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"木村 岳人"の検索結果1 - 40 件 / 99件

"木村 岳人"に関するエントリは99件あります。 デイリーポータルZdpz歴史 などが関連タグです。 人気エントリには 『この町並みがすごい!~ユニークな町並みコレクション』などがあります。
  • この町並みがすごい!~ユニークな町並みコレクション

    日本の各地には、伝統的なスタイルの家屋が建ち並ぶ町並みが存在する。高度経済成長期から現代にかけての都市開発や建て替えによってその数はだいぶ減ったものの、それでも今もなお昔ながらの風情を残す地域は少なくない。 私は全国の古いモノ巡りをライフワークとしており、これまでそれなりの数の町並みを見てきた。今回はそんな私の偏見と独断による、すごいと思った町並みを紹介したい。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:市街地に囲まれた田んぼはどこから水を引いているのか > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 奇跡の寺内町「奈良

      この町並みがすごい!~ユニークな町並みコレクション
    • 砺波平野の散居村が美しい

      富山県の西部に位置する砺波(となみ)平野には、「散居村(さんきょそん)」と呼ばれる農村風景が広がっている。 広大な水田の中に農家の屋敷が密集することなく散在しており、独特の風情と美しさを醸しているのだ。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:古墳を空から見てみたい(デジタルリマスター) > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 砺波平野の散居村を知るには、東側の山の上にある展望台に行くのが手っ取り早い。そこからの眺めを見れば、砺波平野の独自性と美しさが一目で理解できるはずだ。 できれば田んぼに水を張った春の時期

        砺波平野の散居村が美しい
      • 東京湾に浮かぶ人工要塞「第二海堡」上陸ツアーに参加した

        ある日のことである。編集部の安藤さんから「第二海堡(かいほう)の上陸ツアーを取材するんですが一緒に行きませんか?」という連絡があった。 えっ、嘘っ、第二海堡に上陸できるの?! 私は二つ返事で「行きます!」と答え、まるで遠足を待つ子供のように、うきうき気分で当日を迎えたのであった。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:バイクのミラー越しに夜の景色を見るとエモい > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 明治時代に築かれた、東京湾の入口を守る人工島 「第二海堡」と言われても馴染みのない方が多いと思うが、これは東京

          東京湾に浮かぶ人工要塞「第二海堡」上陸ツアーに参加した
        • 湘南では国道1号線を「イチコク」と呼ぶ!

          皆さんは国道1号線をなんと呼んでいるだろうか。私は生まれも育ちも神奈川県中央部の綾瀬市なのだが、昔から「イチコク」と呼んできた。 しかしながら、最近になってそれは極めてローカルな呼称であることを知った。国道1号線のことを「イチコク」と略すのは、神奈川県のいわゆる湘南地域だけなのだ。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:重要文化的景観に見る日本各地の原風景 > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 生まれてこの方、ずっとイチコクと呼んできた 日本に数ある国道の中でもトップを飾る国道1号線(正式には線をつけず国道

            湘南では国道1号線を「イチコク」と呼ぶ!
          • 垂直の空堀が迷路のように巡る「南九州型城郭」が恐ろしい! :: デイリーポータルZ

            日本全国に三万以上もあるといわれる城。その大部分は中世に築かれた山城であり、険しい地形を利用して土を掘ったり盛ったりして造成されている。 それらの中でもシラス台地が広がる九州南部の中世城郭は一味違う。垂直に切られた空堀がまるで迷路のように入り組んでおり、他地域の城には見られない独特の迫力を醸しているのだ。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:日焼けの色はぶなしめじ! > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 空掘を巡らせて敵を阻む土の城 一般的に城というと堅牢な石垣や荘厳な天守がそびえる姿を思い浮かべるかもし

              垂直の空堀が迷路のように巡る「南九州型城郭」が恐ろしい! :: デイリーポータルZ
            • 高知空港の近くにたたずむ飛行機の格納庫を見に行った

