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掃除・片付け
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ロケットの街大樹町を出て網走に向かおうとした時、町はずれの川に多くの鯉のぼりが翻っているのが見えましたので、思わずクルマを停めて写真を撮りました。そういえばこの日から5月なのでした。 この日も高速道路は使わず、並行して走る国道を走っていて、帯広の市街地の手前で「幸福駅」跡の案内標識を見つけました。 若い皆さんはご存じないでしょうが、この「幸福駅」と、同じ旧国鉄広尾線の「愛国駅」は昔大変有名な駅でした。1973年にNHKのテレビ番組で紹介されたのをきっかけとして、愛国駅から幸福駅行きの切符が「愛の国から幸福へ」のキャッチフレーズで若者たち中心に一大ブームになったのです。当時私も大学生で若者の端くれではあったのですが、「愛国」というイメージと「愛の国」は180度違うと思って斜めに構えていたものでした。 広尾線が廃止となり、当然幸福駅も愛国駅も無くなったのですが、どちらも記念施設として復元されて
新ひだか町にある道の駅で朝を迎えましたが、天気予報通り前夜から天気は崩れ、終夜強い雨が降り続いていました。 この日は朝からリモートで打ち合わせの予定でしたが、開始は10時ですから起床後数時間の余裕がありました。そのまま駐車場で待機するのも時間がもったいないですから、その間に近くのコインランドリーを探して洗濯して来ることにしました。9時過ぎにまた道の駅に戻り、10時から業務を始めました。別に後戻りする形になるここの道の駅に戻ってこなくても、コインランドリーの駐車場で問題は無かったのですが、この道の駅の隣にある温泉は10時から日帰り入浴に対応していましたから、業務終了後ここで入浴してから移動しようと考えたのです。 14時の業務終了後、まずは同じ敷地内にあった屋台風の店で「つぶそば」を遅めの昼食としました。名前からの連想通りつぶ貝が載ったそばで、貝好きとしては外せないメニューです。そしてその店で
この日黒松内の道の駅を出発する時には、道北の前に道東を目指すことに決めていて、まずは羊蹄山を遠く左前方に望みながら、洞爺湖・昭和新山へ向けて走り始めました。洞爺湖畔の桜並木を楽しんだりしながら湖をほぼ一回りした後、有珠山・昭和新山を今回はパスして、すぐ支笏湖に向かうこととしました。そして民家など一軒もない白樺林の中を抜けて行く国道453号線を、渓流や滝の写真を撮ったりしながらいい気持で走っていると、支笏湖のかなり手前で、白老・ウポポイへの案内表示が目に入りました。今回桜と共にウポポイ(民族共生象徴空間)も必ず行こうと決めていた場所なのですが、この時までは帰路に立ち寄る積りだったのです。が、この看板で一気に心がウポポイに傾き、ハンドルを右に切ってウポポイのある白老方面に南下することにしました。例によって朝早く出発していますから、この日がGWの最中でいくら混雑するとしても開場前に到着すれば問題
厚沢部の道の駅を出発してまず向かったのは前日通り過ぎて来た江差です。 江差といえばかつて鰊漁で栄えた町ですから繁栄をしのばせるものが残っているでしょうし、それにせっかく江差へ来たのなら好物のにしんそばを食べずには通り過ぎられない気もしていたのですが、前日は蕎麦屋が軒並み閉まっていたのです。 にしんそばは、にしんの干物である身欠きにしんを甘露煮にしてそばに乗せたもので、京都が有名ですが、水揚げ地の北海道でも昔から食べられていたのだそうです。 まだ朝早くて、街のメイン通りも静まり返っていましたので、まずは港に復元されている江戸幕府の軍艦「開陽丸」を見に行きました。ここも内部は時間外で入れませんでしたが、思ったより大きく立派な軍艦でした。 その後昔の街並みのイメージを復元した街の中心部をぶらぶら歩き、丘の上の資料館にも行ってみました。古い家並みを維持保存しているのは勿論ですが、新しい建物でも新聞
