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いい話と読み物に関するmythmのブックマーク (80)

  • 子育ては短いような長いような

    子供ふたりの結婚式を終え、諸々のことも終えて、やっとゆっくりできる時間ができたので少しネットに放流しようと思う。 上の子と下の子は10歳近く差のある兄妹で、周りの子供1人とか歳の近い兄弟家族に比べると子育ての時間は長かった。人によってどこまでが子育てになるかも違うと思うけど、私は子が社会人になって2年目ぐらいにやっと手を離れたな、と感じた。ふたりとも大学から一人暮らしをしていたけど、やはり働いて初年度はこちらもどうかなーと心配になるので、2年目で大丈夫だな、と思えた、まあ私の問題である。手を離れた、というか私が離しても大丈夫、と思えた、というべきか。 上の子が高校を卒業して実家を出た時に、ああもうこの子と一緒に毎日過ごすことはないんだ、とふと実感し泣いた夜があった。 自分の親もこういう気持ちだったんだろうか、と思って無性に両親に会いたくなった日があった。 私は20代前半で上の子を産んだし兄

    子育ては短いような長いような
  • 万城目学氏、直木賞を受賞する - この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ

    昨年、十二月二十一日のことである。 森見登美彦氏は、万城目学氏と、ヨーロッパ企画の上田誠氏との忘年会に参加した。年末の京都に清らかなおっさんたちが集う忘年会も、すでに六回目を数える。 「六回目といえば」 ということで、万城目氏が新作『八月の御所グラウンド』で六回目の直木賞候補になっているという話になった。 しかし万城目氏の顔つきは暗かった。 「どうせあかんねん」 「待ち会はしないんですか?」 「そんなもんせえへんわ。いつもどおりにしてる」 それはいかん、と登美彦氏は思った。度重なる落選にウンザリする気持ちはよく分かるが、直木賞はようするに「お祭り」なのであって、盛りあがらなければ損である。「待ち会」は落ちてからが番なのだ。落選したってええじゃないか! 「何をいじけてるんです。待ち会やりましょう!」 「なんでやねん!」 「やるなら東京まで行きますって」 「あ、それなら僕も行きます」と上田氏

    万城目学氏、直木賞を受賞する - この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ
  • 死んだらのりうつる用のぬいぐるみ。

    以前、恋人が「オレがもし死んだら、わんころべえに入るよ」みたいなことを言っていたのだけれど、私はそれを「いえ、わんころべえにはわんころべえの人格があるので」と、キッパリお断りした。 わんころべえというのは、私が長年一緒に過ごしているぬいぐるみの名前だ。 死ぬまで一緒に過ごすつもりなのに、死んだ彼の魂が入っちゃったら、わんころべえの心はどこに行けばいいのか。 許されザル事なのでノーセンキューした。 そのとき、恋人がなんだかしょんぼりして見えたので、「悪いことしたかしら」と、一緒に暮らし始めたのを機に彼の好きなキャラクターのぬいぐるみを勝手に買ってリビングに置いた。 新入りのコイツは、まっくろで、イタズラ好きらしい。 もし彼が死んだら「コイツに入ったらいいよ」と思いながら、もちょもちょ遊んでいる。 彼が帰ってくるタイミングで玄関に置いてお迎えしてみたり、彼の脱ぎっぱなしの服の前に立たせて圧をか

    死んだらのりうつる用のぬいぐるみ。
  • 彼氏に20年以上大事にしているぬいぐるみがバレた。

    共通の女友達が夕方私の家に来て、そのあとに彼が来て3人で鍋をした。 なもんで、その日の朝方、みんなが来る前に部屋を片付けているときは 「ベッドの下に隠しておけばいいか」と思ってしまったのだ。 友達とベッドに入ることはないから。 彼が泊まるなら、彼が風呂でも入っている間に いつも通りクローゼットに隠せばいい。 そう思ってしまったのだ。 自らシーツをめくって彼に披露してしまうぐらい、 私はこんなにもウッカリ者だというのに。 ぬいぐるみこと、わんころべえとは、恐らく小学校2、3年生からの付き合いだ。 近所の小さい夏祭りのバザーで売られていた犬のぬいぐるみ。 別に某漫画のキャラクターでもなんでもなくて、当にただの犬のぬいぐるみ。 白くて茶色い垂れ耳、茶色のリボンを雑に首に巻かれた、 当時から既に「少し古い印象」が漂うぬいぐるみを、 私はわんころべえと名付けて大切にした。 毎日一緒に寝た。 怖い夢

