並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 14 件 / 14件

新着順 人気順

上岡龍太郎の検索結果1 - 14 件 / 14件

  • 【追悼】上岡龍太郎さんが生前語った“隠居の極意”「食事は一日500円」 | AERA dot. (アエラドット)

    流暢な語り口でテレビ番組の司会者などとして活躍した 元タレントの上岡龍太郎さんが5月19日、肺がんと間質性肺炎のため死去した。81歳だった。 上岡さんは1942年、京都市生まれ。60年に横山パンチの芸名で、横山ノックさん、横山フックさんと「漫画トリオ」を結成。68年に解散後は、流暢な語り口でテレビ番組の司会者などとして活躍した。 2000年に芸能界を引退した後は、表舞台にはほとんど表れなかった。週刊朝日は2003年9月、独占インタビューを掲載。当時のインタビューから上岡さんの人生を振り返る。 ※ ※ ※ 早いもんで、隠居してから3年ですか。遊んで暮らすのは、これでなかなか忙しいもんでしてね。 歌舞伎、お芝居、落語。神戸ポートアイランドにサザンオールスターズを見に行って、それから比叡山延暦寺の薪歌舞伎は、しつらえがよかったなあ。芝居では風間杜夫の「風のなごり―越中おわら風の盆」。舞台であれだ

      【追悼】上岡龍太郎さんが生前語った“隠居の極意”「食事は一日500円」 | AERA dot. (アエラドット)
    • 上岡龍太郎さん死去 81歳 『ナイトスクープ』初代局長として活躍

      2000年に芸能界を引退した元タレントの上岡龍太郎さんが、5月19日に大阪市内の病院で肺癌と間質性肺炎のため死去した。81歳だった。2日に米朝事務所が報告した。 上岡さんは1942年3月20日生まれ、京都市出身。横山パンチの芸名で、60年に横山ノックさん、横山フックさんと「漫画トリオ」を結成。68年に解散後は、テレビやラジオ番組の司会などで、絶妙な笑いを交えたトークを繰り広げ、関西を中心に絶大な支持を誇った。 笑福亭鶴瓶と共演した『鶴瓶上岡パペポTV』や、初代探偵局長を務めた『探偵!ナイトスクープ』をはじめ、『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』などヒット番組多数。「東京嫌い」で知られたが、全国ネットの番組でも人気となった。 講談師としての顔や、劇団の主宰、さらに阪神タイガースのオーナーを気どるなど、幅広い知識を生かし、大阪文化をけん引。「芸能生活40周年で隠居する」と公言し、惜しまれながら2

        上岡龍太郎さん死去 81歳 『ナイトスクープ』初代局長として活躍
      • “空中浮遊”、“壺事件”…「ダマされたらアカンですよ!」オカルト嫌い・上岡龍太郎が戦った「時代の空気」 | 文春オンライン

        元タレントの上岡龍太郎が5月19日に亡くなった。81歳だった。追悼記事や追悼番組が数多く企画される中で、流暢な話芸や舌鋒鋭い毒舌とともにクローズアップされたのが上岡の「オカルト嫌い」という一面だった。 上岡が自ら語っていた武勇伝的なエピソードとしては、占い師に「私は今からあなたを素手で殴るか灰皿で殴るか、どっちで殴ると思う?」と尋ねたところ、「あなたはそういうことをする人ではありません」と答えたので「そういうことをする人じゃ!」と殴ったというものがある(『いろもん』00年3月30日)。 また、占い師のスカートをめくって「今日ここへ来たらめくられるっちゅうのがわからんか?」と言ったところ「わかってました」と答えたので顔にペケを描いたというエピソードも語られている(『鶴瓶上岡パペポTV』94年6月10日)。ただし、このような話は芸人特有の誇張された話の可能性がある。上岡本人も引退前最後のテレビ

          “空中浮遊”、“壺事件”…「ダマされたらアカンですよ!」オカルト嫌い・上岡龍太郎が戦った「時代の空気」 | 文春オンライン
        • 【追悼】「関西最後の大物芸人」上岡龍太郎氏が58歳で芸能界引退した理由(ラリー遠田) - エキスパート - Yahoo!ニュース