夜中には満車状態だった道の駅なないろななおの駐車場は、私が7時前に目覚めた時には既にかなりのクルマが出発していて、代わりに行楽途中でトイレを利用するクルマが入れ替わり立ち寄っていました。長居は迷惑でしょうから私も早々に出発することにしました。 まずこの日最初の目的地は函館公園の桜です。一大観光地函館の名を冠する函館公園ですが意外とマイナーな感じで、訪れるのも地元の家族連れが多い印象でした。まだ朝8時前で露店とかも閉まっていましたから人も少なく、函館山の麓にある公園内をゆっくり散策できました。 公園前が終点となる市電は、以前ブラタモリで紹介されていて、カルデラが陥没してできた噴火湾の最深部にその停留所があると知って、タモリが興奮していたのを憶えています。 函館公園を出て、次は松前に向かう積りだったのですが、前日登り損ねた五稜郭タワーがやはり気になります。朝は9時から営業開始でしたから丁度良い
前日は、大洗発苫小牧行きのフェリーに当日キャンセル待ちで運良く乗船できることになりました。18時間弱船内で過ごすことになりますから、乗船後はすぐ風呂に入り、夕食を食べたら後は船内でのんびりです。 風呂とレストランのどちらが混雑するか考えて風呂を優先したのですが、どうもこれは失敗だったようです。風呂から上がってレストランに行ってみると結構な行列が出来ており、しかもバイキング形式の夕食ですから回転がとても遅く、席に着くまでにかなり時間が掛かってしまいました。先にチケットを買っていなければ諦めて帰ったと思います。その後は、ベッド周辺の物音で安眠できなかったのが想定外でしたが、おおむね快適な船旅でした。 苫小牧港入港は13時半の予定でしたが、私が下船完了したのは14時、あわよくば苫小牧港近くのマルトマ食堂でホッキ貝料理を食べようと思っていたのですが、マルトマ食堂は早朝から14時までの営業ですからそ
色々迷っていた桜旅の後半戦ですが、結局北海道だけでも今年回ってしまおうと決めました。 不在期間にできないことをまとめて処理する期間として、西日本編と東日本編の間に2週間確保していたのですが、その日はちょうど九州へ向けて出発した日の1か月後でした。ただ当日は15時に都内の検診機関で検査の予約があって、出発はその後となりますから、準備を整えたハイエースで都内に向かい、検査が終わったら都内から直接旅立つ段取りにしました。 検査の前に時間があったので麻布台ヒルズ周辺を散歩したのですが、前回に比べてヒルズ周辺の施設がかなり完成に近づいており、観光客も相当多かったです。間違いなく都内の新名所ですね。 当初東日本編は東北から北海道を一気に回る予定でしたから、当然関東から陸路を北上する積りだったのですが、東北の桜がほぼ散ってしまった今となっては、西日本編で中部・関西・四国を九州までの通過点として走り抜けた
前夜は島根県安来の道の駅で車中泊したのですが、安来市は島根県の東端なので、1kmも行かない内に鳥取県米子市となります。 この日は米子城址公園からのスタートでしたが、例によって早朝ですから園内は人影もまばらで静かでした。 公園に面した中海では可愛い女子高生がボート競技の朝練をしていて、岸には大きなアクションと大声で熱血指導中の中年男性。それ以上いくとパワハラと言われるよと余計な心配をしてしまいましたが、考えてみれば距離のある岸からの指導ですから大きな身振り・大声は当たり前ですし、沖でそれを聞く女の子たちも、爽やかな笑顔で「は~い!」と明るく返事。全く心配いらなそうです。 そこからは「ベタ踏み坂」として有名な江島大橋に行って見ることにしました。米子市の北にある境港市から島根県の松江市に架かる橋ですが、境港は「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な「水木しげる」の出身地ですのでちょっと寄り道です。我々の世代に