              「掩体壕(えんたいごう)」という言葉をご存じだろうか。第二次世界大戦中に築かれた、飛行機を空襲から守るための格納庫である。 関東地方では東京都の調布飛行場や千葉県の香取飛行場跡、茂原飛行場跡などに現存しており、私は以前それらの掩体壕を巡る記事を書いた(参照記事→「飛行機用の防空壕、「掩体壕」のたたずまい」)。 掩体壕は関東地方のみならず全国各地の飛行場に築かれており、中でも高知空港の近くには計7基の掩体壕が残っているという。それらは現在どのような状態なのか、気になったので見に行った。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前

                高知空港の近くにたたずむ飛行機の格納庫を見に行った
              • 市街地に囲まれた田んぼはどこから水を引いているのか

                田植えの季節である。乾き切っていた田んぼに水が引かれ、美しい水鏡が次々と蘇っている。 初夏の風物詩というべきその風景を眺めているうちにふと思った。この田んぼの水は、いったいどこから引いているのだろう。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:飴噛みレビュー2020 > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 住宅街に囲まれた谷間の水田 私が住んでいる綾瀬市を含む神奈川県の中央部には、地下水位が低く水の便が悪い相模野台地が広がっている。なので低地が多い地域ほど水田は多くないものの、それでも幾筋かの川が作り出した谷筋に

                  市街地に囲まれた田んぼはどこから水を引いているのか
                • 相模川には鎌倉時代の橋脚が残っている

                  神奈川県の中央部を流れる相模川。その下流域にあたる茅ヶ崎市には、「旧相模川橋脚」という史跡が存在する。 人知れず水田の地下に眠っていた鎌倉時代の橋脚が、ちょうど100年前の大正12年(1923年)に発生した関東大震災の液状化現象によって地上に現れた、全国的にも貴重で珍しい遺構である。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:範囲図の境界を攻める(デジタルリマスター) > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 相模川に架けられた鎌倉時代の橋 「旧相模川橋脚」が存在するのは、旧東海道を踏襲する国道一号線のすぐ側だ。東

                    相模川には鎌倉時代の橋脚が残っている
                  • 日本一危険な神社に参拝した!~太田山神社リベンジ

                    北海道の西の果て、久遠郡せたな町の太田集落に「太田山神社」が存在する。本殿までたどり着くには急傾斜の山道を登り詰め、最後には約7mの断崖絶壁をよじ登らなければならず、その極めて過酷な道のりから“日本一危険な神社”と称されている。 私は4年前に参拝しようと試みたのだが、圧倒的な迫力の岩壁に恐れをなしてギブアップ。完全敗北と相成った。その様子はこちらの過去記事→「日本一危険な神社に参拝したかった」をご覧頂きたい。 今回、再び北海道を訪れた私は、今一度太田山神社に挑戦し、そしてなんとか参拝を果たすことができた。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(

                      日本一危険な神社に参拝した!~太田山神社リベンジ
                    • 思い出のU字ブロックは幻の水路の遺構だった

                      私が中学生の頃、「あれはなんだろう」と思っていたものがある。畑の中に点々と置かれている、U字型のコンクリートブロックだ。 当時はその不思議な形状に惹かれながらも用途が分からず、イースター島のモアイ像のような、なんとも謎めいた存在に感じられたものだ。 大人になった今、改めて調べてみると、それは完成後わずか6年しか使用されなかった幻の水路の遺構であった。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:「横浜三塔」を一度に見られる場所は三箇所だけというのは本当なのか? > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 通学路から眺め