          元タレントの上岡龍太郎氏が、5月19日に大阪府内の病院で肺がんと間質性肺炎のため亡くなっていたことが発表された。81歳だった。 いま40代以上の一般的なテレビ視聴者であれば、上岡のことを知らない人はほとんどいないだろう。彼はかつて数多くの番組で司会を務めた人気芸人だった。 しかし、若い世代の中には彼のことをよく知らないという人もいるかもしれない。その理由は、上岡が2000年に引退を発表して、二度と表舞台に復帰することがなかったからだ。去り際があまりにも鮮やかだったため、下の世代の人にはその存在すら認知されていない可能性がある。 彼は人気絶頂期になぜ自ら引退を選んだのか。毀誉褒貶の激しい上岡龍太郎とはそもそもいかなる人物だったのか。その歩みを紐解いていきたい。 1942年、上岡龍太郎は京都府に生まれた。物心ついたときからラジオで流れてくる漫才や落語を熱心に聞いていた。中学生のときには時代劇に

            【追悼】「関西最後の大物芸人」上岡龍太郎氏が58歳で芸能界引退した理由(ラリー遠田) - エキスパート - Yahoo!ニュース
          • タモリ74歳、たけし73歳は現役なのに 20年前、なぜ上岡龍太郎は58歳できっぱり引退できた? | 文春オンライン

            “あの人”の姿をテレビで見なくなってから20年が経つ。当時、あの人は還暦前の58歳。まだ十分に人気はあり、体力・気力も残しての引退だった。 あの人――元タレントの上岡龍太郎は、芸能界を引退すると2年前から公言していた。とはいえ、その日が来るまで仕事の関係者も含めて、ほとんどの人が半信半疑だった。何しろ、彼が前言を撤回することは珍しくなかったからだ。たとえば、それまでさんざんゴルフの悪口を言っていたのに、自分で始めたとたんにすっかり夢中になってしまった。引退する際には、プロゴルファーになるとも宣言し、実際に米サンディエゴのゴルフアカデミーにも留学している。だが、結局この宣言も実現にはいたらなかった。引退後にはまた、2003年の大阪市長選に出馬するという計画も立てていたが、これものちに「才能がないのに気づいた」と撤回している(※1)。

              タモリ74歳、たけし73歳は現役なのに 20年前、なぜ上岡龍太郎は58歳できっぱり引退できた? | 文春オンライン
            • 立山たつあき on Twitter: "一連の吉本芸人の闇営業のニュースについて、同業者から一般人までいろんな事言ってるけど結局、30年前の上岡龍太郎のコメントに勝るものは無いと思っている。 https://t.co/H91Q6ICLx4"

              一連の吉本芸人の闇営業のニュースについて、同業者から一般人までいろんな事言ってるけど結局、30年前の上岡龍太郎のコメントに勝るものは無いと思っている。 https://t.co/H91Q6ICLx4

                立山たつあき on Twitter: "一連の吉本芸人の闇営業のニュースについて、同業者から一般人までいろんな事言ってるけど結局、30年前の上岡龍太郎のコメントに勝るものは無いと思っている。 https://t.co/H91Q6ICLx4"
              • 語り継ぎ難い芸人 上岡龍太郎 【追記有り

                口惜しいです。 ありがとうございました。 上岡龍太郎師匠。 面白くて、賢くて、粋で、格好良くて、危険な おっちゃんが おったんや。 上岡師匠を語る事が難しい理由は、いくつもある。 ・そもそも現役引退が23年も前である事。 ・引退がネット普及の直前で、その足跡がネット上に殆ど無い事。 ・増田自身がアラフィフで、 実際には上岡師匠の活躍を引退前の5~6年しか知らない事。 (追記修正:ごめんなさい。増田はアラフォーでしたわ。「アラフィフの人の意見が聞きたい!」  という気持ちが空回りしてしまいました。) ・上岡師匠の芸は司会とトークが強く、 その実力と活躍に比して〈作品〉や〈芸〉と言えるものが少ない事。 考えが まとまらない。  思いつくままに書く。 大昔に引退された故人を語り継ごうと思う事自体が、増田が老害になった証拠なのだろう。 しかし、 若い人に語り継ぐという方針でないと 上岡師匠に関して

                  語り継ぎ難い芸人 上岡龍太郎 【追記有り
                • ボクはふと、上岡龍太郎さんを大滝詠一さんに合わせたら、化学反応が起こるのではないかと、ボクの根っからのいらないお世話根性がクビを出し、ボクがまったく面識のない大瀧詠一さんに「上岡龍太郎にお会いしませんか?」とオファーを出す - 植竹公和の日記

