王道ファンタジーとJRPGのテンプレを使った上で、少し芯を外して独特の魅力にしてる作品じゃん? でも王道ファンタジーとかドラクエ知らない世代がフリーレンみたら、あれがファンタジーの基本みたいになっちゃうんだよね? なんかモヤモヤする
雑です 世代を「そのアニメが放送されていた年に14歳前後」とする 近年はバラけているので難しい 追記:ちょっと増やしたよ 追記:フルーツバスケットは見たことないんだけど、アニメグランプリに入ってたんだよね ラムちゃん世代1981〜1986-14=1967〜1972年生まれ、つまり51〜56歳 浅倉南世代1985〜1987-14=1971〜1973年生まれ、つまり50〜52歳 響子さん世代1986〜1988-14=1972〜1974年生まれ、つまり49〜51歳 らんま・茜世代1989〜1992-14=1975〜1978年生まれ、つまり45〜48歳 ナディア世代1990-14=1976年生まれ、つまり47歳前後 (ただし再放送が多い) セーラームーン世代1992〜1996-14=1978〜1982年生まれ、つまり41〜45歳前後 綾波・アスカ世代1995-14=1981年生まれ、つまり42歳前
これまで株とか投資信託、外貨とかの投資は一通りやっていて、旧NISAや新NISAも当然やっているわけだが、最近のNISA推し、特に「脳死でオルカン積み立てておけばいい」という風潮には違和感がある。 脳死でリスク資産にお金を突っ込んでいたら、文字通り死ぬのでは? 20年先、30年先の未来は無い前提として、お金は使うために貯めるのであって、使う時には現金化する必要がある。 子供や配偶者がいれば、マイホームとか教育資金で早めに必要になるけど、40代独身中年がターゲットにするのは、定年や再雇用のタイミングの60歳〜65歳。 そうすると、短ければ10年ちょっと、長くてもあと20年しかないわけで、暴落しても20年、30年待てばいいということにはならない。 現金化するタイミングで底が来たらゲームセットワーストケースとしては定年直前に株価のピークとリセッションが来るケース。その場合にリスク資産が100%だ
水星の魔女の小林寛監督のインタビューを読んだんだけど、小林監督は就職氷河期末期の世代だそうで、 コロナ禍における「ブーマーリムーバー」のムーブメントを見ながら、年配世代の存在を呪いとみなして排除しようとする論調に思うところがあったらしいんだよね。 就職氷河期世代って、団塊世代やバブル世代ばかりが良い思いをして、自分たちは負債ばかり背負わされて…という話をよくする。 ゼロ年代インターネット文化ってずっとそんな感じじゃなかった?氷河期世代が大学生だった頃かな。 でも20年経っているし、もう就職氷河期って15歳の子供がいる親になっている世代なんだよね。 水星の魔女に限らずアナザーガンダムは、背伸びをしたいティーンに向けて物語を作るんだとプロデューサーのインタビューにあった。 でも監督のインタビューが、監督は就職氷河期末期…ってことは1980年生まれくらい?なのかもしれないけど、 負債をもたらした
我が家では太鼓の達人が今ブームである。 といっても元々は私がネットで安く売っているのを見かけ、購入して夫婦で遊んでいた。 すると娘も興味を示したらしく、「やりたい」というのでやらせてみた。 最初からそれなりに上手で、横から見ててやるじゃんと思ってた。 ふぅ、と一曲を終えると「面白いね、これ」と娘が笑って振り返り、思春期真っ只中に見せるその笑顔はなんだか懐かしかった。 嬉しくなって、どんどんやっていいよと勧め、みんなで点数を競ったりなんかもして。 そして「この曲いいね」と娘が言ったのがブルーハーツの『TRAIN-TRAIN』。 なんでも歌詞が良いという。 分かる。ああ、分かってくれるのか娘よ。 ブルーハーツが大好きな私はさらに嬉しくなってしまい、それから奥にしまっていたCDプレイヤーとブルーハーツのアルバム数枚を娘に渡した。 するとすっかりブルーハーツに嵌ったらしく、今ではyoutubeでラ