桜旅も12日目となり、中国地方でも満開に近いところが多くなって来て、毎日が眼福です。ここからは鳥取に抜けて丹後・若狭というあまり行ったことのない地域から北陸を回って帰ろうと思います。 その前に、ここ福山SAからも近い鞆の浦に行きます。小さい頃祖母に連れられて来たようなのですが、記憶が定かではありません。ただ、帰りに乗った福山港から香川県の多度津港までの定期航路(当時は瀬戸内海にはこういった定期航路が沢山ありました。)で、その船の船長だか航海士だかが、たまたま祖母の教え子であり、偶然を喜んで一室しかない特等室を使わせてくれたことだけはよく覚えています。今なら服務規律違反だの何だのでうるさいことになるでしょうが、昭和のおおらかな時代の話です。 福山SAから福山東ICまで進んで高速を降りれば、30分程で鞆の浦に着きます。駐車場にクルマを停め損ねて昔の街並みの中に入り込んでしまい、引き返すのも面倒
桜旅11日目は広島市内のホテルで目覚めました。久しぶりのホテル泊ですっきりですが、この日は半日リモートで仕事です。 その後、呉・江田島、そして尾道あたりに行きたかったですから、呉市の広というところまで移動して、そこのイオンで買い物をし、そのまま駐車場を使わせていただくことにしました。 予定より早く13時頃に仕事は片付きましたので、そこから呉観光ですが、大和ミュージアム等は以前バイクツーリングの時に行っていますので、この日は呉の市街地ではなく、音戸の瀬戸に行って見ることにしました。 昼ご飯がまだでしたので、音戸大橋の近くにあった会館で海鮮丼を頼んだのですがこれが大失敗。すし飯が旨く炊きあがっていなくて芯が残った硬いコメでした。すし飯は硬めとは聞きますが、芯のあるコメはご遠慮申し上げたいです。決してグルメではない私があえて書くくらいですから、、。 見た瞬間はとても美味しそうだったのですが、、
山口市の郊外にある「道の駅仁保の郷」を出発して向かったのは津和野です。山口県ではなく島根県なのですが、これまで一度も行ったことが無く、地理的にも近かったのでまずここを訪れることにしました。 起きてすぐ宿泊お断りとの貼り紙を見つけたことで、道の駅でゆっくりする気分ではなくなり早々に出発しましたから、津和野に着いたのも早く、おかげで静かな中を散策できました。気温は6℃とかなり冷え込んでいましたが、、。 ここからまた山口県に戻り、岩国市の錦帯橋に行くために国道187号線を走っている時に、「日本の棚田百選 大井谷(おおいだに)棚田」という看板を見つけて立ち寄ってみたのですが、途中の渓流もきれいでしたし、棚田も美しく石垣が組まれた見事なものでした。 沿道には他にも絵になる桜が沢山あったのですが、いちいちクルマを停めていたらいつまでたっても先に進めないですし、また停められないところの方が多いです。 錦
この日は佐賀県唐津市の「道の駅厳木」を出発して、福岡県の桜見物に向かいました。夜通し降っていた雨も上がり、観光には快適な春の一日となって、まずは久留米市の発心(ほっしん)公園です。途中吉野ケ里遺跡のそばを通過したのですが、朝早すぎてまだ開いていませんでした。昨夏の東北ハイエース旅では青森の三内丸山遺跡に行きそびれており、行けるときに行っておかないとチャンスを逃し続けますね。 発心公園は、久留米市東方の山裾にある公園で、歴代藩主の花見の場所でもあったそうです。この日ソメイヨシノはほぼ満開でしたが、早朝ですから殆ど人けはなく、のんびり散策できました。園内には久留米を訪れた時に立ち寄ったという夏目漱石の歌碑もありました。 発心公園を出て、ハイエースを北へ走らせ、次は朝倉郡筑前町の草場川の桜並木を目指しました。発心公園で舞った桜の花びらがハイエースのフロントガラスにくっついていましたので、信号待ち
