12月21日。成田空港第2ターミナル。人もまばらな午後9時の出発ロビーに、浦和MF阿部勇樹が現れた。「2010年のW杯直前に、グラーツでイングランドと親善試合をしたときに、現地で会って以来です
スカパー!オフィシャルコメンテーターを務めるイビチャ・オシム氏がカメルーン戦を振り返った 【(C)スカパー!】 ――カメルーン戦の勝利のポイントと一番の収穫は何だと思うか 収穫は皆さんの方で判断してほしい。大事なのは、日本のサッカーファンがこの結果をどのように受け止めるかだと思う。もちろん、今日の結果は日本のサッカー界全体にとってポジティブな結果だった。日本にもサッカーがあるということをワールドカップ(W杯)の舞台で示すことができたということは、2022年の招致活動にもプラスになるのではないか。まだまだ始まったばかりだが、日本のサッカーをもっとアピールするためにはこれからも良い試合をしなければならない。まだ2試合目、3試合目が残っているから、この勝利で弾みがつけばいいと思っている。 ――日本はこれまで逆転負けが多かったと思う。カメルーン戦で守り切れたことは評価できるか 集中が維持でき
5月30日(日) 国際親善試合 イングランド 2 - 1 日本 (21:15/UPC) 得点者:7' 田中 マルクス闘莉王(JPN)、72' オウンゴール(ENG)、83' オウンゴール(ENG) -------------- ●イビチャ・オシム氏: Q:韓国戦で大きなダメージを負った日本代表にとってこのタイミングでのこの試合は意味があったと思いますが、試合を見てて焦りなどは感じましたか? 「一般論ですが、悪い試合の後には何くそという方向に力が働くもの。それが現実に働いたということは大きな収穫だったと思います。つまり韓国戦でひどい試合をしてしまったということはわかっていた。それで自分で反応した。大事なことは間違いを起こしたときに、それが間違いだったと言うことに気がつく事と、それを訂正する力を持つこと。ただ、間違い、ミスは起こりうるという事ですね。ミスをわざとしてそれで直せるのか
スカパー!オフィシャルコメンテーターを務めるイビチャ・オシム氏がオランダ戦を振り返った 【(C)スカパー!】 ――前半は集中して守っていたが 守備は規律を守ってよくやった。だが、もっといいプレーができたはずです。攻撃ではボールをもっと速く動かすことができれば、もっと速いパスで相手をもっと余計に走らせることができたと思います。そして最後の部分で、フィニッシュの精度が問題なのですが、もっとコレクティブな攻撃ができなかったのかと思います。もっと勇敢にアタックするべきだった。サッカーは得点を競うスポーツですから、物足りない。日本代表の選手たちはオランダを怖がっていた印象があります。オランダが怖がるような攻撃ができていなかった。日本に欠けていたのは殺し屋の本能、チャンスがあったら絶対にそれをものにするという気迫です。それがないから勝てなかった。 ――今大会の中で戦い方を変えていくことで世界と互角
元日本代表監督のイビチャ・オシム氏が亡くなった。1日、オシム氏がかつて監督を務めたオーストリアのクラブ、シュトルム・グラーツも公式サイトで発表した。80歳だった。 クラブのジャゥク会長は、「イビチャ・オシムは素晴らしいコーチであるだけでなく、私が人生で出会った最高の人物の1人でもあった。私たちのクラブの最大のアイコン(象徴)であり、一緒に過ごした多くの時間を決して忘れません。彼はサッカーそのもの、それをはるかに超えた影響力を持っていた。彼の言葉は、永遠に私たちの中で生き続けます。奥様、2人の息子さん、そして家族全員に心からお悔やみ申し上げます」との声明を出した。 旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボ生まれ。1986年にユーゴ代表監督に就任。1990年W杯イタリア大会で8強入り後、シュトルム・グラーツ監督などを歴任し、2003年に市原(現ジェフユナイテッド千葉)の監督に就