                        思い出のU字ブロックは幻の水路の遺構だった
                      • 島を丸ごと城塞化した海城「能島城」に上陸した

                        日本には実に数多くの城が存在する。それら多種多様な城の中でも、特にユニークなのが「能島(のしま)城」だ。 瀬戸内海中央西寄りの芸予諸島に浮かぶ小島を丸ごと利用した海城であり、日本城郭協会の「続日本100名城」(以下、続100名城)にも選ばれている。 2018年の西日本豪雨で被害を受けたことから長らく立入禁止となっていたものの、幸いにも2020年の6月に解除されたので、上陸ツアーに参加してきた。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:神奈川県央部の“サバ神社”を巡る「七サバ参り」で健康祈願! > 個人サイト 閑古鳥旅

                          島を丸ごと城塞化した海城「能島城」に上陸した
                        • 綾瀬市の全地区を歩いたら見えてきたこと

                          なにかと家に閉じこもりがちな今日この頃、運動不足を解消するためにウォーキングを始めた。 最初は自宅の周辺を歩くだけだったのだが、ふと私が住んでいる神奈川県綾瀬市のすべての地区を踏破してみるのはどうだろうと考えた。 そこで実際に全地区を歩いてみると、思わぬ発見や気付きがあったのでお伝えしたい。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:迷宮住宅街を攻略したい > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 街区塗り潰しアプリが面白い 私がなぜ住んでいる市のすべての地区を歩いてみようなどと思い立ったかというと、ウォーキングを

                            綾瀬市の全地区を歩いたら見えてきたこと
                          • 海老名市の「逆川」は奈良時代に築かれた運河の跡

                            神奈川県のほぼ中央に位置する海老名市に、かつて「逆川(さかさがわ)」と呼ばれる川が存在した。現在は埋め立てられているものの、その川筋を跡としてたどることができる。 一見しただけではよくある水路の跡や暗渠のように見えるかもしれないが、実はこの逆川、奈良時代に築かれた古代の運河なのである。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:海抜0mからの富士登山(デジタルリマスター) > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 国分寺を建てるため開削された逆川 私が逆川を知ったきっかけは、海老名駅から東へ続く幹線道路、県道40号

                              海老名市の「逆川」は奈良時代に築かれた運河の跡
                            • 東海道線から見える"気になる岩”を見にいった

                              東海道線から見える岩がある。静岡県の浜名湖を越えて愛知県に入った頃に、右手の景色を眺めていると、白い岩がひょっこり顔をのぞかせる。 木々が茂る丘の上に岩が突き出る姿はとても印象的で、通りかかるたびに「あれはなんだろう」と気になっていた。せっかくなので見にいってみよう、できれば頂上まで登ってみたい。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:約100年前の「クジラ噴水」が味わい深い~後藤鍬五郎の作品巡り > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 浜松~豊橋間の車窓に見える巨岩 突然だが、私は春・夏・冬の各シーズンに「

                                東海道線から見える"気になる岩”を見にいった
                              • 北大東島の「燐鉱山遺跡」を見に行った

                                今年の5月、沖縄本島の遥か東に浮かぶ絶海の孤島「南大東島」および「北大東島」に行ってきた。 そこではフェリーからクレーンで上陸する様子に興奮したり(前々回記事→「大東島では荷物も人もクレーンに吊るされ上陸する」)、南大東島の漁港に目を見張ったりしたのだが(前回記事→「南大東島の「岩盤掘込み式漁港」が凄い!」)、この旅行における私の主目的は北大東島の「燐(リン)鉱山遺跡」を見ることであった。 北大東島は鳥の糞が堆積してできたグアノ(燐を多く含む物質)が広く分布していたことから、化学肥料の原料となる燐鉱石の採掘によって栄えた歴史を持ち、数多くの燐鉱生産施設が廃墟として残っているのである。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍

