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シベリアの検索結果1 - 2 件 / 2件

  • 【ロシア9,288 km】シベリア鉄道に乗って東京の一戸建てをアピールしてきた【6泊7日電車】 | SPOT

    「ロシアのシベリア鉄道にのってみたい」と言ったライターpatoさん。ウラジオストクからモスクワまでの全行程、移動も宿泊も全部電車の果てしない旅に出ました。 ※記事読了時間目安 : 45分 ※この記事は「東京に、家を持とう。」でおなじみの「オープンハウス」の提供でお送りいたします。 【1日目】13:00(日本時間14:00)ロシア ウラジオストク国際空港 みなさんこんにちは! 僕は現在、東京から1250 km離れた、ロシアのウラジオストク国際空港にいます。ロシアの中でも「極東」と呼ばれるこの地域、最果ての地というイメージが付きまとい、寂びれたイメージがあったのですが、実はそうではなく、空港の設備もそこそこに最新鋭で、かなり活気があります。なにより人が多い。 地図でみるとこうです。東京からはそこそこ近い位置ですが、モスクワなどから見ると「極東」と言われても仕方がない、そんな場所にあります。とい

      【ロシア9,288 km】シベリア鉄道に乗って東京の一戸建てをアピールしてきた【6泊7日電車】 | SPOT
    • ー40℃超のシベリアで黒パンをかじりながら、祖国へ戻る希望をひたすら抱き続けた【抑留体験】 - メシ通 | ホットペッパーグルメ

      「シベリア抑留」という歴史上の悲劇をご存じだろうか。 終戦直後、当時の満州国などの外地に残っていた日本兵ら約60万人が、ソ連によって武装解除・投降を余儀なくされ、捕虜としてシベリアをはじめとするソ連各地に移送された出来事である。そこでは想像を絶する寒さや容赦のない重労働、劣悪な生活環境などにより、約10人に1人にあたる約6万人が命を落としたといわれている。 今回で第6回目を数える「極限メシ」で話をうかがったのは、極寒のシベリアで2年4カ月もの間抑留された後、生還した中島裕さん(92歳)。中島さんと戦友たちの命運を分けたものはなんだったのか。極限状態の中、いったい何を食べて生き延びたのだろうか。 壮絶なエピソードに加え、ご本人が抑留体験を回想しながら描きためたという絵もぜひご覧いただきたい。 話す人:中島裕(なかじま ゆたか)さん 大正15年(1926年)北海道生まれ。昭和19年(1944年

        ー40℃超のシベリアで黒パンをかじりながら、祖国へ戻る希望をひたすら抱き続けた【抑留体験】 - メシ通 | ホットペッパーグルメ
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