ジェフユナイテッド市原・千葉は2日、ホームページにかつてクラブを率いたオシム元監督の訃報を掲載するとともに、クラブの30周年事業として去年、佐藤勇人CUO(クラブユナイテッドオフィサー)がオシムさんにインタビューした際のことばの一部を紹介しました。 この時のオシムさんは佐藤CUOとのインタビューで 「サッカーには金がかかるようになった。日本のサッカー界も同じだ。そう感じるだろう。この前のオリンピックも、そのための国際会議も、ばく大なお金が使われた。使ったお金は返さなければならない。そのためには稼がなければ。大事なのはアイデアをだすことだ。頭を使うことだ。 さまざまなアイデアを出すことが革新につながる。もちろん全部のアイデアが採用されるわけではないが、未来を予測して、それに見合ったアイデアを出すことが大切だ。一歩一歩、進んでいくしかない」 そして 「いい仕事をするためには、誰かいい相棒を見つ
J1昇格プレーオフ決勝を12月7日(日)に迎えるジェフユナイテッド市原・千葉に、元監督のイビチャ・オシム氏からも激励のメッセージを頂きましたので、お知らせいたします。 イビチャ・オシム氏 ※写真は2005年当時 「日曜におこなわれるモンテディオ山形とのプレーオフ決勝は、ジェフにとって難しい試合だ。誰もが勝利を求めている。 一方で昇格への大きな望みがあり、他方で同じ望みを持つ対戦相手がいる。選手にも監督にも、誰にとっても望ましい状況とは言えない。 ただし、引き分けでも昇格が決まるのは、ジェフにとって有利であるといえる。山形は勝たねばならず、たとえレアル・マドリードでも、勝たねばならないときに勝つのは簡単ではないからだ。「ねばならない」というときは、ほとんど生きるか死ぬかになる。「死ぬまで戦う」といって勝つことは可能だが、「絶対に勝たねばならない」ときに、勝てるとは限らない。相手もあらゆる手を
74歳になった今も全く変わらない、日本そしてサッカーへの愛情。 日本を離れて早7年──。今、オシムの目に日本はどのように映るのか? 彼が待つサラエボに飛び、“我々が進むべき道”について聞いた。 ――今回のテーマは「Rewrite the Rule」。つまり、組織や社会を変革するための哲学についてお聞きしたいと思います。あなたは2006年にサッカー日本代表の監督に就任した際、まず最初に「日本サッカーの日本化」を掲げました。そこにはどんな意図があったのでしょうか。 「日本化は実は簡単なことではなかった。言うは易しだが、実現は難しい。日本人の特長を見極め、それを引き出す。さらに他者と比較する。ブラジルやイングランドと比べたとき、いくつかの領域で違いが明らかになった」 ――日本人の特長とは何なのでしょう? 「勤勉さの面で日本人は能力に恵まれている。それは能力であり特長だ。日本では誰もが勤勉に働いて
2月に装いも新たにスタートした『メルマガNumber』。 Number Webのリニューアルを記念して、1号分を無料公開します! 今回はイビチャ・オシムの「オシム問答」。日本代表への言及が多く、 読者からの反響も非常に大きかった4月25日配信分です。 オシムは現在の日本をどう見ているのか、随所にうかがわせてくれます。 聞き手の田村修一氏とのやり取りも含め、ぜひお楽しみください。 〈読者の皆さまへ〉 ワールドカップが近づくにつれて、オシムの周辺が慌ただしくなるのはいつものことではありますが、今回はボスニア・ヘルツェゴビナが初出場ということもあり、日本からの取材以上に地元ボスニアのメディアの取材や協会関係の仕事(直接彼が関わっていないにせよ)などでかなり慌ただしい様子です。 さて、「今週のオシム問答」ですが、ワールドカップまで2カ月を切ったこの時期であるからこそ、先に進むのではなく立ち止まるべ