福岡県大木町の道の駅おおきを出発して、この日は佐賀県に入り鹿島市の旭ヶ岡公園が最初の目的地です。開花状況と、佐賀市などの大きな街以外で選んだのですが、佐賀県三大桜の一つともいわれているんだそうで、確かに見事な桜でした。 この日は朝からずっと有明海を左手に走っていることが地図ではわかっていたのですが目視は出来ず、途中赤信号で止まった交差点がたまたま有明干拓入口というところでしたから、有明海を見に行くことにしました。海岸線はそこから3kmも先で、途中にはむつごろうCCというユニークな名前のゴルフ場もありました。干拓後にできたのでしょうが、どこにあるのか一発でわかる名前ですね。有明海は波一つなく穏やかでしたが、漁港には人の姿もありませんでした。 鹿島市はここからはもうすぐで、旭ケ丘公園は佐賀藩の支藩であった鹿島藩の城跡に作られた公園です。城郭は残っていませんが中々立派な城構えで、東大の赤門のよう
「道の駅つの」で目覚めてみると、隣には都農神社という大きな神社があり、日向国一の宮だとのことです。これは行って見ねばと出発前にお参りして来ることにしました。千葉でも安房・上総・下総の一の宮には行っていますし、全国の一の宮巡りというのも面白いかも知れません。一体全国にはいくつあるのかと調べてみると、日本の旧国の数が68国なのに対し、一の宮は90社以上あるのだそうです。これは一国に2~5社の一の宮を置く国が複数あるためで、そういえば千葉の安房国にも安房神社と洲崎神社という2つの一の宮があります。 まだ6時過ぎと早い時間でしたので、私以外はハーレーで訪れた男性が一人居るだけで、境内は静まり返っていました。境内の一画には御神象という象の形の木が安置されていて、そこに浮き出たハートマークをなでると夫婦円満、恋愛成就のご利益があるんだそうですが、ハートマークを恋愛のシンボルと認識したのは何時頃からなん
桜旅2日目の夜は行ったり来たりして、結局愛知県田原市の市街地にある「道の駅田原めっくんはうす」で車中泊しました。着いたのが20時半過ぎで、就寝態勢に入ったのは日付が変わる頃でしたから、この日目覚めたのは7時頃でした。夜中トイレに起きたときには左右のスペースも埋まっていたのですが、既に両隣とも出発していて、駐車場はガラガラ、しかし私はそこからまたのんびりシリアルとコーヒーの朝食を車内で食べて、8時頃ようやく出発しました。 8時10分伊良湖発の第1便には既に間に合いませんでしたが、第2便は9時30分ですから少し余裕がありました。そこで前日行ったり来たりした際に気になっていた菜の花畑に寄ってからフェリー乗り場に行くことにしました。桜旅なのですが最初の見物は菜の花です。海岸のすぐそばだったのですが、この日は風はまだ強いもののとても良い天気になり、太平洋がとてもきれいでした。 伊良湖から鳥羽までのフ
桜旅2日目は、静岡県の道の駅富士川楽座で目覚めました。前夜は22時には寝て5時頃まで割と熟睡できました。夜通し結構激しい雨が降っていたのですが、立体駐車場の1階に停めましたので雨の音も気になりませんでした。 ハイエースの窓にはサンシェードを貼って目隠しとするのですが、計8枚の窓への脱着は結構面倒で、後方確認の邪魔にならない後部3枚はつけっぱなし、運転席・助手席の前部3枚は貼るのをやめ、写真のような仕切りカーテンを吊るすことにしました。これで車中泊態勢に入るのもずいぶん楽になりました。また今回から車内照明としてLEDテープを使うことにしたのですが、これがなかなか使い勝手が良く満足しています。これまではLEDランタンを使っていたのですが、車内全体を万遍無く照らせるようになりました。 この日はここで14時頃までリモート業務の予定でしたが、10時の業務開始までにはずいぶん時間があります。 というこ