    彼氏に20年以上大事にしているぬいぐるみがバレた。
    mythm
    mythm 2021/12/14
    stand by ミーミーちゃんだ…
  • 田村淳「〈延命治療はせん〉と言い続けた母ちゃん。パンツ1枚残さず、告別式の弁当まで手配して旅立った」(婦人公論.jp) - Yahoo!ニュース

    「『なにかあった場合、うちは延命治療はせん』――。これは、母ちゃんが繰り返し僕に伝えていた言葉です。」(撮影:清水朝子) 延命治療を望まないことと、「早く死にたい」と望むことはイコールではありません。田村淳さんの母・久仁子さんは自分の病を知ったときから、大切な家族と楽しく別れるための数々の仕掛けを用意して、旅立ったのです(構成=内山靖子 撮影=清水朝子) 【写真】母の葬儀は、「僕以上の芸人魂、というか、見事なエンターテインメントでした」 * * * * * * * ◆「なにかあった場合、うちは延命治療はせん」 母ちゃんが亡くなって、もうすぐ1年になります。享年72。母ちゃんの話をするといまだに泣きそうになるし、悲しみが薄れることはこの先もたぶんない。実の母を亡くす、というのは当につらい経験ですね。 母ちゃんの左肺にがんが見つかったのは、亡くなる5年前のことです。その報告を電話で聞いたとき

    田村淳「〈延命治療はせん〉と言い続けた母ちゃん。パンツ1枚残さず、告別式の弁当まで手配して旅立った」(婦人公論.jp) - Yahoo!ニュース
  • 喧嘩する業者さん

    20年くらい前の話。 田舎から上京した貧乏学生で、 格安の木造アパートに住んでいて。 でっかいエアコンがあったんだけど、 電源をオフにする度に、「ブフゥ~!!」と、音を立ててた。 おじさんが息を吸い込むような音だった。ブフゥ~!! ある時、そのエアコンが壊れてしまって、 大家さんに相談したら、 すぐに取り替えてくれることになった。 電気代も高かったから当にありがたい。 そのエアコンの取り替え作業に立ち会ったのだけど、 チャキチャキした親方とまごまごした弟子がやってきた。 エアコンの取り外し、取り付けをしてくれたのだど、 まあ、終始喧嘩をする。 まるでコント。 親方が電話のケーブルを何のためらいもなく切った!切った!切ったのを見てしまって、「ああっ!!」と声が出た。 すぐさま、 「なんでこれ切ったんだー!」と弟子に怒鳴って、 弟子が「いや、切ったのは親方だろうが!!」と正論。 狭いワンルー

    喧嘩する業者さん
  • 過度な「写真の加工」をやめた|ぱいぱいでか美 #わたしがやめたこと - りっすん by イーアイデム

    誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、タレントのぱいぱいでか美さんに寄稿いただきました。 でか美さんがやめたのは、誰かを見返すためにコンプレックスを解消しようとすること。そして、その後コンプレックスと向き合う上で過度な「写真の加工をやめた」こと。 自分の中でコンプレックスを解消するためにやっていたことが、気付けば「コンプレックスを浮き彫りにさせていた」というでか美さん。 体験を経て気付いたことは「コンプレックスがあってもいい」「無理に完璧になろうとしなくてもいい」ということだったそうですーー。 *** くっそー!見返してやる! ドラマや漫画なんかでよく聞く台詞のようで、実は現実でも使われがちなのではないでしょうか。信じてた人から裏切られた時、好きな人に振られた時、ライバルに負けた時、理不尽な目に遭った時、などなど。わざわざ口に出す人はいないけど心の中

    過度な「写真の加工」をやめた|ぱいぱいでか美 #わたしがやめたこと - りっすん by イーアイデム
  • 「言及する」にすると、記事畳まれるんですね…。

    十年間、探していた同人誌の作者を見つけた者です。言及で追記したんですけど、なんか記事が畳まれてしまって無関係なことを喋っている謎の言及みたいなことになったのでこちらで追記します。ごめんね!! はてな初心者だから…許して…。 がね、増えすぎたの。 同人誌を入れるための棚をお値段以上ニトリで買って「うわーー!!棚作るの楽しい!!それが同人誌入れるためのものならなおさら!!!クリエイティブ!!!超クリエイティブな気持ちになれる!!!棚作るのにこんなにクリエイティブになれるなら同人誌作ってる人は普段どんだけクリエイティブなの!?」って3日かけてお値段以上クリエイティブな棚作っていたら、想定以上に反応が頂けていたのでビックリしています。問題ですこの一文でいくつクリエイティブという単語が出て来たでしょうか。配点5点。 想定っていうけど、反応かえってこないと思っていたというか、書いたはいいけど、感