J1昇格プレーオフ決勝を前にしたモンテディオ山形に対し、元サッカー日本代表監督イビチャ・オシム氏よりメッセージを頂きました。みなさまに下記の通り紹介させていただきます。イビチャ・オシム氏の温かいメッセージに深く感謝申し上げます。 14.12.5.オシム・山形へのメッセージ まず、天皇杯決勝進出に心からおめでとうと言いたい。 日曜におこなわれるJ1昇格プレーオフ決勝は、私はジェフ千葉よりもモンテディオ山形が有利だと見ている。たしかに山形は勝たねばならず、その点ではジェフにアドバンテージがあるが、ここまでの結果――天皇杯の準決勝やジュビロ磐田との昇格プレーオフ準決勝――を見たときに、山形の方が優れているといえるからだ。 正直に言って今日のチームを私は知らないが、かつて山形がどんなチームであったかはよく覚えている。ジェフの監督に就任して、初めて組んだ練習試合の相手が山形だった。以来、ジェフ同様に
74歳の今も精力的な活動を続けるオシム氏。この日も5時間もの車での移動にもかかわらず取材に応じてくれた 【宇都宮徹壱】 ボスニア・ヘルツェゴビナの首都・サラエボで、旧ユーゴスラビア諸国を中心に8クラブが参加したユース大会(正式名称は、4th INTERNATIONAL FOOTBALL TOURNAMENT U-17“PLAY FOOTBALL LIVE LIFE”)が、6月18日から行われた。かつてはひとつの連邦国家を形成しながら、今はそれぞれ「外国人」となってしまった若者たち。戦争もユーゴスラビアも知らない世代が、サラエボという歴史と民族が交錯する街を舞台に、サッカーを通して異文化を理解し、尊重することを学ぶ。この興味深い大会で、プレゼンターを務めていたのが、生粋のサラエボっ子であり、元日本代表監督でもある、イビチャ・オシム氏であった。 2006年に「日本サッカーの日本化」というテーゼ
代表監督時代から現在まで、4年以上にわたり通訳として 向き合ってきた彼に、人間オシムの魅力とは何かを聞いた。 '06年7月の日本代表監督への就任以来、イビチャ・オシムの隣には常に彼の姿があった。その光景は、オシムが脳梗塞に倒れて職を退いた後も変わることなく、厳しいリハビリをこなしながら日本協会のアドバイザーを務め、ついに6年間過ごした日本を離れることになる'09年1月まで続いた。 千田善。旧ユーゴスラビアをフィールドとする研究者として、'80年代から'90年代にかけ、留学時代も含めて10年近い在ユーゴ経験を持っていた彼は、突然舞い込んだオシムの通訳という仕事をなかば歓喜しながら引き受けた。中学、高校とサッカーに打ち込み、現在もシニアリーグでプレーする元サッカー小僧の千田にとって、オシムは、魅力的なサッカーを見せてくれる稀有な指揮官として、在ユーゴ時代の憧れの存在だったのだ。 オシムが好むサ
サラエボの自宅で抽選会を見守ったオシムは、 組分けとトーナメント表をにらみながら、展望を語った。 日本が入ったグループCに始まり、優勝候補の本命、 ダークホース、そして初出場となる祖国の可能性まで――。 ――日本はコロンビア、コートジボワール、ギリシャと同組になりました。 「他よりも危険の少ないグループだ。つまり優勝候補の本命であるようなチームはいない。たしかにコロンビアは強豪だが、ブラジルやアルゼンチン、スペイン、イタリアと同じではない。この中で最も優れたチームはコートジボワールだろう」 ――コロンビアよりも上ですか? 「コロンビアとコートジボワールが優位だ。だが日本とギリシャも力は接近していて、どの相手に対しても日本はノーマルなプレーができる。つまりチャンスがあるということだ」 ――初戦でコートジボワールと当たります。 「すでに何度か対戦しているだろう。思い出すのは、日本がホームで勝っ
今回の東日本大震災に関して、日本時間12日(土)夜、イビチャ・オシムからとても長いメッセージが寄せられた。ここに紹介するのはその一部だが、オシムと彼の家族とともに、筆者(田村)からも、被災された方々へのお見舞いとお悔やみを心から申し上げます。また、消息不明となっている方々の早期発見を祈念しております。 ◇ ◇ ◇ 犠牲になったすべての方々の冥福を謹んで祈りたい。家族も私も、心は彼らとともにある。 少なくとも私自身、日本という家族の小さな一員だと思っている。10年日本に住めば、日本人になるのは当然だ。そうである以上、無関心でなどいられない。 どうしたら具体的に力になれるか、今はまだわからないし、実際に力になるのは難しいかもしれないが、われわれも被害を受けたみなさんとともに生きることはできる。ひとりでは大変でも、仲間が増えれば困難にも立ち向かって行ける。事故や病気もそうだが、地