これまで何度か通っている、千葉県西部の街松戸市の八柱にある「喫茶たかなし」にモーニングセットを食べに行って来ました。 半年ほど前にその存在を知り、その時は、もっと近くにあったら何度でも通うのにと思ったのですが、近くでもないのにわざわざ通うようになっています。 この日は朝からあいにくの雨で、土曜日でもありましたので近辺の生活道路はどこも結構な渋滞でした。そこをおして出掛けるのですから我々夫婦もかなり好き者です。 家を出てすぐに渋滞につかまり諦めモードだったところに後ろから救急車のサイレンが聞こえてきました。片側一車線の狭い道路で、退避しようにもほんの50cmから1m脇に寄れれば御の字という状態ですからどうするのかなと思っていると、サイレンを鳴らしながら反対車線を逆行して行きました。確かにそれしか方法が無いとは言え、救急隊員の方も怖いでしょうね。 そしてこの緊急車両の優先通行に出会う度に妻は、
元ブルーハーツ、現クロマニヨンズの甲本ヒロトの発言としてネットに出回っている言葉があります。真偽は不明らしいのですが、いかにも彼が言いそうな内容なので多くの人に受け入れられているのだと思います。私も甲本ヒロトの発言として違和感なく受け入れられました。 以下そのまま引用します 「学校に居場所がないと悩んでいる子に言ってあげられることはありますか?」という質問に対して、 「居場所あるよ。席あるじゃん。そこに黙って座ってりゃいいんだよ。友達なんていなくて当たり前なんだから。友達じゃねえよ、クラスメイトなんて。たまたま同じ年に生まれた近所の奴が同じ部屋に集められただけじゃん。」 「趣味も違うのに友達になれるわけないじゃん。山手線に乗ってて、『はい、この車両全員仲よく友達ね』って言われても、『いや、偶然今一緒に乗ってるだけなんですけど』って。友達じゃねえよ。」 「ただ、友達じゃないけどさ、喧嘩せず自
タイトルには踵痛と書きましたが、辞書で調べても出て来ませんのでこんな熟語は無いのかも知れません。踵の痛みだということは字面でわかっていただけるでしょうが、踵の音読みが「しょう」らしいですから、読みは「しょうつう」となるんでしょうか? とにかく数日前に発症した踵の痛みがまだ引かなかったので、再度のツーリングチャレンジを目論んでいたこの日、あっさり予定を変更して表題の映画を見に行くことにしました。天気は良かったのですが、気温は低く冷たい風が吹き荒れていたことも理由です。旅に出る前に無理したくもありませんでしたし。 数日前ハイエースで横浜まで出かけた時は強風で運転が怖い程でしたが、この日もそれにも増して強い風が吹き荒れていましたのでPOLOで出掛ける事にしました。一般道でも国道16号や6号などの広い幹線道を走っているとPOLOの小さな車体でさえ横風を感じましたから、この日の方が風は強かったんだと
横浜馬車道近くの中華料理店で元の職場の年若い同僚たちと会食をしてきました。 昔は部下だった人たちですが、60歳の定年退職後一年契約で65歳まで働いた期間は上司部下の関係ではなくなっていましたから、それからは年齢・年次関係なく同僚と呼ぶことにしています。時々偉そうな顔がのぞいてしまい反省することもありますが。 数日前から踵痛が発生しており、この日もまだ痛みは残っていましたので、電車は止めてHIACEで出掛ける事にしました。横浜港界隈は休日には駐車場が混み合いますからその点は多少心配でしたが、探せば何とかなるだろうと考えました。 我が家から横浜に向かうには、横羽線か湾岸線を使うのですが海沿いでもあり横風が強いことが多いのと、首都圏の幹線道であり平均速度も速いので、HIACEよりはPOLOの方が運転は楽です。その2週前に横浜アリーナのBABYMETALライブに行った時は初日HIACE、二日目PO
周防柳と冲方丁という二人の作家の平安時代を描く小説を続けて読んだことで、登場人物である紀貫之、紫式部、清少納言の作品にも興味が湧き、若い頃からすれば何度目かのチャレンジですが、もう一度読んでみることにしました。 選んだのは、紀貫之の「土佐日記」、紫式部の「源氏物語」、清少納言の「枕草子」という定番どころで、何度目かのチャレンジと書いた通り、若い頃から何度かは読んだり読もうと努力したりした作品ばかりです。 源氏物語と枕草子は、田辺聖子の「新源氏物語」と田中重太郎訳注「現代語訳対照枕草子」という文庫をかなり前から持っているのですが、枕草子の方は現代語訳で読んでも文体がとても硬く、何度も跳ね返されて挫折したままです。田辺聖子版源氏物語の方はそれに懲りて田辺聖子の小説としての源氏物語から入って見ようと考え、一度は通読したのですが殆ど記憶に残っていません。 新源氏物語(上)(新潮文庫) 作者:田辺