                  上岡龍太郎さん 逝去のニュース。 上岡龍太郎さんとの初対面は30年以上前の『ムーブ・上岡龍太郎の男と女ホントのところ』(TBS). その後、タイトルは「上岡龍太郎がズバリ!」に変わる。 この番組 毎週スタジオにあらゆる同種の人々を50人集める。 第一回目がボクが担当だった「極道の妻たち50人」。 その関係者が見学に来ているスタジオ内は異様な空気に包まれていた。 組の違う女将さんたち。 そして、スタジオ内にいる組の子分たち。 あわや、収録中に発泡事件があったりしたらどうしようと、 スタジオとサブを行ったり来たりしていた。 上岡龍太郎さんが東京レギュラー初進出の鳴り物入りの19時代のバラエティ番組。 関西の大御所に台本を書くのは度胸がいった。 『漫画トリオ』で60年代にすでに天下をとり、コンスタントに 関西のテレビに君臨している芸人さんであり、大御所。 しかし、そのことは杞憂におわった。 ボク

                    ボクはふと、上岡龍太郎さんを大滝詠一さんに合わせたら、化学反応が起こるのではないかと、ボクの根っからのいらないお世話根性がクビを出し、ボクがまったく面識のない大瀧詠一さんに「上岡龍太郎にお会いしませんか?」とオファーを出す - 植竹公和の日記
                  • 92歳キダタロー、上岡龍太郎さんの収録途中退場現場を振り返る 「彼のあまりの思いに何もできませんでした」探偵!ナイトスクープ最高顧問

                    上岡龍太郎さんの訃報に、ABCテレビ「探偵!ナイトスクープ」で最高顧問として、初代局長を支えた作曲家、キダタロー(92)が2日、所属事務所を通じてコメントを発表した。 「彼は呪術的(オカルト)なことに異様なぐらい憎悪を示しました。昔、家族の方ががんに侵された折り、呪術師たちに翻弄されて苦しんだのが原因だと聞いたことがあります」とまずコメント。上岡さんが怒って、収録現場から帰ってしまった「有名な『探偵!ナイトスクープ』途中退場もオカルトの扱いが原因でした。私も現場に居合わせたんですが、彼のあまりの思いに何もできませんでした」と振り返った。 人柄については「上岡さんは常に『上岡龍太郎』という頑固で冷静な鎧をまとい、内心を見せない男でした」と説明したが「が、ほんの少し隅にポロリと鎧の下を見せることがあり、私は2回見ました」と続けた。 「東京進出のほんの初期のころ、都内のテレビ局でご一緒しました。

                      92歳キダタロー、上岡龍太郎さんの収録途中退場現場を振り返る 「彼のあまりの思いに何もできませんでした」探偵!ナイトスクープ最高顧問
                    • 上岡龍太郎が現役だったら、関西の「維新」はどうなっていたか?…というIF【訃報に際して】

                      ИРО法人全裸中年男性理解促進センター @OKB1917 テレビで芸能人というか関西芸人の人とたまにご一緒する訳ですが、時々「東京=中央=権威が我々を騙そうとしている。そんなものは見抜いて抗ってやる」という強い意志を感じるのですよぬ。それが上手い方向に行ってる人とひたすら変な方向に凝り固まって手がつけられない人がいるのだと思う。 2021-08-19 07:08:18 BlackMarines @BlackMarines そういう意味で今の関西民放における政治的な尊西攘夷のスタンスや、後の橋下維新的な土壌を作り上げた上岡龍太郎と亡くなったたかじんさん、そして上手くその中を遊泳してきた辛坊治郎の罪は重い、というか。 twitter.com/OKB1917/status… 2021-08-19 10:42:48

                        上岡龍太郎が現役だったら、関西の「維新」はどうなっていたか?…というIF【訃報に際して】
                      • 追悼・上岡龍太郎(てれびのスキマ) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                        2000年に芸能界を引退した上岡龍太郎さんが、5月19日に大阪市内の病院で肺癌と間質性肺炎のため亡くなった。 息子で映画監督の小林聖太郎は、こうコメントを寄せている。 とにかく矛盾の塊のような人でした。父と子なんてそんなものかもしれませんが、本心を窺い知ることは死ぬまでついに叶わなかったような気もします。 弱みを見せず格好つけて口先三寸……。運と縁に恵まれて勝ち逃げできた幸せな人生だったと思います。縁を授けてくださった皆様方に深く感謝いたします。 (「ORICON NEWS」2023年6月2日) 「弱みを見せず格好つけて口先三寸」まさに、上岡龍太郎はそんな男だった。 「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流」をキャッチフレーズに、立て板に水のような話術で人気を博し、『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送)の初代局長として唯一無二の番組のカラーを作り上げ、『EXテレビ』の読売テレビ制作の火曜・木曜、