考えよ! ――なぜ日本人はリスクを冒さないのか? (角川oneテーマ21 A 114) 【本の概要】◆今日ご紹介するのは、性懲りもなく(?)サッカー本w サッカー日本代表前監督、イビチャ・オシム氏の最新刊です。 「JEF時代からのファン」である私にとっては、「1冊丸々オシム氏の言葉だけ」という本書は、それだけで「買い」。 また、かなり踏み込んだ内容となっているため、サッカー好きなら見逃せない1冊だと思われ! いつも応援ありがとうございます! 【目次】第1章 日本はW杯グループリーグを突破できる グループEは、難しくもないが簡単でもない 日本は決勝トーナメントに進める 3戦全敗の覚悟も必要 ほか 第2章 サプラィズがあるからW杯は楽しい サプライズを起こすのはどの国か? グループリーグの天国と地獄 優勝候補はどこだ ほか 弟3章 日本代表への提言 岡田監督のべスト4宣言 必要なものは「自信」
オシム氏とアシマ夫人。夫人と結婚する直前に開催された東京五輪の思い出は、今でも氏にとって大切な宝物だ 【宇都宮徹壱】 元サッカー日本代表監督であるイビチャ・オシム氏にとっての日本とのファーストコンタクトが、ユーゴスラビア代表として出場した1964年の東京五輪だというのはよく知られている。氏は瞳を輝かせながら、当時の思い出を饒舌に語る。 「東京に行った時には、いろんなお土産を買ったな。(当時、婚約中だった)妻には日本人形と着物を買った。今でも彼女は時々、それを家の中で着ているんだ(笑)。オリンピック村には、さまざまなスポンサー企業が店を出していて、そこでトランジスタラジオや真珠も買ったよ。(当時のユーゴでは)見られないものばかりが、そこにはあった」 その後、91年にパルチザン・ベオグラードの監督として、2002年のワールドカップ(W杯)にFIFA(国際サッカー連盟)の技術委員会スタッフとして
元日本代表監督のカリスマがサッカーの現在を深く洞察する メルマガ「イビチャ・オシムの『オシム問答』」。 最新号の中身をちょっとだけ……特別にご紹介いたします! ▼Lesson.103 目次 【1】 〈今週の「オシム問答」〉 「日本も進化しているが、世界もまた日本を上回る勢いで……」 【2】 〈オシムとの対話〉 「俊輔、遠藤、宮本……代表監督になる準備を始めておくべきだ」 【3】 〈パトリック・エムボマ、自身を語る 最終回〉 「一番長く影響を受けたのはミシェル・プラティニだった」 【4】 〈オシムの教え〉 「ACLは現状よりも、もっといいもの、面白いものにできるはずだ」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【2】 〈オシムとの対話〉 「俊輔、遠藤、宮本……代表監督になる準備を始めておくべきだ」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ジェフユナイテッド市原・千葉 イビチャ・オシム元監督が、1月4日、帰国されました。帰国に際しては、成田空港に300人を超えるジェフサポーターの皆様がお見送りに来られました。オシム元監督、アシマ夫人からも「こんなにたくさんのジェフサポーターに来てもらい、本当にうれしい。このサポーターがついていればジェフは大丈夫だ。皆さんによろしく伝えてほしい。」とメッセージを頂きました。 帰国日に先立ち、昨年12月29日に三木博計代表取締役社長、島田亮取締役、昼田宗昭チーム統括本部長が、お礼のごあいさつにオシム元監督宅を訪れました。その際、いただいたコメントを下記に紹介いたします。 帰国にあたり、イビチャ・オシム元監督からのジェフユナイテッド市原・千葉のファン・サポーター、クラブ関係者へのコメント 「昨シーズンは奇跡的な結果で終了したが、ミラクルは一度限りで、二度はおこらない。これは私だけの思いでなく、ファ