年が明けてからも全く乗っていなかったバイク、この日は予定もなく天気予報も上々(好天気で気温も高い)でしたから、前日から久々に乗る気満々でした。 振り返ってみれば、昨年11月の中旬に昔の職場のライダー仲間から房総ツーリングに誘われたのが最後でしたから、実に4カ月も放置状態だったことになります。 この時は、折からの強風でアクアラインが通行止めとなり、都内・神奈川組が軒並み房総入りできずに、結果として私だけのソロツーリングとなったのでしたが、今回はその時に行った鴨川のカネシチ水産を目当てに出掛けようと考えていました。 www.boon-senior.com 前日は昼から北関東での仕事があり、新幹線で何事もなく帰宅したのですが、最寄駅から自宅まで歩き始めたところで、右足の踵付近に鈍い痛みを感じました。そんな大した痛みでもなく、歩くのに支障がある程でもなかったのでそのまま帰宅したのですが、家に着いて
ハイエースで桜旅に出掛ける準備もしなくてはいけないのですが、この日は朝方とても冷え込んだものの、上天気で気温も大分上がって来ましたので、昼ご飯を食べてから出掛けることにしました。 先日、南房総の鋸南町に頼朝桜という名前で親しまれている河津桜を見に行きましたが、自宅からそう遠くない八千代市にも新川千本桜という河津桜の名所があるという事を知り、桜旅対象のソメイヨシノではありませんが、前哨戦として行って見る気になったのです。 国道16号線沿いにある「道の駅やちよ」のそばから桜並木は始まっていて、16号線を走っていれば必ず目にしたはずなのですが、これまで気付いていませんでした。 皆さん道の駅の駐車場にクルマを停めて歩き始めていて、遊歩道そばのエリアはかなり混雑していましたが、運良く一番近い区画のクルマが出るところで、すぐに駐車できました。 この道の駅のそばを流れる新川は、正式名称が印旛放水路(いん
冲方丁の作品が続いていますが、今回読んだのは、前回の「月と日の妃」の姉妹編とでも呼べそうな「はなとゆめ」です。 前回、娘が子供の頃読んでいた「花とゆめ」という少女雑誌のイメージが強くて敬遠していたという事を書きましたが、今も昔もこんな表紙の雑誌ですから、いい歳をしたジジイが敬遠する気持ちはわかっていただけるかと。 しかも本作「はなとゆめ」の表紙もこんな感じです、、。 花とゆめ 2024年 3/5 号 [雑誌] 白泉社 Amazon はなとゆめ (角川文庫) 作者:冲方 丁 KADOKAWA Amazon 「月と日の妃」は、平安時代、一条天皇の中宮(皇后)だった藤原道長の娘彰子(しょうし)が主人公でその女房(侍女)として紫式部が登場しますが、この作品では彰子の前の中宮定子(藤原道長の兄道隆の娘)とその女房清少納言が主人公です。 両作品の違いは、「月と日の妃」はタイトル通り中宮彰子が主人公であ
永年の夢だった桜前線を追う旅が、いよいよ始まろうとしています。 現役の頃から、定年になって時間ができたら安いキャンピングカーを買って寝泊まりしながら桜を追いたいと妻にも話していて、昨年夏には足でありベースともなるハイエースを購入しました。 色々考えた末、本格的なキャンピングカーは諦めてシンプルに車中泊ができるだけの装備をしたワンボックスを使う事とし、手頃なハイエースを入手したのが昨年の8月、すぐ足慣らしの東北一周旅に出掛けて、色々な不具合・改善点も見つかりました。 その後、秋には祖母の墓参りと中学校の同窓会出席、奈良に住む友人宅訪問を兼ねて九州・四国・関西の旅も実行しましたので、予行演習は十分です。 2月になって早咲きのヒカンザクラ・寒緋桜・河津桜などの開花が始まり、徐々に気分は高まって来ていた、と言いたいところなのですが、何故かそこまでの高揚感はなく、意外と冷静なまま3月を迎えていました
