、自分一人のために料理を作れない人が、自分のために料理を作れるようになるヒントが色々書かれているのだが、あまりピンとこなかった。というのは私は、まったくその逆で、自分のための料理はじゃんじゃん楽しくできるのに、他人のために料理を作るとなるととたんにいやになるからだ。 前に、作りたくないのに作らされる女とべたい男という組み合わせで生活していたときはほんとにしんどかった。毎日ヘロヘロに疲れて帰って料理しているのに、なーんもしない(する気がない)でごろごろくつろいで、ただごはんができるのを待っている人がそばにいると、え、なんでわしばかりがこんな目にというネガティブ思考にはまり込んでしまう。そしてできあがった料理が、気に入らない、口に合わないなど

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  • 主張では「どうしたいか」だけでなく「どうすべきか」も必要 - 忘れん坊の外部記憶域

    先週の日曜日は引っ越す街を見極めるためにいくつかの駅を出てうろついたり不動産賃貸仲介業者に物件の紹介を受けたりなどをして過ごしました。 ケータイの充電が切れそうだったので夕方頃に住処の駅に帰ってきたところ、いつものように政治団体が演説をしているところへ出くわしました。 この駅では様々な政治団体が何らかの政治主張をしている光景をよく見かけます。今回は黒い街宣車に「憂国」と書いてあるコテコテの右翼団体です。 マイクの調整が下手なのかあるいは弁舌家の滑舌が悪いのか何を語っているかはほとんど聞き取れなかったのですが、バス停へ向かう途中にビラ配りをしていたオジサンがビラを渡してきたので受け取って見ることにしました。 違う意見かどうかは聞かなければ分からない この手のビラをほぼ必ず受け取ってしまうのが、ある意味で私の弱点です。 他者の意見を尊重するためにはまず意見を聞かなければならず、そのため恐らく同

    主張では「どうしたいか」だけでなく「どうすべきか」も必要 - 忘れん坊の外部記憶域
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    katari_mata_katari 2024/04/16
    ”内側の論理としての「自分たちがどうしたいか」だけでなく、その目的を果たすために外側の事情を考慮した「自分たちはどうすべきか」が並行して必要になります。”
  • 青春の輝き - 『半分死んでいる』

    年末年始に「全国高校サッカー選手権」というのがある。いわゆる「選手権」と呼ばれ、国立競技場で決勝を行っている”あれ”だ。僕はそれが結構好きで毎年楽しみにしている。オンラインで全試合中継・配信もされていて、予選の段階から注目選手や話題の高校に目をつけ観戦するのが恒例になっている。数年前インフルエンザにかかり寝たきり正月をおくっていたとき、たまたま決勝戦の中継をやっていて、元々サッカーは好きだったからなんとなく観始めたのが始まりだった。 その年は某強豪校がめちゃくちゃな強さで、決勝にもかかわらずかなり点差がひらいてしまったのだった。僕はもう一方の高校を応援していたのだが…残念ながら点差を返すことはできず、そのまま負けてしまった。たしかどちらの高校も優勝経験がなく、「どちらが勝っても初優勝」ということもあって会場の盛り上がりも印象的だった。負けた高校と僕はなんの縁もないのだが、テレビの前で見てい

    青春の輝き - 『半分死んでいる』
  • 「心地よい失敗経験」によって諦観へと近づくことの推奨 - 忘れん坊の外部記憶域

    私の口癖の一つに「仕方がない」があります。 この「仕方がない」が含意する諦観について、少し述べていきましょう。 「諦め」と「諦観」の違い 諦観とは「諦め」とは異なる概念です。 諦めは望みが実現できないことへの絶望や断念といったネガティブな感情を伴う行動であるのに対して、諦観は物事の質を見て取ることを意味します。 例えとして、出先で急に予定外の雨が降ったことを考えてみましょう。 その際の諦めとは、たとえやむを得ないとしても服が濡れることへの嫌悪や予定通りに物事が進まないことへの怒りのように負の感情を伴って現れます。 対して諦観は、雨が降ることはただの自然現象だと悟ることです。そこにはネガティブやポジティブに属する感情の動作は存在しません。ただそうであるから、そう受け取る、それだけです。 すなわち「諦め」が悔恨や後悔、残念に類する概念であるのに対して「諦観」は感情のトリガーを伴わない自然体で

    「心地よい失敗経験」によって諦観へと近づくことの推奨 - 忘れん坊の外部記憶域
    katari_mata_katari
    katari_mata_katari 2024/04/13
    “「仕方がない」と口にする時には、物事を残念に思ったり悔やんだりする気持ちはありません。仕方(手段)が無いのだからそれは仕方がないことだと、現状を自然体で受け入れた結果として使っています。”