1: ◆HABUTAw6RU @川 ’ー’川φ ★ 2013/10/16(水) 05:57:47.05 ID:???0 FIFAワールドカップ ブラジル2014 欧州予選 ◆ A組 1位:ベルギー 2位:クロアチア ベルギー 1-1 ウェールズ スコットランド 2-0 クロアチア セルビア 5-1 マケドニア ◆ B組 1位:イタリア 2位:デンマーク イタリア 2-2 アルメニア デンマーク 6-0 マルタ ブルガリア 0-1 チェコ ◆ C組 1位:ドイツ 2位:スウェーデン スウェーデン 3-5 ドイツ フェロー諸島 0-3 オーストリア アイルランド 3-1 カザフスタン ◆ D組 1位:オランダ 2位:ルーマニア トルコ 0-2 オランダ ルーマニア 2-0 エストニア ハンガリー 2-0 アンドラ ◆ E組 1位:スイス 2位:アイスランド スイス 1-0 スロ
長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv 昨日のクロアチアのスポーツ紙「Sportske Novosti」に掲載されたオシムのロングインタビューの中から、幾つかかいつまんで翻訳してみました。140文字という制限で切れ切れになるかもしれませんが(苦笑) 2011-02-17 23:06:31 長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv アマルについて…「息子について語るのは私がやることではない。主観的に語っていると人々から言われるだろうからね。でも、監督の中では間違いなく最も教育された人物だろう。世界的に通用する三ヶ国の言葉を話すし、あらゆることに厳格な上に完全主義者だ。サッカーに関係する全てを追っている…」 2011-02-17 23:08:05 長束恭行@『もえるバトレニ』 @nagatsuka_hrv 「誰が父かなんて問題はアマルにはないと思う。彼は明
元日本代表監督のカリスマがサッカーの現在を深く洞察する メルマガ「イビチャ・オシムの『オシム問答』」。 最新号の中身をちょっとだけ……特別にご紹介いたします! ▼Lesson.89 目次 【1】 〈今週の「オシム問答」〉 「Jのクラブがアジアで結果を残せていないのが残念でならない」 【2】 〈オシムとの対話〉 「遠藤は常に自分を、チームメイトや相手もコントロールする」 【3】 〈バドゥ・ビエイラが語るジョホールバルの真実 ~第3回~〉 「中田は強かったが、イランにも屈強な選手が中盤に2人いた」 【4】 〈ゆるゆる取材日記レロレロ〉 【5】 〈オシムの教え〉 「状況を前進させる可能性を唯一持つのがサッカーだ」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【2】 〈オシムとの対話〉 「遠藤は常に自分を、チームメイトや相手もコントロールする」 ━━━━━━━━━━━━
Jリーグが20年目を迎えた。 リーグがこの20年で見せた発展の背景には、来日した世界的なスター選手や名将、類稀な能力を持った日本人選手たちの尽力があった。節目の年、改めて彼らの足跡を辿った。 ウェブでは、Number798号「<Jリーグ20年記念> 歴史を動かした20人。」 から、イビチャ・オシムとジェフ千葉の物語を公開。選手、スタッフとしてオシムの薫陶を受けた阿部、羽生、江尻、そしてオシム本人への取材を通じ、オシムがもたらした変革の本当の意図を明らかにする。 「教祖だって妻は言うんですよ(笑)」 あなたにとってイビチャ・オシムは? との問いに、羽生直剛は少し考えた後でそう答えた。現在、FC東京でプレーする彼は、ジェフ千葉でオシムに育てられたいわゆるオシム・チルドレンのひとりである。 「教祖という言葉は宗教がかって違和感もあるけど、サッカーの話をしながら、人生も一緒なんだって調子に乗ってし
■2ちゃんねるまとめサイト 2ちゃんのオフ会に参加する奴って頭おかしいだろ 2ちゃんやってることがバレるだけでも恥ずかしいのに