先日東京国立博物館に「建立900年 特別展『中尊寺金色堂』」を観に行ってきたのですが、このきっかけとなったのがクルマの中で聞いているFM放送でした。最近まで車内ではスマホからAmazonMusicの音楽を流したり、radiko(ラジコ)というラジオアプリで音楽専門チャンネルを聞いていることが多かったのですが、それはラジオ番組での喋りがだんだん鬱陶しくなってきたからでした。 親のクルマに乗せられていた頃、車内で聞く音楽といえばカーラジオから流れる曲一択で、今は亡き忌野清志郎のRCサクセションが、スローバラードという曲で「カーラジオからスローバラード、、」と歌っていたとおりです。 それが私が免許を取った頃には8トラックという方式のカーステレオが登場しており、更にそれがカセットテープ方式に進化して、自分が好きな曲を車内に持ち込めるようになりました。レコードを友人たちと貸し借りしながらカセットテー
横浜アリーナで行われたBABYMETALライブの2日目です。 土日開催で、いつも2日目の日曜日は開演時間が1時間繰り上げられるのですが、これは遠方から参加する人が、翌週の出勤に支障が少ないようにとの配慮なのでしょうね。 ということでこの日は開場15時半、開演17時でしたが、前日は入場チェックで大混雑し開演が30分も遅れました。ただ後になって聞いてみれば、前日は一般席の開場は16時半だったのが20分以上遅れて17時前にやっと始まったのだそうで、それなら全てが後ろ倒しですから開演の遅れもやむを得なかったのかも知れません。その1時間(30分?)前に開場時刻が設定されていたVIP席は、人数も少ないですし混乱なく入れたのでしょうが。 前日のハイエースでは駐車場までの出入りが大変でしたのでこの日はPOLOで出掛けたのですが、全幅はむしろハイエースより広いかわりに全長が60cm以上短いPOLOなら狭い生
3月2、3日両日、横浜アリーナで開催されたBABYMETALのライブに行ってきました。先日Zepp羽田で行われたディレイビューイングに続いてのベビメタイベントで、妻も少々呆れ気味です。 いい歳をしたしたジジイが年若いガールズバンドの追っかけみたいなことして、、という気持ちはあるんでしょうし、それも理解はできるのですが、最近では更に「Lovebites」というこれまた女性5人組のヘビメタバンドにも嵌りつつあり、またまた呆れられる状態が加速しそうです。 それにしても、若い時にはヘヴィメタルをウルサイ・むさくるしい・様式美がくどい(ファンの方すみません!超個人的感想です。)、などと感じて全く興味を持たなかった私なのですが、べビメタから逆流して本家(?)のヘヴィメタルバンドもたまには聞くようになっていますから、彼女らがヘビメタの間口を広げたとも言えそうです。(カタカナで略して書くと、べビメタ、ヘビ
冲方丁の作品つながりで読み始めた「月と日の妃」は、全く予備知識もなかったのですが、偶然現在NHKの大河ドラマ「光る君へ」の主人公紫式部も登場する、藤原氏の栄華・権謀術数を描いた小説でした。 「光る君へ」には全く興味がなかったのですが、この小説を読んだおかげで、これからでも追っかけで見てみようかという気になってきました。 NHKプラスで2週間は見逃し再生ができるのですが、既に2カ月9話まで進んでいますから、NHKオンデマンドで有料視聴するしかないのでしょうか。 月と日の后(上) (PHP文芸文庫) 作者:冲方 丁 PHP研究所 Amazon 月と日の后(下) (PHP文芸文庫) 作者:冲方 丁 PHP研究所 Amazon また時代背景も、この前に読んだ周防柳の「逢坂の六人」と同じ平安朝で、主人公だった紀貫之の少し後、紫式部や清少納言の時代ということで、すんなり読み進めることが出来ました。 主
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