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考え方と言葉に関するkkoiroのブックマーク (2)

  • “正直”と“誠実”は、まったくちがうという話。

    紙ストローってなんか味が変になる気がするんだよね。プリントみたいな味がする。 誰かが放った紙ストローへの悪口はその喧騒へとすっと溶け込んでいった。 当たり前のように放たれている言葉だが、それは少しだけ様子がおかしい。 プリントみたいな味だなんて、プリントをべたことがあるやつしか分からない感覚だ。それを知る人は少ない。妙なことを言うもものだと印象的だった。 昼下がりのカフェは少しだけ賑やかだ。 「なんか今日はめちゃくちゃ混んでるね!」 彼女は褐色のアイスコーヒーグラスが乗せられたトレーを両手に持ち、いそいそと対面の席に腰かけた。 「それでね、さっきの続きなんだけど、すごいのよ、マッチングアプリは」 注文前に話していた話題の続きとばかりに話し始めた。正直、まだその話題が続くのかと少し笑ってしまった。 彼女はいつも煮詰まると僕に声をかける。 前回に会ったときは離婚を考え始めた頃だっただろうか。

    “正直”と“誠実”は、まったくちがうという話。
    kkoiro
    kkoiro 2022/10/04
    “正直”は結果に対する責任を負わず、ただ正直に振る舞ったと自分の中で満足する行為。内面的ともいえる。反面、“誠実”はそれによって生じる結果まで考慮して振る舞う行為。内面以外の外の部分まで考慮する。
  • 「知る」ことと「わかる」こと - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

    Leica M7, Summilux 50/1.4, RDP III, @ Tuscany, Italy 「知る」ことと「わかる」ことは違う。そんな話をこの間、大学を出て入社したばかりの新人の子とした。まっすぐで、頭のいい子だ。 その二つってどう違うって思う? そう聞くと、その子は、 「知る」というのはその言葉を知っていること、 「わかる」というのは人に説明できること、 かな、と自信なさげに言った。 ー 悪くはない。けど、それは僕の理解とは違うんだ。、、僕はそう言った。 「知る」というのはあくまで他人事(ひとごと)として、そのことを知ること。「わかる」というのは自分がその感覚も含めて、自分の感覚を通じて理解することだ、と。 いくら説明できても実体のない「知っている」は沢山ある。*1 例えば、痛いという感覚、これは痛い目に遭わないと到底理解できない。観念論で、「痛さとはつらさを感じるような不

    「知る」ことと「わかる」こと - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing
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