優勝経験がないからか、市原の選手は勝ち方を知らない。 これまでも、相手を恐れてミスを連発し、崩れてしまうことがあった。 大事なのは「自分たちはもっとできる、勝てる」と信じること。 そのためには、どんな状況でも、自分は何をなすべきかを把握しなければならない。 実戦に近い練習試合や狭いスペースでのパス練習を繰り返してきた。 強くなったと言われるが、選手には、まだまだ伸びしろがあると思っている。
体罰問題が世間を騒がせている。 私は基本的に、体育会系的なノリとは無縁の人間なので、こういった「体罰」や「しごき」といった世界のことは理解に苦しむところはあるが、とりあえずは暴力反対の傍観者として思うところはあるので、今回はそのことについて少し語ってみたい。 この手のニュースを見ると、私がいつも思い出すのがイビチャ・オシムの言葉である。 元サッカー日本代表の監督も務めたオシム氏といえば、ユーゴスラビアはサラエヴォの出身。 ユーゴのスポーツ選手といえば、戦争に翻弄されなかった人はいないが、オシムもまたその一人だった。 1992年、ボスニア・ヘルツェゴビナの連邦離脱を受けてユーゴスラビア軍がサラエヴォに侵攻。 オシム氏自身は直前に次男と、仕事でサラエヴォを離れていたため戦火に巻き込まれなかったものの、妻と娘が包囲された街に取り残され、2年間も離ればなれになり、塗炭の苦しみを味わうこ
イビチャ・オシム(Ivica Osim、Ивица Осим、本名:イヴァン・オシム, Ivan Osim、Иван Осим、1941年5月6日 - 2022年5月1日)は、ボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー選手、サッカー指導者。愛称はシュワーボ。なお、より原音に忠実な表記はイヴィツァ[1]。 旧ユーゴスラビア代表の最後の監督であり、日本でもジェフユナイテッド市原・千葉、日本代表で監督を歴任するなど、世界各国で豊富な指導歴を持つサッカー指導者である。 経歴[編集] 労働者居住区であったグルバビツァで父ミハイリ、母カタリーナのオシム家一男一女の長子として出生。ドイツ人の血を引く。ミュンヘン出身の母方の祖母の影響で家庭内での会話はドイツ語中心で育つ。居住区では娯楽も物資も殆ど無く他の住民も似たり寄ったりの生活で必然的にサッカーが子供の遊びとなりイビチャ少年も靴下を丸めたものをボールに見立て路
イビチャ・オシム氏のアドバイザー就任記者会見が行われました。会見でのイビチャ・オシム氏および、田嶋幸三 財団法人日本サッカー協会 専務理事のコメントは以下の通りです。 ------------- ●イビチャ・オシム氏: 「なにをいったらいいんでしょう・・・向こう側の世界まで行って戻ってきました。私の復帰に対して激励を寄せてくれた皆さんに改めて感謝します。私もプロとしてやらなければならないと思う努力をして戻ってくることができたので、マスコミの皆さんにも努力をしてもらいたいと思います。こんなにたくさんの記者が来るというのは誰も言ってくれませんでした。もう少し顔の化粧でもしてくればよかったですね。 それはともかく、人間だれでも人生のなかでこれだけはしたいという希望があるものです。それがあったからこそ私は向こうから戻ってこられました。つまり、私がやり始めた仕事を完成できなかったとい
Jリーグのジェフや日本代表、そして祖国・ユーゴスラビアの監督を歴任したイビチャ・オシムさんが亡くなりました。2003年、オシムさんはタイトルとは無縁だった当時のジェフ市原の監督に就任しました。 サンデースポーツは、オシムさんに抜擢されて目覚ましい活躍をみせて日本代表にも選ばれた佐藤勇人さんを取材しました。放送ではお伝えしきれなかったインタビュー詳細です。 ー オシムさんの訃報を聞いたのは? 勇人) 解説の仕事の帰り間際に携帯を開いて知りました。電車に乗って帰宅しているときに当時のいろんな感情とか思いが込み上げてきまして、電車の中はなんとか我慢できたんですけど、そのあと駅から自宅につくバスの中では、涙が止まりませんでした。 ー 最初に思い浮かんだのは? 勇人)一番初めて会ったときの鋭い表情、またナビスコカップでタイトル取った時に優勝トロフィーのカップを持ってニコッとした笑顔、この2つが自分の