    「言及する」にすると、記事畳まれるんですね…。
  • 人生で初めて英雄になった

    人生で初めて英雄になった 毎月25日に少ない給料の中でやる贅沢、王将で餃子と酢豚と唐揚げを買って帰り、家でお気に入りの皿に盛り付けてビールを飲む。 今月の25日もいつもの王将でネット予約をして受け取るためにレジに並んだ。 列が進んで、店員さんに俺が予約した増田ですと伝えようとしたその時、事件が起きた。 身長190近くあろう大男とほっそい腰巾着のようなチンピラが割り込んできた。 「これ持ち帰りの列やろ?俺ら会計」 「お会計のお客様もお並び頂いております」 「は?会計やぞ?」 関西弁の大男がイキり散らかしている 先に外に出た腰巾着チンピラに「会計も並ばなあかんらしいぞ?そんな店聞いたことある?」 腰巾着は「もう払わんでええんとちゃいます?」とイキり返す。 そこで俺は 「どこの組のやつか知らないが、お前のところの親分は社会のルールを教えてくれないのか?店には店のルールがあるんだよ。守れないなら来

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  • 弱者男性を救うのはお前だ中島

    弱者男性への救いとは、具体的に何か https://anond.hatelabo.jp/20210405201511 解決策は 「女をあてがう」「ドラッグ」「カネ」「平等」「風俗代」 …お前は何を言っているんだ? おれは昨日これを書いた増田だ https://anond.hatelabo.jp/20210405145048 やや露悪的なタイトルをつけたが ついたのはこんなコメントだ 「たのしそう」 「普通にいい人生」 「友だちいるやつが弱者男性なんて呼ばれてるの違和感あるよな」 わかるか? 弱者男性を救うのは何か? お前だ中島 お前が弱者男性を救うんだ お前が磯野を野球に誘うんだ 今すぐ磯野の家に行け 玄関で大声をあげろ 「磯野!野球しようぜ!」 …もちろん磯野は出てこない 当たり前だ 磯野も昔は野球が好きだった 今はなんJを見るだけだ グローブすら持っていない 中島、知っているか? 東京

    弱者男性を救うのはお前だ中島
  • 登園を拒否していた娘さんの手の甲にちょっとしたイラストを添えるだけであっさり登園して行った→子供の頃親にしてもらったちょっとした「支え」の話

    えま @em5884 登園拒否の娘、手の甲に「お守りね」と、ちょっとしたイラストを描いてあげることでアッサリ行けるようになった。 何が心の支えになるかはわからないし、ホントにこれのおかげとも思えないけどとりあえず嬉しい。 毎日、石とか拾ってくるのもおさまってくれて助かった… pic.twitter.com/qorNajW7Fv 2021-03-03 12:09:05

    登園を拒否していた娘さんの手の甲にちょっとしたイラストを添えるだけであっさり登園して行った→子供の頃親にしてもらったちょっとした「支え」の話
  • 全財産を使って外車買ったら、えらいことになった|岸田奈美|NamiKishida

    12月19日 追記 こちらの記事が、とんでもねえ経緯と熱量で、英語ほか10言語に翻訳されました! 英語翻訳された奇跡の舞台裏note 英語翻訳版の記事 全財産の内訳は、大学生の時からベンチャー企業で10年間働いて、したたり落ちるスズメの涙を貯め込んだお金と。 こんなもん、もう一生書けへんわと思うくらいの熱量を打ち込んで書いたの印税だ。 それらが一瞬にして、なくなった。 外車を買ったからだ。 運転免許もないのに。 「調子乗ってんなよお前」と思った人も、「どうせ“わたしのマネをすれば秒速で車が買えるんですよ”ってやばいビジネスに誘うんだろ」と思った人も、一旦、聞いてほしい。 わたしは、わたしなりに、誇らしい使い方をしたのだ。 あまりにも誇らしいので、一連の流れを12月6日放送の「サンデーステーション(テレビ朝日)」で取材してもらうことになったけど、時間が限られているTVでは、わたしの当の思