                                  北大東島の「燐鉱山遺跡」を見に行った
                                • わらじを履いて箱根の石畳を歩く

                                  突然だが「わらじ」を履いたことはあるだろうか。私はない。 明治時代に洋靴が普及するまでは、誰もが身に着けていた日本の伝統的な履物である。現在は名前こそ知っていても、実際に履いたことのある人はごくわずかなのではないだろうか。 そんな折、なぜか自宅でわらじを発見した。せっかくなので、古来から日本人が履き続けてきたわらじとはどのようなものなのか、実際に履いて試してみようと思った。箱根旧街道の石畳で。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:「オロポ」というサウナドリンクについて考えた > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twit

                                    わらじを履いて箱根の石畳を歩く
                                  • 大東島では荷物も人もクレーンに吊るされ上陸する :: デイリーポータルZ

                                    実に多種多様な島々から成る日本列島。その中でも私が昔から気になっていたのが、沖縄本島の遥か東に浮かぶ南大東島・北大東島である。 まさに絶海の孤島というべき場所なのでなかなか行けずにいたのだが、先日ようやく訪問することができた。 どちらの島も長年の期待を上回るほどの個性があり、滅多にできない体験ができたと思う。なんせ、フェリーの上陸からして超エキサイティングだったのだ。荷物も人も、クレーンで吊るされるのである。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:続日本100名城巡りを始めたら、新たな城の扉が開かれた > 個人サイ

                                      大東島では荷物も人もクレーンに吊るされ上陸する :: デイリーポータルZ
                                    • 南大東島の「岩盤掘込み式漁港」が凄い!

                                      5月に沖縄県の南大東島と北大東島に行ってきた。沖縄本島の遥か東に浮かぶ絶海の孤島で、周囲を険しい断崖に囲まれていることから波風の影響を受けやすく、フェリーを港に接岸することができない。 なので荷物も人もクレーンに吊るされて乗り降りする――という話を前回の記事「大東島では荷物も人もクレーンに吊るされ上陸する」に書かせて頂いた。 実はその記事ではあえて言及しなかった港が南大東島に存在する。島の北西部に位置する「漁港」である。これが、とにもかくにも凄いのだ。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:大東島では荷物も人もクレ

                                        南大東島の「岩盤掘込み式漁港」が凄い!
                                      • 「横浜三塔」を一度に見られる場所は三箇所だけというのは本当なのか?

                                        幕末に開かれて以降、開国の港町として発展した横浜。その港の近くには、塔を持つ近代建築が三つ存在することをご存じだろうか。「キングの塔」こと神奈川県庁舎、「クイーンの塔」こと横浜税関、「ジャックの塔」こと横浜市開港記念会館である。 これらは「横浜三塔」と総称され、横浜港の象徴として親しまれてきた。かつては港のどこからでも望むことができたそうだが、周囲に高いビルが建ち並んだ現在、横浜三塔を一度に見られる場所はわずか三箇所しかないという。本当だろうか。 ※この記事はデイリーポータルZの運営元であるイッツコムのサービスエリア、東急沿線の魅力を紹介する記事です。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には3

                                          「横浜三塔」を一度に見られる場所は三箇所だけというのは本当なのか?
                                        • 神奈川県央部の“サバ神社”を巡る「七サバ参り」で健康祈願!

                                          神奈川県央部を流れる境川(さかいがわ)の中流域には、「サバ神社」という名の神社が計12存在する。その表記は「鯖」「左馬」「佐婆」など多少のバラツキがあるものの、すべて「サバ」と読むのは共通だ。 江戸時代中期から明治時代初頭にかけて、これらのサバ神社を巡る「七サバ参り」という風習があった。なんでも、1日で7箇所のサバ神社に参拝すると悪い病気にかからないという。 現在は廃れて久しい風習であるが、新春かつこのようなご時世でもあるし、無病息災を祈願すべく7箇所のサバ神社を歩いて巡ることにした。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー)

                                            神奈川県央部の“サバ神社”を巡る「七サバ参り」で健康祈願!
                                          • 迷宮住宅街を攻略したい

