人生は文字レイアウトと同じなんだよ 行間文字間が0、改行空行なしだったら、どんなページになると思う? ギッチギチの真っ黒なページを誰が読みたいと思う? 人生にも文字レイアウトにも空白は大事なんだよ 冨樫義博だって江川達也だって敢えて白い原稿を描いたんだよ 彼らは原稿に白を描いたんだよ 面接官の目を見てそう言ってやりたい夜だった
どーも、あのときのトビウオです。楽園に行く夢は叶いましたか?洒落た開襟シャツなんて着ちゃって、マイタイなんて飲んじゃって、白い砂浜に寝転んじゃったりなんか、してるんじゃないですか?カメラが好きな若い細君はお元気ですか?若いっていったって、お会いしたのはもういつのことやら。 私はね、まあ変わりませんよ。たまに食べられ、たまに変なビョーキにかかり、うっかり網にもかかって出汁の素になり、生きたり死んだりしながらボチボチやっております。最近は前と食の志向が変わっちゃってね、ちょっと渋みを感じるプランクトンが好きですね。それで1杯呑んだりすると、あぁ今日もよく泳いで飛んだなって誇らしく、妙に素直な気持ちになるんですよ。こっちも歳かな。しかしあなたは人好きのする溌剌さが溢れていて、見上げると眩しかったねえ。 それでね、あのとき教えてあげられなかったじゃないですか、緊張せずに泳ぐコツ。こっちは汗だくで飛
こんばんは、猫です。一年のうちでこの時期が風が最も気持ちいいですね。耳をくすぐり背中を撫でゆくフワフワに、思わず目が細まります。土の匂いと緑の匂い、雨上がりに伸びる草の存在を感じます。風とは何か知っていますか。それは、ここにない匂いのことです。もしくは、これから出会うものの気配のことです。 窓が開いていることを、私は見逃しません。何事もない日常の部屋に、差し込むように興奮を覚える一画を感じるからです。窓とは何か知っていますか。それは、変えるか/変えないかを自問することです。答えはどちらでもいいのです。問いが場に存在している、それが窓です。 問いの前に私は佇んでいます。挑むたびにあなたが引き留めてくれるので、そうか今ではないのか、と気が付きました。風が運んでくる窓のむこうについて確かめたいけれど、今ではないのか。フウフウして貰える焼魚、クセになる納豆、丸まりやすく設えた寝床、なによりあなたの
おはようございます、ピアノです。まどろみの時間に旋律が聴こえる気がする朝は良いですよね。いつから始まり、終わりなどないような泰然とした流れを耳で追っていると、やがて全てを手放しても大丈夫な気持ちになります。 爪の短い指に弾かれると、ましてや軽快なアレグロが続いたりすると、私の上を飛び跳ねる刺激が嬉しく心地よく、まるでつつかれただけで笑いが止まらくなった幼子のように体がホカホカするのです。旅立ちに際し、爪を整えてくれてありがとうございます。私はまた、短い爪のお母さまと共にお遊戯しましょう。その音が時折あなたに届いたりなんかすると、いいですね。 私達は兄弟です。お母さまはあなただけでなく、ピアノも可愛がってくださっていました。喪失は悲しい。向き合うにはしっかりした心と、それを支える暖かな手が必要です。私はあなたの手になりましょう。声もなく涙がこぼれる夜、名前を呼ばれて起きたような気がする朝、愛
吉野家コピペが世に出てから18年経ったらしいが、吉野家はいまだに殺伐としている。 働き盛りの男に合わせた高さのテーブルと背もたれすらない椅子。背もたれもハンガーもないので冬には上着を脱ぐことすらできない。 食券による前払い制ではなく手渡しでの後払い制なので、せわしなく行き来する店員をうまく捕まえなければ食べ終わっても合法的に店を出ることことすらできない。 しかし俺は、そんな殺伐とした吉野家が好きだ。 松屋の食券販売機をタッチして「ペボッ」という間抜けな音を出すのより、吉野家の店員に「牛丼並、Bセット、卵」と簡潔に伝える方が好きだ。 何種類あるのかもわからないたくさんのドレッシングが並ぶ松屋のテーブルより、醤油と七味と紅ショウガしか置いてない吉野家のテーブルの方が好きだ。 今日は牛丼を食べるぞ、と思ったときに探すのはやはり吉野家なのだ。 そんな吉野家に行くと、最近は毎回のように老人を目撃する
