中国新疆ウイグル自治区で少数民族のウイグル族らが「再教育施設」などに多数収容されている問題で、徹底的な取り締まりを指示する共産党幹部の発言記録や収容施設の内部写真、2万人以上の収容者リストや顔写真など大量の内部資料が流出した。この「新疆公安ファイル」からはイスラム教を信仰するウイグル族らを脅威とみなし、習近平総書記(国家主席)の下で徹底して国家の安定維持を図る共産党の姿が浮かび上がってくる。
これほど非常識なことを言う人物が国会議員であることに驚く。 「LGBT(性的少数者)のカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」 自民党の杉田水脈(みお)衆院議員が月刊誌「新潮45」に寄稿したものだ。 性的指向や障害によって人は差別されてはならない。先進民主主義国に共通する社会規範と言ってよい。 LGBTへの差別や暴力の解消を国連が呼びかける中、日本も積極的な取り組みを求められているのに、逆に差別を助長するような主張を与党議員が公然と展開した。 そもそも、子供を持つかどうかで人の価値を測り、「生産性」という経済の尺度で線引きするなど、許されることではない。 しかも、日本に暮らす全ての人が対象となるのが行政サービスだ。そこからLGBTだけを外せと言わんばかりであり、これはもはや主義・主張や政策の範ちゅうではない。
東京都大田区の町工場の経営者らが集まって五輪出場を目指す「下町ボブスレープロジェクト」。平昌冬季五輪で「下町ソリ」を使う契約を結んだジャマイカチームは、最終的にラトビアのBTC社製ソリを使った。 なぜ下町ソリは採用されなかったのか。ジャマイカチームは走行テストでBTC社製より2秒遅かったことを理由の一つに挙げたが、2台の条件が違いすぎ、正確な比較だったとは思わない。だが、差はあった。取材で見えてきたのは、ソリを製作する力ではなく、ものづくり志向を超えた、乗り手への「共感力」の差だ。五輪を前に、100分の1秒を縮めようと戦う選手やコーチに信頼してもらえなかったことが、残念な結果を招いた要因ではないか。
橿原市の藤原宮(694~710年)で大極殿院を造営する際に使われたとみられる石材に、日付が書かれていたことが奈良文化財研究所(奈文研)の調査で分かった。日付の入った石材が見つかるのは初めてで、調査に当たった奈文研の廣瀬覚主任研究員は「古代の工事の在り方の一端を示すのでは」と話している。 大極殿院は天皇が執務をする中枢区域で、建物の基壇には県内と兵庫県で取れる2種類の凝灰岩が使われる。日付記載の石材は「竜山石」と呼ばれる後者で、2002年ごろの発掘…
明治維新で官軍の敵対勢力を取り締まった番所が新政府による神仏分離令の徹底を図り、旧牧野村(相模原市緑区)で観音像を廃棄するなど廃仏毀釈(きしゃく)を進めていたことが、緑区原宿の郷土史家、村田公男さん(69)の調査で分かった。国内で急激に進んだ廃仏毀釈の実行役が特定され、村人の抵抗もあった事例が浮き彫りになった。村人は、丸坊主頭の地蔵菩薩(ぼさつ)立像に髪やひげをつけて神像に変装させていた。【高橋和夫】 県史編さんで多くの古文書が収集され、村田さんは埋もれた史料から代々、牧野村の名主を務めた神原家などの古文書に注目。神仏分離の動きを記した1868年の史料を精査し、神原家の当主や古老からの聞き取り調査もした。
【カイロ篠田航一】エジプト南部ルクソール近郊の古代都市テーベの埋葬地で、約4000年前の花壇とみられる遺跡が見つかった。エジプトのメディアが3日伝えた。 内部が整然と正方形の区画に仕切られ、花や植物が植えられていたと推測されている。発掘したスペインの考古学調査チームは「古代のガーデニング」の様子に…
江戸時代のイタリア人宣教師、シドッチの復顔像=東京都台東区の国立科学博物館で2016年11月8日午後2時40分、森田剛史撮影 国立科学博物館が公開 江戸時代のキリスト教徒らの収容施設、切支丹屋敷の跡地(東京都文京区)から見つかったイタリア人宣教師、ジョバンニ・バチスタ・シドッチ(1668~1714年)の遺骨を基に、国立科学博物館が顔を細部まで再現した頭像を作って8日、公開した。篠田謙一・人類研究部長は「『教科書に載っている人』を科学の力で眼前にできた。新井白石はこの顔を見たのだと、生身の人間同士の交わした会話に考えを巡らしてほしい」と語った。 シドッチは禁教下の日本に入国して捕らえられ、幕閣の実力者だった白石から尋問を受けるなどした後、獄死した。遺骨は2014年7月に見つかり今年4月、同区が発表した。DNAの分析で、現代イタリア人と最もよく似ていることが判明。文献資料などと照らし合わせ、シ
サンフランシスコ到着時について書かれた「漂流記」のページ。左から4行目に「山々うごき候」の記述が見られる=岡山県津山市の津山郷土博物館で、小林一彦撮影 津山市で昨年見つかった、19世紀半ばの船乗りによる漂流体験の記録に、米サンフランシスコの牧畜の様子が詳しく記されていることが分かった。現地は当時、ゴールドラッシュで人口が急増し、食料需要が高まった時期。大量の牛馬が放牧されている様子だけでなく、家畜の管理・売買方法、肉屋での牛の解体・精肉処理なども詳細に触れられ、日本人による最古の米国畜産リポートの可能性がある。【小林一彦】 記録は、津山郷土博物館で見つかった「漂流記」。鎖国中の1850年、備中出身の船乗り「徳兵衛」が、乗船した「栄力丸」が嵐で漂流し、米国の商船に救助されて一行は51〜52年にサンフランシスコに滞在した。その後、徳兵衛は中国を経由して帰国。帰郷後の55年に町民に語った体験を記
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