                                            最近、故あって神奈川県央部にある様々な住宅街を訪れる機会が多くなった。 基本的にスマホの地図を見ながら行くので迷うことはないのだが、唯一、完全に道を見失い、なかなか抜け出せずに苦労した住宅街が存在する。 横浜市泉区の中田南を中心とする地区である。路地が複雑に入り組んでおり、まるで迷宮のような住宅街なのである。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の17箇所全巡り > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter うっかり迷い込み、出られなくなった住宅街 泉区は横浜市の西端部に位置

                                              迷宮住宅街を攻略したい
                                            • 近江塩津駅では地下通路を見ているだけで乗り換え時間が苦にならない :: デイリーポータルZ

                                              昨年末に福井県の南越前町にある今庄(いまじょう)というところに行ってきた。その帰り際、滋賀県北端の「近江塩津(おうみしおつ)駅」において乗り換えの待ち時間が発生した。 やることがなく手持無沙汰な時間……と思いきや、駅構内の地下通路に這わされたパイプが素晴らしい味わいを醸しており、それらを眺めているだけであっという間に乗り換え時間が来たのであった。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:東海道線から見える"気になる岩”を見にいった > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 北陸道の宿場町「今庄宿」を見にいった 今

                                                近江塩津駅では地下通路を見ているだけで乗り換え時間が苦にならない :: デイリーポータルZ
                                              • 赤平炭鉱の竪坑施設が無骨でシブくてカッコ良い!

                                                北海道の中央部に位置する空知(そらち)地方には良質な炭田が広がっており、かつては数多くの炭鉱が存在した。 そのうちのひとつである赤平(あかびら)炭鉱の竪坑(たてこう)施設を見学するガイドツアーに参加したのだが、これがとても素晴らしかったので紹介したい。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:国道152号線の“もうひとつの未開通区間”を見に行った > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter かつての炭鉱の町にたたずむ竪坑櫓とガイダンス施設 赤平炭鉱のある赤平市は、札幌から北東へ80kmほど行ったところに位置している

                                                  赤平炭鉱の竪坑施設が無骨でシブくてカッコ良い!
                                                • 国道152号線の“もうひとつの未開通区間”を見に行った

                                                  南アルプスの西側を通る谷に沿って、南北にひたすら続く道路が存在する。長野県上田市から静岡県浜松市を結ぶ、国道152号線の一部である。 この区間を地図で見てみると、途中で二箇所ほど分断されているのが分かるだろう。秘境と名高い遠山郷の北端にあたる「地蔵峠」と、南端にあたる「青崩峠」はいまだ車道が通っていない未開通区間であり、どちらも林道で迂回する必要がある。 私はそのうちの「青崩峠」を2014年に訪れており、当時の現状をレポートさせて頂いた。→「国道152号線の未開通区間を歩いた」 その時には訪れることができなかったもうひとつの未開通区間「地蔵峠」もずっと気になっていたのだが、先日ついに見に行くことができたので、その様子をお伝えしたい。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているの

                                                    国道152号線の“もうひとつの未開通区間”を見に行った
                                                  • 続日本100名城巡りを始めたら、新たな城の扉が開かれた :: デイリーポータルZ

                                                    「日本100名城」というものが存在する。全国に数多く存在する城のうち、2006年に財団法人日本城郭協会が定めた100の名城だ。 各城にはスタンプが置かれており、スタンプラリーが可能である。私は2008年から10年かけて全てを周り、その道のりを記事にした。→「日本100名城を全制覇したので自慢させてください」 コンプリート間際の2017年、日本100名城に続く「続日本100名城」なるものが定められた。それに伴い新たなスタンプラリーが開始されたのだが、正直言って私はあまり乗り気ではなかった。 しかし、最近になってついに続100名城にも手を出すことになったのだが、そうしたら私の中で新たな城の扉が開かれたのだ。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30

                                                      続日本100名城巡りを始めたら、新たな城の扉が開かれた :: デイリーポータルZ
                                                    • 重要文化的景観に見る日本各地の原風景