子供の頃、あれは「老人は新しいことが記憶できず、昔のことばかり話すんだ」と予想してたんだけど違った なんか、記憶には距離感が無いんだと思った 1年前と5年前と10年前と15年前の記憶が並列に存在している感じ? そもそも記憶に距離感をもたせるのってどうやるんだろう? ・時系列で覚える ・◯◯はあの頃だから古いと認識する ・思い出せなさかげんで認識する ・雰囲気で認識する 結構難しいんだよね たぶんだけど、若者が記憶の距離感が正確なのって毎年イベントが多いからじゃないかな 小中高大、社会人、転職、とイベントが多いしそれに従って関わる人も変わるから 時系列が認識しやすい (あとは単純に量が少ないからとかもありそう) ただこれが30歳を超えてくるとほんとに距離感が薄れてくる、変化が乏しくて 最近は学生と話すときは、話す内容を考えて、その人が理解できるか考えてから話すようにしてる リーマンショック生
まあ迷惑な話ではあるけどそもそも公共交通機関自体が、 何やっても泣き止んでくれない赤ん坊 加齢や病気のせいなのか元からの性格なのか他人には判別不能なすぐキレる年寄り 障害か何かの理由で見た目年齢に期待できる落ち着きがなく声を上げたりソワソワ動いたりする人 みたいに必ずしも本人や当該人物を連れ歩いてる人がコントロールできるとは限らない特徴を持つ人とも乗り合わせる場所だからね 2〜3分で駅に停まるような路線なら、なんかあったら乗客ガチャ外したな〜くらいの感覚で車両か乗る電車変えるかしたらいいと思うわ もし自分があの電車に乗り合わせてたら、(あの赤ん坊いつまで泣いてんだろうな〜赤ん坊だもんな〜でもうるさいな〜……え、なんか爺さんキレだした……何この空間だる……)とか考えながら別車両に移動してるだろうな
今の世の中、選択肢が多すぎて辛い 結婚するorしない 子供作るor作らない 転職するorしない ゆるキャリorバリキャリ 他にも色々 選び放題で自由なのかもしれないけど自由って辛い 選んで失敗すると自分が嫌になるし 失敗してないかもしれない今も別の道があるんじゃないかそっちの方がいいんじゃないかって悩んでしまう 昭和って、男は死ぬほど働いて女は主婦で子供産むってはっきりしてるじゃん それがよかった 昭和ならなんにも考えずに結婚して子供産んでただろうけど今は考えることがありすぎる 世の中のせいにできない すべて自分の責任になる今の時代は嫌だ だから病んでる人多いんだと思う やること決まってない状態が人は一番辛いのかも (追記) 正しくは変革期に産まれたくなかった、かもしれない 1999年生まれなんだけど、小さい時はお金持ちと結婚することがよしとされてて 中学あたりからは女でも手に職をつけよう
同じ時期に就活した女だよ。 2000年代も確かに氷河期だけど、この増田が書いている氷河期第1世代はもう一つ忘れてはいけない不遇がある。 それは「団塊ジュニア」という、人数が多い世代だということだ。 同世代の人数がとにかく多い。つまり競争相手が多すぎて大学受験が熾烈を極めたのだ。 私は県内の公立の中でも有数の進学校に通っていたが、当時のクラス数は1学年14クラスもあった。この学校だけでなく、全体的にそうだった。そもそもこの学校に入るのも高倍率だったのだから、どれほど人数が多かったか。 1972年生まれをピークに、前後数年はそれぞれ200万人の同学年がいた時代だ。今の子供の倍以上である。 人数が多い世代だからといって、大学のキャパを急に増やしてくれるわけではない。 受験倍率は早慶レベルでも10倍超。 今みたいなAO入試などない。国公立は5教科が必須。浪人当たり前。予備校大繁盛。 「予備校ブギ」
山一證券に内定が決まってた同級生がいた世代。なので、記憶がちょっと曖昧なところもあるかもしれないが許してほしい。 山一廃業のニュースが流れた日、内定をもらっていたその人は大学に姿を見せなかった。翌日青白い顔をして現れ就職相談課へ向かったが、状況はどうにもならないようだった。 10人に内定を出していた企業は、2月になって1人を除いて内定取り消しを知らせてきた。そんなことがあちこちで起こった。 内定を取り消された者への補償など、誰も何も言わなかった。だってそれは仕方がないことだから、不況だからね。山一が倒れるくらいだから他の企業も潰れてもおかしくないだろう? そういうリスクがあるのはわかってるんだから、なんで公務員試験を受けなかった? そんな空気だった。もっとも公務員試験も教員採用試験も受けたところで採用される確率はとても低く、強いコネでもないと決まらない時代でもあった。 当時の空気感は今と全