元サッカー日本代表監督・イビチャ・オシム氏逝去 イビチャ・オシムが日本に来るまでの物語 旧ユーゴスラビア最後の監督 壮絶な戦い 政治紛争に翻弄される 極東のサッカー後進国へ オシムの凄さ【日本に来たという事実そのもの】 オシムの凄さ【戦術①】 オシムの凄さ【戦術②】 オシムの凄さ【未来を見抜く力】 オシムの凄さ【名言集】 イビチャ・オシムが遺してくれたもの 元サッカー日本代表監督・イビチャ・オシム氏逝去 出典:オシム氏をイタリア紙も追悼「天才的選手でカリスマ性のある指揮官」「ユーゴスラビアで最も偉大な人物」 - サンスポ 2022年5月、元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシム氏が亡くなりました。享年80歳。 皆さんはイビチャ・オシム氏をご存知でしょうか。 サッカーに興味がない方はもしかしたらご存じないかもしれませんね。 サッカーに興味がある方も、オシム氏がどんな方で、日本サッカーにとって
2003年からジェフ千葉の指揮を執り、06年から07年まで日本代表監督を務めたイビチャ・オシム氏 【(C)WOWOW】 宮本恒靖とイビチャ・オシム――夢の対談が実現。世界をリードするリーガ・エスパニョーラの2強、レアル・マドリーとバルセロナの対戦“クラシコ”が3月23日(日本時間24日早朝)に迫る中、その中に日本人選手が飛び込む日は来るのか? そして日本サッカーの未来は? 日本サッカー界と代表について、世界の視点から最も深く語ることができる2人が言葉を交わした。 宮本 日本人選手がスペインで活躍できないのはなぜでしょう? ドイツやイタリアでは成功していますが……。 オシム どうして日本人がスペインリーグでプレーしていないのか、というのは良い質問だ。それにはまず、スペインが最高のサッカーをしていると認める必要がある。だから移籍できたとしても、試合に出るのは難しい。スペインのサッカーは、ハイブ
メルマガNumber「イビチャ・オシムの『オシム問答』」、 最新号が配信されました。7月31日配信号の内容を一部ご紹介します。 ▼Lesson.85 目次 【1】 〈今週の「オシム問答」〉 「卓越した個が美しい物語を紡ぎだす時代は、過去のものとなった」 【2】 〈オシムとの対話〉 「たったひとりですべてを背負う選手を求めるべきではない」 【3】 〈オシムの教え〉 「リーグの雰囲気を変え、日本代表の基準を変える」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【2】 〈オシムとの対話〉 「たったひとりですべてを背負う選手を求めるべきではない」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ――それではドイツは優勝に値したと思いますか? オシム:相応しいチームだった。最も知的であったのに加え、技術的にも戦術的にも優れていた。リーグのレベルが高
元日本代表監督のイビチャ・オシム氏が亡くなった。1日、オシム氏がかつて監督を務めたオーストリアのクラブ、シュトルム・グラーツも公式サイトで発表した。80歳だった。 クラブのジャゥク会長は、「イビチャ・オシムは素晴らしいコーチであるだけでなく、私が人生で出会った最高の人物の1人でもあった。私たちのクラブの最大のアイコン(象徴)であり、一緒に過ごした多くの時間を決して忘れません。彼はサッカーそのもの、それをはるかに超えた影響力を持っていた。彼の言葉は、永遠に私たちの中で生き続けます。奥様、2人の息子さん、そして家族全員に心からお悔やみ申し上げます」との声明を出した。 旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボ生まれ。1986年にユーゴ代表監督に就任。1990年W杯イタリア大会で8強入り後、シュトルム・グラーツ監督などを歴任し、2003年に市原(現ジェフユナイテッド千葉)の監督に就