                                                      日本の古いモノを守る法律である文化財保護法には「重要文化的景観」(以下、重文景)というカテゴリが存在する。 これは全国に残る昔ながらの風景を保護するための制度であり、重文景に選定された地域をたどることで、日本各地の原風景を体感することができるのだ。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:島を丸ごと城塞化した海城「能島城」に上陸した > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 重文景に見る棚田の風景 重文景は土地に根差した人々の生活や生業によって育まれてきた風景を対象とするもので、その種類は実に多様かつ複雑である。

                                                        重要文化的景観に見る日本各地の原風景
                                                      • カブ遍路は歩き遍路と車遍路のいいとこ取りだ!

                                                        もう10年近く前のことで恐縮だが、私は2011年の4月から6月にかけて、四国八十八箇所霊場を徒歩で周る「歩き遍路」をやった。 そしてこの秋、改めて四国八十八箇所霊場を愛車のリトルカブ(50ccの原付バイク)で周ってみたのだが、これが歩き遍路と車遍路のいいとこ取りといった感じであり、四国遍路をカジュアル&リーズナブルに満喫できるスタイルだったのでレポートしたい。 ※当記事は『デイリーポータルZをはげます会』のサポートによって取材させていただきました。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:わらじを履いて箱根の石畳を歩

                                                          カブ遍路は歩き遍路と車遍路のいいとこ取りだ!
                                                        • 東京23区の茅葺古民家巡り :: デイリーポータルZ

                                                          言わずもがな、東京といえば江戸時代は将軍のお膝元であり、 現在も日本の中枢を担う大都市だ。 特に東京23区は都心や副都心はもちろんのこと、それらを取り囲む地域も住宅地や商業地として多大に発展してきた。 しかしながら、かつて江戸城下の周囲には農村が広がっており、東京23区内にも往時の風情が偲ばれる茅葺の古民家が残っているのである。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:岩手・青森県に残る「望楼付き消防屯所」を見に行った > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 都心を取り囲むように残る茅葺古民家 東京23区のうち

                                                            東京23区の茅葺古民家巡り :: デイリーポータルZ
                                                          • 飴噛みレビュー2020

                                                            突然だが、私は飴は噛むモノであると思っている。 誰がなんと言おうと、そう思っている。――という出だしの記事を2007年に書かせて頂いた。→「飴噛みレビュー40」 私は口に入れた飴玉を無意識のうちに噛んでしまうクセがあり、それならいっそのこと飴を舐めるのではなく、噛むことを前提としたレビューをしてみようという記事である。 早いものでもう13年近くが経つが、三つ子の魂百までとは言ったもので、私は今もなお飴玉を噛み砕いている。それだけ時間が経てば、新しい商品が出たり、味覚や嗜好に変化があったりするのではないだろうか。 というワケで、今再び、噛んでおいしい理想の飴を探すべくレビューしてみたい。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き

                                                              飴噛みレビュー2020
                                                            • シェアサイクルを30分以内に乗り継ぎ観光する

                                                              近年、あちらこちらで目にするようになったシェアサイクル。先日初めて利用してみたのだが、これが非常にカジュアルかつリーズナブルで、いつの間にこんな便利なものが整備されていたのかと驚いた。 これをうまいこと利用すれば、お得に観光を楽しむことができるのではないだろうか。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:新緑の植木畑を見に行こう! > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 色々なところにあるシェアサイクルのステーション シェアサイクルはステーションと呼ばれる拠点にある自転車を借りることができるサービスである。必ず

                                                                シェアサイクルを30分以内に乗り継ぎ観光する
                                                              • 「オロポ」というサウナドリンクについて考えた