    全財産を使って外車買ったら、えらいことになった|岸田奈美|NamiKishida
  • 高速道路のトンネルで漏らしそうになった話

    クソどうでもいい話(クソだけに) 天気がよかったので始業前にドライブに行こうと思い車を走らせていたら、いきなりボコン!という音と共に車体が跳ねた。 なんか踏んだか?と思いそのまま走行したが1分ほどすると車が「タイヤの空気圧を確認してください」みたいなメッセージを出してきた。 すでにトンネルに突入してしまっていたので、抜けたところで停車するか・・・と思ってたらいきなりベコベコバコンバコンみたいな音。 こいつぁやべぇと思ってすぐに非常駐車帯に停めた。ドアを開けるとゴムが焼ける強烈な臭い。終わった・・・と思って目を閉じた。深呼吸して目を開けたら目の前にはバーストしたタイヤがあった。スペアは積んでいたが、交通量が多くて自分で替えられそうになかったので#9110に電話をする。丁寧に対応してもらった。管制センター?に伝えるから待ってろと言われたから待ってたらすぐに連絡がきた。パトロール車がくるらしい。

    高速道路のトンネルで漏らしそうになった話
  • 極私的「同人女の感情」のようなもの - あなた以外は風景になる

    これは『女子アイドルとバンドのおたくがコロナ禍で突然数年前のアニメにハマり、そのままの勢いで二次創作を漁りはじめ、人生で初めて「これは絶対に欲しい!!」と思った同人誌を手に入れた話』です。これは私の身の上に起きた実話ですが、私の視点からの一方的な話なのと、相手が特定されないようにぼやかしています。何よりこちらの方面に私が詳しくないのでそのあたりは何卒ご寛恕ください。 「同人女の感情」という作品は同人誌(主に原作ありきの二次創作)を書いたり読んだりしている女性たちの様々な人間ドラマが連作で描かれている漫画で、最初目にしたときは「へえ~おもしろーい!こういう世界もあるのね…」だった。それを今読むと、まるで我が事のように感情移入してしまうようになってしまった、このひと月ほどの話を綴っておきたい。 最初にも触れましたが私は女子アイドルとバンドのオタクをしていて、大体月に10回くらいはライブへ行き

  • 24歳の弟は、字が書けない(はずだった、怪文書を読むまでは)|岸田奈美|NamiKishida

    わたしの弟・岸田良太には、生まれつき知的障害がある。ダウン症だ。(詳しくは「弟が万引きを疑われ、そして母は赤べこになった」に書いた) 言葉がうまく伝わらない、発音もわかりづらい、みんなと同じことができない、いつもぼーっとしている。 でも、だめなところばかりじゃない。 玄関にを脱ぎ散らかし、母からいつも「あんたはムカデか」とお叱りを受けるわたしに比べ、よっぽど弟の方がきれい好きで、しっかりしてる。 難しい言葉はわからんが「ありがとう」「こんにちは」だけはハッキリ言えるので、すれ違う近所の人たちに挨拶と愛想を振りまきまくる弟は、愛されている。 先日もこのわたしを差し置き、内緒でからあげクンをオマケしてもらっていた。 わたしと弟で同じふるまいをしても、わたしは「アホ」で片づけられ、弟は「お調子者」と呼ばれる。後者がちょっと得をしている気がする。 かれこれ24年間、弟はずっとそんな感じで、楽しそ

    24歳の弟は、字が書けない(はずだった、怪文書を読むまでは)|岸田奈美|NamiKishida
  • スターライト夏目 on Twitter: "仕事帰りにコンビニ寄ったら40代くらいの女性に「すいません、〇日に小学生の男の子にスイカバーわたしませんでしたか?」と聞かれた。確かにその日仕事帰り(めっちゃ暑い時間)にコンビニ前で蹲ってる男の子にスイカバー食べさせたので「はい…… https://t.co/5t4efZlfvq"

    仕事帰りにコンビニ寄ったら40代くらいの女性に「すいません、〇日に小学生の男の子にスイカバーわたしませんでしたか?」と聞かれた。確かにその日仕事帰り(めっちゃ暑い時間)にコンビニ前で蹲ってる男の子にスイカバーべさせたので「はい…… https://t.co/5t4efZlfvq

    スターライト夏目 on Twitter: "仕事帰りにコンビニ寄ったら40代くらいの女性に「すいません、〇日に小学生の男の子にスイカバーわたしませんでしたか?」と聞かれた。確かにその日仕事帰り(めっちゃ暑い時間)にコンビニ前で蹲ってる男の子にスイカバー食べさせたので「はい…… https://t.co/5t4efZlfvq"
  • パソコン通信で難病の女性を救った話|すがやみつる

