ブックマーク / s-scrap.com (4)

  • 第3回 馬鈴薯ビジネスのつとめ

    天気・体・社会。そこに関わる予感と予測の力。農家も流通業者も病気の人も、天気の恵みにあずかりながらも、ときに荒ぶるその流れにいかに沿うか腐心してきた。天気は予測できるのにコントロールできないという点で身体に似ている。どうやったら私たちは、天気とともに暮らし、社会を営むことができるのか。天気・体・社会の三者の関係を考える、天気の身体論/身体の天気論。 ポテチショック いつでもどこでも、べたいときにべたいものがべられる。特に都会で暮らしている私のような生活者は、ついついそのような錯覚を抱いてしまいがちです。クーラーの効いた真夏のスーパーで、冬野菜の代表である白菜を手に入れることができる。もともとは春が旬であったはずのイチゴを、クリスマスケーキのために買うことができる。もちろん旬の野菜や果物の美味しさは格別ですが、消費者の「べたい」という欲望は、夏だろうが冬だろうか、天気の条件にかかわら

    第3回 馬鈴薯ビジネスのつとめ
    kotobanoniwa
    kotobanoniwa 2021/10/05
    ”「頑張る」は、「かせぎ」という既存の競争システムと評価軸の範囲内で自分の力を使うことを意味します。しかし、それでは現状の社会が抱えている問題は解決しません。だからこそ「頑張らない」姿勢が重要...”
  • 第2回 感情とのつきあい方

    内田樹先生と三砂ちづる先生の往復書簡による、旧くてあたらしい子育て論。ともに離婚により、男手で女の子を育てあげた内田先生と、女手で男の子を育てあげた三砂先生。その経験知をふまえた、一見保守的に見えるけれども、実はいまの時代にあわせてアップデートされた、これから男の子・女の子の育て方。あたらしい世代を育てる親たちへのあたたかなエール。 第2便・A なぜすべてにそう悲観的なのか? 内田先生 お便りありがとうございます。 ご多用な中、往復書簡企画をお受けくださいまして、あらためてお礼申し上げます。便箋を取り出してペンを取っているわけではありませんが、こうして落ち着いてパソコンに向かって内田先生にお便りを書く、ということに喜びを感じます。どうぞよろしくお願いいたします。 お便りっていいですよね。メールもSNSもなかったころ、って、誰かに親しく文章を送る方法は手紙しかありませんでした。それって、20

    第2回 感情とのつきあい方
    kotobanoniwa
    kotobanoniwa 2021/06/22
    “手紙って、出した後にでも、取り返すこともできる。すごいですよね。”そうなんだ、初めて知った。すごい。
  • 第2回 会いたい。会いたい。会いたい。

    誰でも「できる」ことと「できない」ことがある。「できる/できない」の間で迷ったり、不安を感じたり、無力感を持ったりしながら生きている。レビー小体病という「誤作動する脳」を抱え、できなくなったことと工夫によってできるようになったことを自己観察してきた著者が、「できる/できない」の間を自在に旅するエッセイ。 コロナ時間(自粛要請期間)の真っただ中にやって来たのは、身内が緊急入院したという知らせだった。 「今、検査中。手術をすることになるだろう。最悪の場合は……」 文字になった医師の説明は、表情や声のニュアンスがない分、より冷酷に見え、全身がすーっと冷えていくのを感じた。 今すぐ新幹線に飛び乗って行きたい。即座にそう思ったが、それはコロナ時間が許さない。自粛ルールを破って行ったところで、面会も全面的に禁止になっているという。 最悪の場合……? そのときには、お葬式にすら出られないのかと思ったら胃

    第2回 会いたい。会いたい。会いたい。
    kotobanoniwa
    kotobanoniwa 2020/08/12
    “頭に描く理想と目の前の現実は、いつだって違っている。こんなはずじゃなかったと思う日々が積み重なって、いつのまにかそれが自分の半生になっている。”
  • 第1回 できる人には、できない人が、なぜできないのかわからない

    誰でも「できる」ことと「できない」ことがある。「できる/できない」の間で迷ったり、不安を感じたり、無力感を持ったりしながら生きている。レビー小体病という「誤作動する脳」を抱え、できなくなったことと工夫によってできるようになったことを自己観察してきた著者が、「できる/できない」の間を自在に旅するエッセイ。 「コロナ時間」が明けるとニュースが伝えている。5月25日に扉を開くので、家から出てもいいという。突然「いい」と言われても、どのくらい安全なのか、危険なのかも見えない私は、扉の前に立って、きょとんとしていた。 私にとっては、ずるずると這うような、それでいて、何をしたのかもわからないうちに1日が終わっていった「コロナ時間」。長かったのか短かったのかもよくわからない。 集中治療室にいる人々にも、その家族にも、命をかけて働いていた人々にも、仕事も住む場所も奪われ屋外で眠るしかなくなった人々にも、学

    第1回 できる人には、できない人が、なぜできないのかわからない
    kotobanoniwa
    kotobanoniwa 2020/07/30
    "世の中には、自分よりもできる人たちが無数にいる。いつの間にか年をとったけれども、自分は下っ端だという意識だけは変わらない。若くて健康だったときには当たり前のようにできていたことが、もう、できない。"
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