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神戸・教員間いじめ事件の衝撃 2019年10月、教員による教員「いじめ」が大きく報道された。舞台は神戸市立東須磨小学校。インフォーマルな権力を掌握した教員グループが、他の教員たちを習慣的に辱め、暴力を振るい、奴隷化し、そのことを楽しんでいた。 被害教員を恥辱にまみれさせる嗜虐あそびの数々は、奴隷プレイともいうべきしかたで、生きることのすべてをきめ細かく「わがもの」につくりかえようとするものであり、全人的な教育・指導(人格支配)の創意に満ちていた。 またそれは、職場を加害教員グループを中心とするお祭り騒ぎで埋め尽くす、政治的な空間占拠の営みでもある。彼らは、ここはオレたちを中心とした祭りで埋め尽くされた世界であるという「現実」をつくりあげ、逆らうことはできないぞと他人を畏怖させ、支配を確かなものにする。 被害教員を(それが人間だからこそ)人間以下の存在に変形させるお祭り騒ぎによって、あそびの
最近、また「いじめ」が大きなニュースとなっている。なぜいまだに根本的な解決にいたっていないのだろうか。 いじめは1980年代なかば以降、人びとの関心をひく社会問題になったが、いじめ対策は効果をあげていない。 それは、学校に関する異常な「あたりまえ」の感覚が一般大衆に根強く浸透してしまっているからである。マス・メディアや政府、地方公共団体、学校関係者、教育委員会(教委)、教育学者や評論家や芸能人たちがでたらめな現状認識と対策をまき散らし、一般大衆がそれを信じ込んでしまうためでもある。 私たちが学校に関して「あたりまえ」と思っていることが、市民社会のあたりまえの良識を破壊してしまう。この学校の「あたりまえ」が、いじめを蔓延させ、エスカレートさせる環境要因となっているのだ。 (※本稿は現代ビジネス編『日本の死角』を一部再編集の上、紹介しています)
日本社会を根本的に組み換える 新型コロナウィルスは、放置すると社会に大量死をもたらす可能性が大きい。それは、いわば、そうしなければものすごい数の人が死ぬぞという恐怖によって、人々の行動様式と社会を変えることを要求している。 すなわち、感染を避けるために、人と人が肉体的に接触するのを避ける。非接触というしかたで産業や公共サービスをたちあげる。非接触の原理で社会を組み立てなおす。 それに対し筆者は次のことを提言する。 新型コロナが強いる非接触の原理による社会の組立てなおしを、これから述べる(1)経済縮小(2)低い生産性(3)中間集団全体主義の3つを克服して望ましい日本社会をつくりあげるための、社会システムの根本的な組み換えに転化する。
生きものたちが独自の進化を遂げてきた島に、突然ネコがやってきた。ネコとは何か? 正体がつかめないうちに、丸々ふとった飛べない鳥たちは次々と殺されていった。それでも鳥たちは生活習慣を変えようとせず、書類に印鑑を押すためにネコがうようよいる電車にのるとか、会議で座ったり居眠りをしたりするためにネコのいるブルシットジョブズの森に出かけるといったことを繰り返していた。 こうして絶滅した鳥のことを、後世の生物学者はアホウドリと命名した。 わたしたちは、アホウドリにならないよう気をつけなければならない。 逆に、ネコを跳ね板にしてとび上がるリコウドリになろう。ネコから生き延びることと繁栄することを、一石二鳥にして、空高く飛ぼう。 新型コロナについてわかっていること 新型コロナウィルスが突然あらわれた。そして地球上にひろがった。最初は濃厚飛沫を吸い込むか、飛沫がついた手で口や鼻を触ることによって感染し、一
学校とはどのような場所なのか、いじめはなぜ蔓延してしまうのか。学校や社会からいまだ苦しみが消えない理由とは。 いじめ研究の第一人者によるロングセラー『いじめの構造』で平易に分析される、学校でのいじめ問題の本質――。 「よい」は「みんな」のノリにかなっていること 小社会では独特の「よい」と「悪い」が成立している。彼らは、自分たちなりの独自の「よい」「悪い」に、大きな自信と自負を持っている。それは、きわめて首尾一貫したものだ。 この倫理秩序に従えば、「よい」とは、「みんな」のノリにかなっている、と感じられることだ。 いじめは、そのときそのときの「みんな」の気持ちが動いて生じた「よい」ことだ。いじめは、われわれが「いま・ここ」でつながっているかぎり、おおいにやるべき「よい」行為である。いじめで人を死に追い込む者は、「自分たちなり」の秩序に従ったまでのことだ。 大勢への同調は「よい」。ノリがいいこ
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