                          追悼・上岡龍太郎(てれびのスキマ) - エキスパート - Yahoo!ニュース
                        • 元タレントの上岡龍太郎さん 死去 81歳 関西を中心に活躍 | NHK

                          テレビ番組の司会などで関西を中心に活躍した、元タレントの上岡龍太郎さんが、肺がんと間質性肺炎のため、大阪府内の病院で5月19日に亡くなりました。81歳でした。 上岡龍太郎さんは1942年に京都市で生まれ、1960年に故・横山ノックさんらとともにトリオ漫才の「漫画トリオ」を結成すると、ノックさんの明るく強烈な「ボケ」に突っ込みを入れるスタイルで一躍人気を得ました。 1968年に「漫画トリオ」の活動を休止してからは、タレントとして数多くのテレビのバラエティー番組で司会などとして活躍し、辛口のコメントを交えた切れ味のよい流ちょうな話しぶりで親しまれました。 特に、1988年から放送が始まった民放のバラエティー番組「探偵!ナイトスクープ」では、初代局長として鋭いツッコミや時に見せる厳しい意見で、番組の顔として人気を不動のものにしました。 ほかにもトーク番組などで関西を中心に幅広く活躍していましたが

                            元タレントの上岡龍太郎さん 死去 81歳 関西を中心に活躍 | NHK
                          • 上岡龍太郎さん死去 81歳 「探偵!ナイトスクープ」初代局長 | 毎日新聞

                            テンポが良く風刺の利いた語り口で愛され、「探偵!ナイトスクープ」をはじめ人気番組の司会者などとして幅広く活躍した元タレント、上岡龍太郎(かみおか・りゅうたろう、本名・小林龍太郎=こばやし・りゅうたろう)さんが5月19日、肺がんと間質性肺炎のため亡くなった。81歳。葬儀は近親者で営んだ。 京都市出身。音楽活動の後、18歳だった1960年に故・横山ノックさんらと「漫画トリオ」を組み、横山パンチを名乗った。「パンパカパーン、今週のハイライト」のかけ声で始まる時事ネタ漫才が注目され、トリオのしゃべくり漫才を確立。人気の絶頂にあった68年、ノックさんの参院選出馬により解散した。 1人で活動を始めてからは、持ち前の批判精神と芸能に関する豊富な知見を生かし、理路整然とした辛口の語りでテレビ・ラジオで活躍した。「ラブアタック!」(朝日放送)や「ノックは無用!」(関西テレビ)、「鶴瓶・上岡パペポTV」(読売

                              上岡龍太郎さん死去 81歳 「探偵!ナイトスクープ」初代局長 | 毎日新聞
                            • 上岡龍太郎さん死去 81歳 『ナイトスクープ』初代局長として活躍(オリコン) - Yahoo!ニュース

                              2000年に芸能界を引退した元タレントの上岡龍太郎さんが、5月19日に大阪市内の病院で肺癌と間質性肺炎のため死去した。81歳だった。2日に米朝事務所が報告した。 【写真】息子は映画監督の小林聖太郎氏 松坂桃李主演の『マエストロ!』手掛ける 本人の強い意向により、ごく限られた身内で密葬を済ませており、お別れの会なども固辞したいとの旨を伝えていたという。 上岡さんは1942年3月20日生まれ、京都市出身。横山パンチの芸名で、60年に横山ノックさん、横山フックさんと「漫画トリオ」を結成。68年に解散後は、テレビやラジオ番組の司会などで、絶妙な笑いを交えたトークを繰り広げ、関西を中心に絶大な支持を誇った。 笑福亭鶴瓶と共演した『鶴瓶上岡パペポTV』や、初代探偵局長を務めた『探偵!ナイトスクープ』をはじめ、『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』などヒット番組多数。「東京嫌い」で知られたが、全国ネットの番

                                上岡龍太郎さん死去 81歳 『ナイトスクープ』初代局長として活躍(オリコン) - Yahoo!ニュース
                              1