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"木村 岳人"の検索結果1 - 10 件 / 10件

  • この町並みがすごい!~ユニークな町並みコレクション

    日本の各地には、伝統的なスタイルの家屋が建ち並ぶ町並みが存在する。高度経済成長期から現代にかけての都市開発や建て替えによってその数はだいぶ減ったものの、それでも今もなお昔ながらの風情を残す地域は少なくない。 私は全国の古いモノ巡りをライフワークとしており、これまでそれなりの数の町並みを見てきた。今回はそんな私の偏見と独断による、すごいと思った町並みを紹介したい。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:市街地に囲まれた田んぼはどこから水を引いているのか > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 奇跡の寺内町「奈良

      この町並みがすごい!~ユニークな町並みコレクション
    • 砺波平野の散居村が美しい

      富山県の西部に位置する砺波(となみ)平野には、「散居村(さんきょそん)」と呼ばれる農村風景が広がっている。 広大な水田の中に農家の屋敷が密集することなく散在しており、独特の風情と美しさを醸しているのだ。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:古墳を空から見てみたい(デジタルリマスター) > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 砺波平野の散居村を知るには、東側の山の上にある展望台に行くのが手っ取り早い。そこからの眺めを見れば、砺波平野の独自性と美しさが一目で理解できるはずだ。 できれば田んぼに水を張った春の時期

        砺波平野の散居村が美しい
      • 東京湾に浮かぶ人工要塞「第二海堡」上陸ツアーに参加した

        ある日のことである。編集部の安藤さんから「第二海堡(かいほう)の上陸ツアーを取材するんですが一緒に行きませんか?」という連絡があった。 えっ、嘘っ、第二海堡に上陸できるの?! 私は二つ返事で「行きます!」と答え、まるで遠足を待つ子供のように、うきうき気分で当日を迎えたのであった。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:バイクのミラー越しに夜の景色を見るとエモい > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 明治時代に築かれた、東京湾の入口を守る人工島 「第二海堡」と言われても馴染みのない方が多いと思うが、これは東京

          東京湾に浮かぶ人工要塞「第二海堡」上陸ツアーに参加した
        • 湘南では国道1号線を「イチコク」と呼ぶ!

          皆さんは国道1号線をなんと呼んでいるだろうか。私は生まれも育ちも神奈川県中央部の綾瀬市なのだが、昔から「イチコク」と呼んできた。 しかしながら、最近になってそれは極めてローカルな呼称であることを知った。国道1号線のことを「イチコク」と略すのは、神奈川県のいわゆる湘南地域だけなのだ。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:重要文化的景観に見る日本各地の原風景 > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 生まれてこの方、ずっとイチコクと呼んできた 日本に数ある国道の中でもトップを飾る国道1号線(正式には線をつけず国道

            湘南では国道1号線を「イチコク」と呼ぶ!
          • 垂直の空堀が迷路のように巡る「南九州型城郭」が恐ろしい! :: デイリーポータルZ

            日本全国に三万以上もあるといわれる城。その大部分は中世に築かれた山城であり、険しい地形を利用して土を掘ったり盛ったりして造成されている。 それらの中でもシラス台地が広がる九州南部の中世城郭は一味違う。垂直に切られた空堀がまるで迷路のように入り組んでおり、他地域の城には見られない独特の迫力を醸しているのだ。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:日焼けの色はぶなしめじ! > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 空掘を巡らせて敵を阻む土の城 一般的に城というと堅牢な石垣や荘厳な天守がそびえる姿を思い浮かべるかもし

              垂直の空堀が迷路のように巡る「南九州型城郭」が恐ろしい! :: デイリーポータルZ
            • 高知空港の近くにたたずむ飛行機の格納庫を見に行った

              「掩体壕(えんたいごう)」という言葉をご存じだろうか。第二次世界大戦中に築かれた、飛行機を空襲から守るための格納庫である。 関東地方では東京都の調布飛行場や千葉県の香取飛行場跡、茂原飛行場跡などに現存しており、私は以前それらの掩体壕を巡る記事を書いた(参照記事→「飛行機用の防空壕、「掩体壕」のたたずまい」)。 掩体壕は関東地方のみならず全国各地の飛行場に築かれており、中でも高知空港の近くには計7基の掩体壕が残っているという。それらは現在どのような状態なのか、気になったので見に行った。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前

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              • 市街地に囲まれた田んぼはどこから水を引いているのか

                田植えの季節である。乾き切っていた田んぼに水が引かれ、美しい水鏡が次々と蘇っている。 初夏の風物詩というべきその風景を眺めているうちにふと思った。この田んぼの水は、いったいどこから引いているのだろう。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:飴噛みレビュー2020 > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 住宅街に囲まれた谷間の水田 私が住んでいる綾瀬市を含む神奈川県の中央部には、地下水位が低く水の便が悪い相模野台地が広がっている。なので低地が多い地域ほど水田は多くないものの、それでも幾筋かの川が作り出した谷筋に

                  市街地に囲まれた田んぼはどこから水を引いているのか
                • 相模川には鎌倉時代の橋脚が残っている

                  神奈川県の中央部を流れる相模川。その下流域にあたる茅ヶ崎市には、「旧相模川橋脚」という史跡が存在する。 人知れず水田の地下に眠っていた鎌倉時代の橋脚が、ちょうど100年前の大正12年(1923年)に発生した関東大震災の液状化現象によって地上に現れた、全国的にも貴重で珍しい遺構である。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:範囲図の境界を攻める(デジタルリマスター) > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 相模川に架けられた鎌倉時代の橋 「旧相模川橋脚」が存在するのは、旧東海道を踏襲する国道一号線のすぐ側だ。東

                    相模川には鎌倉時代の橋脚が残っている
                  • 日本一危険な神社に参拝した!~太田山神社リベンジ

                    北海道の西の果て、久遠郡せたな町の太田集落に「太田山神社」が存在する。本殿までたどり着くには急傾斜の山道を登り詰め、最後には約7mの断崖絶壁をよじ登らなければならず、その極めて過酷な道のりから“日本一危険な神社”と称されている。 私は4年前に参拝しようと試みたのだが、圧倒的な迫力の岩壁に恐れをなしてギブアップ。完全敗北と相成った。その様子はこちらの過去記事→「日本一危険な神社に参拝したかった」をご覧頂きたい。 今回、再び北海道を訪れた私は、今一度太田山神社に挑戦し、そしてなんとか参拝を果たすことができた。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(

                      日本一危険な神社に参拝した!~太田山神社リベンジ
                    • 思い出のU字ブロックは幻の水路の遺構だった

                      私が中学生の頃、「あれはなんだろう」と思っていたものがある。畑の中に点々と置かれている、U字型のコンクリートブロックだ。 当時はその不思議な形状に惹かれながらも用途が分からず、イースター島のモアイ像のような、なんとも謎めいた存在に感じられたものだ。 大人になった今、改めて調べてみると、それは完成後わずか6年しか使用されなかった幻の水路の遺構であった。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:「横浜三塔」を一度に見られる場所は三箇所だけというのは本当なのか? > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 通学路から眺め

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