うだるような暑さの、盆の夜である。 駅中にあるバイト先のパン屋は、帰省ラッシュの異常な忙しさの一日を終えようとしていた。 列車の時間に合わせてお客は押し寄せては退いてを繰り返し、気が付いたら私は閉店作業の掃除をしていた。 とにかく疲れた。 早く帰りたいのに頭が働かない。 手だけは動かし、イートイン席のテーブルを拭いているが、もはや世界と自分の境界が分からず、 それは眠りにつく直前のようだった。 私はぼんやりしたままゴム手袋を着け、床掃除に取り掛かる。 別のスタッフが掃き掃除を終えた床に向かって「50倍液」と書かれたスプレーを吹きかけ、雑巾で磨く。 この50倍液は、強力な洗剤を水で50倍に薄めたもので、汚れを削るように落とす代物である。 その原液を直に触ると手がボロボロになってしまうらしい。 50倍に薄めたこの液でさえ素手で触らせたくないからゴム手袋は必ず着けてね、と教わった当時、店長が言っ
こんばんは、猫です。本当にその鳴き方は「アオ」と聞き取れるのか、あなたと私達の聴力差に対する懸念が春霞のように漂うものの、仮に本当に「アオ」だった際の意味をお伝えしましょう。その前に夢の話が必要です。 私たちは二歳にもなれば落ち着き、世界のことを一通り分かったような心持ちになります。生活パターンも覚え、いつどのように振る舞えば衣食住が足りるか学び、それ以外は眠ることを好みます。眠ると夢を見、そこでは真に自由になれるからです。体は軽く飛ぶことすらでき、かろうじて生命である自覚はあるももの、それが見知った姿をしているかあやふやなほど存在は曖昧になります。 やがて夢から覚め、しばしボウとしてしまいます。私は何だったのか。何が私であるのか。尻尾の先を動かし、片耳を動かし、あくびをして、この世に占める自分の範囲を思い出します。大人しく温かな私は撫で甲斐があるのでしょう。飼い主の手が背骨に沿って往復し
とあるジャズバンドが路上で演奏していた。 もしかしたらうまいのかもしれないが、パッと聞いた素人の耳には、特に上手いとも思わなかったが、足が動かなかった。 何故、足が止まったか分からなかった。 聞いている内に、状況が掴めてきた。どうやらオッサンバンドだ。サックスと、ドラムと、ギター?があるらしい。サックスの重低音がキモみたいだ。 この感覚は何だろうと思った。ユーチューブで流れてても絶対にスグ閉じる音楽だ。バンド名も覚えたので家でも聞ける。でも、足が動かない。 ようやく一曲目が終わり、自然に拍手が出た。どーも、バンドのオッサン達の態度も好きになれない。音楽だけちゃっちゃと弾かずに、一曲の後にかなり長い「俺たち音楽やって楽しんでますタイム」的な、ニヤニヤと演奏家どうしで、確認しあうような。客へのサービス精神はあまりないように感じた。あくまで自分勝手な演奏スタイルなんだろうけど。 しかし、自分がな
高校を中退してから、ぼくの人生は大きく変わった。 一時の感情で高校は辞めないほうがいいと思う。何か目的があって辞めるのならいいのだが、中卒の90%以上は将来に対して何も考えていないだろう。今が楽しければいい、面倒なことから逃げ出したい。中卒とは刹那主義者、快楽主義者の集まりだ。そういった人間に世間は怠惰な人という烙印を押す。就職しようにも、条件に高卒以上というところが余りにも多すぎる。アルバイトですら高卒以上のところが多い。仕方ないから今は日雇いの肉体労働をしている。頭を使わず、誰にでもできる仕事をしながら時間をお金に換えていく。子供の頃、自分には何か特別な才能だったり、能力があるのだと信じていた。大人になってみると自分はただの凡人、いや凡人にすらなれていない。落伍者になっていた。現場の休憩時間にタバコを吸いながら、40代50代の人と喋るが、ぼくもあと20年後くらいにはさえないおじさんにな
こんばんは、猫です。残念ですが、あなたのようなヒトによる書き起こしからは、その意図を正確に翻訳することが難しいです。 理由として、あなたには「みゃう~なあう~」と聞こえているそうですが、実際は「っなぁあぁみゃうぅるっつぅなぁああぅううるるっ(この空はいいね、それは好きか?、の意)」かもしれませんし、「むぅうみゃぁぁうーっふ、んなぁぁうーっふ(夢に出てきたのはお前か?、良かったぞ、の意)」かもしれません。ヒトは2万ヘルツまで聞き取るそうですが、私達のそれは10万ヘルツです。ゆめゆめ、あなたに聞こえているものが全てだとは思われませんよう。この世には、目に見えない、耳に聞こえない事柄も在る故、「各自の定める『在る』こそ無い」という理のみが真実なのです。 ところで私たち猫は元来、人目につかない場所で目を閉じてじっとすることが好きです。まわりの音が四方から絶え間なく聞こえ、私が居ても居なくても、世界