    ◆はじめに この文章は1994年に上梓した『パソコン通信で英語がわかった』という書き下ろし単行の「まえがき」として書いたものです。同じ内容の文章は、1987年にダイヤモンド社から刊行されていた「BOX」という雑誌にも書いたことがあります。 私は小学生の頃、中毒にかかった漁船員を救うため、アマチュア無線家が国境を越えた無線の連絡で血清を届ける手助けをする『空と海の間に』というフランス映画を見たのがきっかけで、アマチュア無線に興味を持つようになりました。その後、パソコン通信を始めて間もない1987年に、この映画と似たようなことを体験することになりました。1989年にTBSテレビで後藤久美子の主演による『空と海をこえて』という単発ドラマが放映されました。これも難病の人を救うためにパソコン通信で情報のリレーをしていく物語でしたが、映画『空と海の間に』をモチーフに作られたドラマだそうです。ここで

    パソコン通信で難病の女性を救った話|すがやみつる
  • サイドノック式シャープペンが好きで入社したら廃番になった話【#忘れられない一本 03】|ぺんてる シャープペン研究部

    誰にでも、忘れられない一がある。 小学生の時に初めて手にしたシャープペンデビューの一、 持っているだけでクラスの人気者になれた自分史上最強の一、 受験生時代お守りのように大切にしていた一。 そんな誰しもが持っている、思い出のシャープペンと、 シャープペンにまつわるストーリーをお届けする連載 「 #忘れられない一 」。 ぺんてる社員がリレー方式でお届けしていきます。 第3弾は、ぺんてる入社12年目の、山田さん。 あなたの忘れられない一は、なんですか? ―――――――――――――――――――――――――――――― 急に上司に呼び出されたと思ったら、「シャープペンの思い出について、何か書いて」と言われた。ぺんてるのノック式シャープペン60周年記念として、先ごろ開設したnoteに載せるため、社員の原稿がほしいのだという。 「確か、ドットイー・ティントが好きだって、採用面接のとき言ってた

    サイドノック式シャープペンが好きで入社したら廃番になった話【#忘れられない一本 03】|ぺんてる シャープペン研究部
  • 防犯カメラの死角を必死で探したことがある

    実家に帰ってきて親のいない茶の間で水ようかんをべていたら、この家でこんなにしずかな時間を過ごすのは久しぶりだと気づいた。 それは両親が旅行(といっても彼らも私も都民なので県をまたいだ移動をするのは悩ましく、近場のホテルをとって普段よりすこし贅沢みたいなことをしている)で不在にしているのはもちろん、私が人との同棲結婚離婚を経てひさびさにひとりになったからというのもある。 10代後半から20代前半にかけては、親の不在期間はそのまま、好きな男の子を家にこっそり連れ込むためのタイミングだった。 いま、ひどいときには収入が5ケタになるような弱小フリーランスの私とはちがい、両親は当時から地に足のついた仕事をしており、なおかつ良くも悪くもバブル世代的な人たちだった。10年ほど前、実家の駐車スペースには黒くでかいベンツと流線形の銀色の外車が並んで置かれていて、家族である私から見てもそれらは笑ってしま

    防犯カメラの死角を必死で探したことがある
  • ほぼ叔父に育てられた

    父親はモラハラで母に興味が無く気まぐれに私を殴り 母親はアル中で不倫中毒で家事一切しない 共働きで父母どちらも炊事洗濯掃除全くしない そんな家庭で育った 乳幼児の頃から当に叔父に助けられて育った 叔父は母の年離れた弟で叔父が大学生の時に私が生まれた 私が生まれたばかりの頃から母の子育てを危ぶんだ叔父は私の世話をかって出た(らしい) それから小学校に入学するまで母の実家で祖父母と叔父と暮らしていた 高齢者のパート賃金と大学生だった叔父のバイト代、叔父が就職したら新卒の給料が頼りだったので裕福とは言えない暮らしだったが穏やかだった 小学校入学とともに父母に引き取られた 地獄だった 叔父は土日に遊びに連れ出してくれたり母の実家にお泊まりさせてくれたりした 母はなぜか実家にあまり来ないので叔父と祖父母といられて懐かしいごはんがべられて嬉しかった 10代になると自分の家庭が明らかにおかしいことが

    ほぼ叔父に育てられた