                                                                「オロポ」というものを御存じだろうか。サウナ上がりに飲むドリンクとして、サウナ愛好家たちに好まれている飲み物だ。 それは端的にいえばオロナミンCをポカリスエットで割ったもので、サウナで失われたミネラルとビタミンを補うことができるという触れ込みである。 今回は、このサウナドリンク「オロポ」について少し考えてみたい。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:この町並みがすごい!~ユニークな町並みコレクション > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter サウナに通うようになってオロポを知った 私がオロポを知ることになった

                                                                  「オロポ」というサウナドリンクについて考えた
                                                                • 伊豆諸島のいずれかの島に行く“ミステリーきっぷ”で運試し

                                                                  東京と伊豆諸島を結ぶフェリーを運行している東海汽船が、期間限定で「ミステリーきっぷ」なるチケットを販売している。 伊豆大島・利島(としま)・新島(にいじま)・式根島(しきねじま)・神津島(こうづしま)のいずれかに夜行日帰りで行くというもので、行き先は出発の当日になるまで分からないという、ワクワクドキドキのお楽しみチケットである。 果たして行き先はどの島になるのか、限られた滞在時間で何ができるのか。今年最後の運試しとして利用してみることにした。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:理想のラッシー(デジタルリマスター

                                                                    伊豆諸島のいずれかの島に行く“ミステリーきっぷ”で運試し
                                                                  • 涼を求めて秦野盆地の湧水巡り

                                                                    神奈川の水瓶こと丹沢山地の麓に位置する秦野(はだの)市は、地下水が極めて豊富であちらこちらから水が湧き出ており、環境庁の名水百選にも「秦野盆地湧水群」として選ばれている。 暑い日が続く今日この頃、涼を求めて秦野盆地の湧水を巡ってみることにした。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:シェアサイクルを30分以内に乗り継ぎ観光する > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 地下水が満ち満ちている秦野盆地 秦野は四方を山に囲まれた盆地であり、丹沢山地から流れる河川が運んできた土砂が堆積した扇状地が広がっている。 南側

                                                                      涼を求めて秦野盆地の湧水巡り
                                                                    • 備前焼の里に残る窯跡が陶片山積みで凄い!

                                                                      岡山県東部の備前市に位置する伊部(いんべ)地区は、備前焼の窯元が集まる陶器の生産地だ。 中世末期から近世にかけて操業していた古い窯跡があるというので見に行ってみたら、陶片が文字通り山積みになっていて驚いた。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:神奈川県綾瀬市は「どこにでもある風景」を強みにロケ誘致が盛ん > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 備前焼の里「伊部」を歩く 先日中国地方を旅行したのだが、その帰りに少し時間があったので伊部に寄ってみることにした。 以前から備前焼のタンブラーが欲しいと思っていたので

                                                                        備前焼の里に残る窯跡が陶片山積みで凄い!
                                                                      • ユーカリが丘線は外側と内側の景色が全然違う

                                                                        千葉県佐倉市に「ユーカリが丘」という町が存在する。1980年代に不動産会社の山万(やままん)によって開発されたニュータウンで、町を一周するように「山万ユーカリが丘線」という新交通システム(タイヤで走る電車のようなもの)が通っている。 なかなかに珍しい路線なので乗ってみたのだが、環状線の外側と内側の景色が全然違っていて驚いた。 ユーカリが丘地区は、環状線の内側でなく外側が開発されているのが特徴です。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:鳥取お台場めぐり(デジタルリマスター) > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitt

                                                                          ユーカリが丘線は外側と内側の景色が全然違う
                                                                        • 世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の17箇所全巡り