理想を具現化する上で、指導者の発する 言葉の重みと効果的な伝え方とは――。 日本サッカーのさらなる前進を望む名将が、 豊富な経験と深い愛情をもとに伝授する。 本日発売の『NumberPLUS イビチャ・オシム 日本サッカーに告ぐ2014』より、 ザックジャパンの転機となった2011年のアジアカップ制覇直後に、 クロアチアの地で語ったオシムの金言を、特別に公開します。 イタリア国境に近いクロアチアの港町プーラ。アドリア海沿岸でも屈指の保養地に、イビチャ・オシムはアシマ夫人とともに滞在していた。アマルが率いるジェリェズニチャル(ボスニアリーグ2009-2010年優勝)が、ここで合宿を行なっている。息子に招待されての訪問は、自らのリハビリも兼ねていた。こけた頬と精悍な眼差し。歩くスピードも、これまでのどのインタビューのときよりも速い。 同じホテルにチェックインしたわれわれの食事が終わるのを待つの
スカパー!オフィシャルコメンテーターを務めるイビチャ・オシム氏がオランダ戦を振り返った 【(C)スカパー!】 ――前半は集中して守っていたが 守備は規律を守ってよくやった。だが、もっといいプレーができたはずだ。攻撃ではボールをもっと速く動かすことができれば、もっと速いパスで相手をもっと余計に走らせることができたと思う。そして最後の部分で、フィニッシュの精度が問題なのだが、もっとコレクティブな攻撃ができなかったのかと思う。もっと勇敢にアタックするべきだった。サッカーは得点を競うスポーツだから、物足りない。日本代表の選手たちはオランダを怖がっていた印象がある。オランダが怖がるような攻撃ができていなかった。日本に欠けていたのは殺し屋の本能、チャンスがあったら絶対にそれをものにするという気迫。それがないから勝てなかった。 ――今大会の中で戦い方を変えていくことで世界と互角に戦えるようになるか?
メルマガNumber「イビチャ・オシムの『オシム問答』」、 最新号が配信されました。6月30日配信号の内容を一部ご紹介します。 ▼Lesson.83 目次 【1】 〈今週の「オシム問答」〉 「何が失敗だったのか、考えていく。とてもシンプルだ」 【2】 〈オシムとの対話 Chapter.1〉 「変えねばならないのは選手、サポーター、メディアのエスプリだ」 【3】 〈オシムとの対話 Chapter.2〉 「日本はとりわけ個々の経験が不足している」 【4】 〈オシムの教え〉 「今日のサッカーの理念は、ボールキープして得点機を作ることだ」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【3】 〈オシムとの対話 Chapter.2〉 「日本はとりわけ個々の経験が不足している」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ オシム:問題は誰もがメッシ
Twitter: 58 Facebook LINEでおくる B! Bookmark 更新通知を受ける ジェフ千葉は30日、今年5月に死去した元ジェフ監督のイビチャ・オシム氏の追悼試合と追悼セレモニーを11月20日にフクダ電子アリーナで行うことを発表しました。 追悼試合ではオシム監督時代のジェフOBとオシム監督時代の日本代表OBによるエキシビションマッチが開催されます。 [千葉公式]オシム元監督追悼試合及び追悼セレモニーの開催について https://jefunited.co.jp/news/detail/899 ジェフユナイテッド市原・千葉では、今年5月1日に逝去されましたイビチャ・オシム元監督への追悼の意を込めまして 追悼試合及び追悼セレモニーを開催することとなりましたのでご案内いたします。 (中略) 〇開催趣旨 日本サッカー界に多大なる貢献をされたイビチャ・オシム元監督を追悼するととも
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