あかほりさとるや中村うさぎのポジションに憧れていたのに、今のラノベにはそのポジションが失われている件。 あかほりさとる、中村うさぎといえば、ライトでギャグとエロ多めのいわゆるジュニア文学で絶大的な人気のあった作家である。ジュニア文学は児童文学とは明確に違う。売り場も分かれてた。レーベルは主にスニーカー文庫。残念ながら今は古本を買う以外に読む手段がない。 同じスニーカー文庫と言っても、当時のジュニア文学は現在のラノベとは地続きではない。当時はラノベ作家というより、ゲームライターやアニメの脚本家が小説もどきを書いていたようなもので、今のラノベはラノベの新人賞から始まったスレイヤーズの発展だと思う。 その後、ラノベは独自の発展を遂げる。ラノベとはこうあるべきものという型がファンや出版社により形づけられ、それをブギーポップが型破りして今のラノベは完成した。 当時、あかほりさとるや中村うさぎを好きだ
氷河期世代の人もわかってるんだろ? 年300万で命売った結果お前らどうなってる? ずっと我慢して安月給で命捧げてよかったと思ってんの? それよりは一発逆転してビジネスでもしたほうがいいよね Z世代って知識はこれまでの世代の10倍ぐらいはネットの発展のおかげでもってるから、金さえあればって人が多い でもその金は上のやつらが出し渋ってるから結果ちゃんとした対価を支払ってくれる闇バイトで稼ぐしかないってわけ お前らみたいなただ指しゃぶって待ってるだけではない世代 スマホ一つでビジネスを始められてやる気次第でいくらでも逆転できる時代 インターネットが俺らに翼を授けて、世界を一望した結果、行動力もなく口だけだった日本人が変わろうとしているこの瞬間 10年後の日本に期待してね きっといい国になってるから 追記 理解できてない人がいるから追記しておくね 銀行が、国が、投資家が若者に金を出すなら誰も闇バイ
今のインフレがアラフィフ氷河期世代の最後のチャンスだと思う。 どんどん物価も人件費も上がると何が困るか? 公共事業が止まってしまう。 デフレ緊縮で公営工事や一般事務がほぼ全て民間に競争入札に投げられてしまったが、すでに始まっているようにインフレでは予定金額が安すぎてどこも手を挙げなくなる。 公が直営でやった方が安くなるんだ。 しかし公務員、特に一般職や技能職といった底辺職は採用を絞ってきたせいでほぼ絶滅寸前だ。 そこでアラフィフ氷河期世代を大量に正規職員として雇用する。 インフレになれば税収も増えて財源はたっぷりだ。 そんな役立たずのジジババばかり集めても仕方ない? そもそも公務員の一般職技能職なんてのは民間企業では就職できないポンコツの救済の為にあるようなものだったんだ。 だから1人でできる仕事を5人かかったりするし、そいつらに人並みに近い給料を払ってたからデフレ化では面倒見きれなかった
単刀直入に言おう、俺は「うっせぇわ」と「可愛くてごめん」が嫌いだ。 「可愛くてごめん」は最初気に入って何度か聞いていたが、しばらくしてからその歌詞から漂う人格にだんだん嫌気がさしてきて、気づくと聞くのをやめていた。 その二曲の歌詞を分析していこうと思う。 「うっせぇわ」について初めて聞いた時、なんて痛々しい歌詞だと思った。この歌詞考えたやつ絶対黒歴史になるだろ。 高校生が考えた歌詞に違いない。と思ったが調べてみたらこの歌詞を書いた作曲家は25歳らしい。嘘だろ。じゃあ天才だ。 まずこの曲の歌詞の大意は、社会に出るまでに敷かれたレールに対する反抗というこれまでの音楽で幾度となく繰り返されたありきたりなテーマだ。 こういった思考は中高生に多く見られるというのは同意してもらえると思う。 しかしこの歌詞には奇妙な点がいくつも見受けられる。 「うっせぇわ」における”大人”像『ちっちゃな頃から優等生 気
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