・朝より晩まで 金70銭(14本) ・朝よりヒルまで 金30銭(7本) ・ヒルより晩まで 金40銭(8本) ・バンより朝まで 金70銭(14本) ・バンより鈴まで 金25銭(10本) ・鈴より朝まで 金25銭(5本) ・初線香 金20銭(4本) (当時の看板の原文通り) 江戸時代の貝塚遊郭は紀州街道沿いにあったとされていますが、やはり主要幹線沿いに遊郭はふさわしくないと移転させられ、大正3年(1914)にミカン畑だったという近木こぎ地区に移りました。現在、「遊郭跡」されている地区です。 遊郭の移転となると、「穢けがれ」としてふつうはド郊外に移転させられます。日本家屋のトイレは、同じく穢れとして建屋の外れに置かれることがほとんどですが、遊郭が性欲という穢れとして町外れに追いやられたのも、おそらく同じ考えだろうと思います。 しかし、貝塚は展開が違っていました。明治30年に南海鉄道が貝塚駅を開業