町火消しは遊興の徒ではなく、普段は大工・鳶・左官などの職人として働いていたため、高所の作業を伴う火消しに適役だった。火消しという勇気・胆力を必要とする危険な作業であることが義侠心を育て、町火消しは運命共同体的侠気集団になっていった。 江戸後期に町火消し同様大きな集団をなしたのが、賭博を生業とする博徒である。博徒は上級藩士の雑用を担う「中間部屋」から発したもの、目明し(町役人に雇われ犯罪人の捜査・逮捕に従事した者。岡っ引き)から発したもの、地方の農村博徒から発したものなどがある。 彼らはほかに職業を持たない専業アウトローとして、博奕を集結点にして集団を形成していった。江戸末期になると、博徒の目明しとの兼業を発展させ、体制側が博徒に十手を与えて警察力を代行させるようになる。 江戸末期には労働力供給業者としてのヤクザである人入が発達した。明治期になると、産業化によって炭鉱、港湾での下層労働にも同