                                                                          青森県青森市「三内丸山遺跡」 まず最初に紹介するのは、青森市の河岸段丘上に広がる「三内丸山(さんないまるやま)遺跡」である。 縄文時代の前期から中期(約5900~4200年前)にかけて営まれた大規模な集落遺跡で、史跡の中でも特に価値が高い「特別史跡」に指定されている。日本を代表する縄文遺跡のひとつだ。 様々な建物、墓地、道路などが計画的に配置されていたことが分かっている 1700年もの長きに渡り人々が暮らしていた拠点的な集落であり、厚く堆積した盛土遺構(不用品の捨て場)からは土器や石器のみならず土偶など祭祀の道具が大量に出土している。 また低湿地からは漆塗りの鉢やクシ、小型カゴなどの編物、骨で作った釣針や縫針など多種多様な品々が出土しており、当時の人々の生活や周辺環境を知る上で欠かせない遺跡である。 復元された竪穴住居の屋根素材は萱・樹皮・土と様々だ(その理由はのちほど) 広大な三内丸山遺

                                                                            世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の17箇所全巡り
                                                                          • 四国遍路・修行の「奥の院」巡り

                                                                            弘法大師空海にゆかりある四国八十八箇所霊場を巡る四国遍路の札所には「奥の院」が存在することが多い。 それは札所の近くにある番外霊場であったり、札所の開基伝説にちなむ聖地であったり、札所がかつて存在した旧境内地であったりと云われは様々であるが、中には昔から修行場とされてきた奥の院も存在する。 修行の場というだけあって参拝するにはなかなかに大変な奥の院であるが、その苦労に見合うだけの楽しさと達成感があったので紹介したい。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:カブ遍路は歩き遍路と車遍路のいいとこ取りだ! > 個人サイト

                                                                              四国遍路・修行の「奥の院」巡り
                                                                            • 自動車教習所の紋様を鑑賞する、そしてスタンプを作る

                                                                              最近、自動車教習所の紋様がおもしろいことに気が付いた。教習所の紋様とはなんぞやと思われるかもしれないが、看板やロゴマークのデザインとかではなく、コースの形状である。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:近江塩津駅では地下通路を見ているだけで乗り換え時間が苦にならない > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter GoogleMapで自動車教習所を見てみよう ある日のことである。「冬も旅行したいし、原付だけじゃなく自動車の免許も取りたいなー」と思った私は、近所にある教習所について調べてみることにした。その位置をGo

                                                                                自動車教習所の紋様を鑑賞する、そしてスタンプを作る
                                                                              • 麻婆に溺れたい

                                                                                私は麻婆豆腐が好きだ。どのくらい好きかと言うと、約二年に渡りほぼ毎日食べ続けているくらいに好きだ。 日々麻婆豆腐を食しているうちにふと思った。味噌やカレーが何にでも合うように、麻婆の味もまた何にでも合う懐の深さがあるのではないだろうか。 だがしかし、巷に存在する麻婆といえば、麻婆豆腐、麻婆春雨、麻婆茄子ぐらいなものである。麻婆に合う食材がたった三種類であるはずがない。もっと色々なものを麻婆にしても良いのではないだろうか。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:思い出のU字ブロックは幻の水路の遺構だった > 個人サイ

                                                                                  麻婆に溺れたい
                                                                                • スリランカの首都スリジャヤワルダナプラコッテは国会以外何もなかった(デジタルリマスター・2007年取材)

                                                                                  スリランカに行ってきた。 スリランカは仏教国として紀元前からの歴史を持ち、各地に数多くの仏教遺跡が残っている。 また、山間部で生産される紅茶はセイロンティーとして世界的に有名だ。 そして、何より人が穏やかでやさしい国。 今回、そのスリランカに行くにあたり、私はぜひとも行ってみたいと思っていた場所があった。 スリランカの首都、スリジャヤワルダナプラコッテである。 スリジャヤワルダナプラコッテ。 その舌を噛みそうな名前だけでも興味が湧くところだが、 この首都、なんと首都でありながら国会議事堂以外にはほとんど何も無いらしい。 これはもう、行ってみるしかないだろう。 ※2007年7月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなっ

                                                                                    スリランカの首都スリジャヤワルダナプラコッテは国会以外何もなかった(デジタルリマスター・2007年取材)

                                                                                  新着記事