本当にただ事実はそれだけなんだけど、彼女らは最高!と叫ばんばかりに楽しそうで印象的だった。 東京は大雪で、4年ぶりに警報も出たんだとか。 井の頭公園の池の水は抜かれていて、普段は空の青と木々の緑、底の土を混ぜた濃い色をしているのに、今日は真っ白だ。 真っ白な池は新鮮で、RPGでダンジョンのパズルを解いたら出てくるみたいな、レアで幻想的な景色だった。そういえば4年前も同じ景色だった、と書きながら思い出した。 そんな大雪を控えながら、僕は会社に出勤してたけど、自宅勤務許可が出たので堂々と帰ってきた。会社には2時間くらいしかおらずネットサーフィンしてただけ。最寄り駅まで帰ったはいいが、僕は自宅が前世に罪があるのかと思うほど極寒なので、駅近くのカフェで作業をしていた。カフェに入ったら数人の同じような人が居てあなたも大変ねぇ、と目配せがあったような、なかったような。 雪が強まってきた昼の奥、女子高生
夜中に部屋の中でゴソゴソと物音がするので、寝たふりをしながらそっと目を開けると、ベッドの脇でキノコの群れが踊っていた。 私は珍しいこともあるのだなと思いながらその光景を眺めていた。 豆電球の僅かな明かりの下でシイタケやシメジが楽しそうにクルクルと回り、輪の中心ではマイタケが優雅に舞っていた。 5分ほど経った時、私はキノコ達の踊る輪の上に、1つの箱のようなものが浮かんでいることに気づいた。 キノコ達もやがてその箱の存在に気づいたのか、踊りを止めて箱の方を眺めだしていた。 私はキノコ達が踊りによって何かを召喚でもしたのかと思ったが、箱の出現はキノコ達にとっても未知の出来事らしく、隣のキノコとヒソヒソと会話をしたり、心配そうに顔を見合わせていた。 箱は徐々に高度を下げていき、やがてキノコ達の輪の中に着地すると、フタがぱかっと開き、中からキノコの王様、マツタケが現れた。その瞬間、キノコ達の間に電流
結局何が悪かったのかわかるようでわからんようで、まだ正直気持ちの整理もできていないが、落ち着かせる意味で増田に書かせてもらう。 今度、35年つとめた会社を退職することになった。いや、正確には一応は役員になっているから、解任か。 解任理由は簡単、 俺の事業が非主流だったが成功したこと会社が傾いたとき、主流が駄目になって俺の事業が成功して助けたことしかしそれが、専務や社長の考えとは違って逆鱗に触れたから。会社人生ではいろいろやった。自分なりに会社に貢献してきたつもりだったし、事実、苦しいときには俺がやった事業が会社の新しい展開をやれたとは思う。 ただ、その事実そのものを、専務の奴は気にくわなかったんだと思う。 もういい加減、愛想が尽きた。今は、あんな会社は徐々に腐っていけばいいと思う。 入社したころ入社したときは、企画職でも営業でもなく事務職だった。ただ、ちょうどその頃会社はその頃の看板商品が
それまではメガネを掛けた女性が好きでたまらないと思っていました。それが、本当はそうではないということに気付いてしまったんです。 自分の中で美人だったり可愛いという基準はメガネがなくては絶対に成り立ちません。その日だって、いつも通りメガネを掛けた女性に見とれていました。 午後の外回りが落ち着いた頃に、休憩で立ち寄った喫茶店で通路を挟んだ斜め向かいの席にその女性は座っていました。仕事がうまく行かなかったのかそれともこれから大事なミーティングがあるのかわかりませんが、今どき紙の書類を束にして、そこへ気難しそうに視線を落としていました。 黒くしっかりとしたツヤのある縁どりに、やや四角い横長ながらそれほど大きさを感じさせないメガネから、薄めの化粧の割にアイラインがしっかりと描かれた、意志の強さを感じさせる瞳が覗いていました。 余計なものは身につけず、身体のラインが感じられるグレーのパンツスーツに上着
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