オルト @oooooooorrt 友人から教えて貰った名大消化器外科作成の名古屋飯ガイドのクオリティが高過ぎて笑った。外科学会に合わせて1回限りになるのもなんなので、勝手ながら有効活用しよう jp.jssoc.or.jp/jss124/kodelin… 2024-04-10 16:48:48
増田32歳、夫33歳。長女3歳。 夫曰く、「友達と言える人が人生で一人もいたことがない」らしい。 夫と出会ったのは婚活サービスで、わりと早いうちからそう漏らしていたんだけど、話半分に流してしまっていた。 私だって友達が多い方ではないけれど、友達の支えみたいなのを一切なく生きてきた人がいるなんて信じられなかった。 でも結婚式のときに「家族と親戚以外に呼べる人が一人もいない」と言って、ご両親と祖父母、弟さん、叔父さん夫婦の7名が最大人数だった。 私は地元の友達も呼びたかったし、夫も別にいいよと言っていたけど、流石にバランスが悪すぎるので結局うちの方も親戚だけを呼んだ。 私は他県から大学進学を機に定住したけれど、夫は地元生まれ地元育ち。結婚してから夫の実家から数キロ程度の場所でアパート暮らし。 地元の友達がいてもよさそうなものだけど、少なくとも自分と出会ってから以降の6~7年で、夫が友達と出かけ
さて本稿は与太話にしてはそれなりに真面目な話で私としてはかなり気にしているトピックなのであるが、男性として30代以降の交流関係・友人関係というのはどのように構築して、またどのように維持していくのかについて考えていることを述べていきたい。このnoteは基本的に全て無料で読むことができる。最後に投げ銭の欄を置いておくので(200円)、支援したい人は課金してもらえるとありがたいが、そもそもマガジンに加入している人はそこも見ることができる。 1. 親友の話からまず話すと教養のnoteを読んでくれれば私の半生については多少のことが書かれているのであるが、私自体は1980年代生まれの人間である。2000年代(以後00年代)の前半に大学生を経験し、00年代後半に大学院生を博士課程まで経た後に今に至るまで分子生物学者として研究者の職業に就いている。 私は色々な友人が実際には複数いるのだが、その中でも特
今卒業して働いてるんだけど大学の時同じグループだった友達が裕福で金持ってて嫉妬で死にそうなので助けてほしい。 都内の偏差値はそんなに高くない(50-60)女子大に通ってた。6人仲良しグループだった。 女子大で学科が同じだと大体時間割も同じだから6人でほぼ同じ授業受けてて、昼ご飯とかも一緒に食べてた。 その子は地方から上京してきた子で普通に明るくて顔もかわいかった。乃木坂?けやき坂?とかのアイドルが好きみたいで雰囲気と合ってて納得した。 その子は嫌な子じゃないしグループの子たちとも楽しくやってた。グループみんなで遊んだ時も一人3500くらいの飯屋行ってカラオケに行くくらいで、金持ち自慢したりひけらかしたりはされてない。 コロナの前は休みのたびに海外行ったり、かばんとかピアスとかブランドものだったから家が金持ちなのは察してた。その子の地元に遊びに行った子が写真を見せてくれたが大豪邸だった。でも
昨日公開されたMVの広告費用として10万円は使用される。 友人としての贔屓目はあるが、それでも良いMVに仕上がっていると思う。 もし将来そのバンドが売れたら俺が100%出資者だったんだぜと自慢ができる、楽しみだ。 友人であるAとは中学の頃からの付き合いで、そろそろ15年くらいになる。 正直、俺とAは中学ではパッとしない人間で、同じ野球部に入っていたが大して活躍することはなく、顔もそこまで良くはなく、当然モテるなんてこともなくて、まぁスクールカースト最底辺一歩手前ってところの立ち位置だった。 中学3年の夏を都大会2回戦敗退とかで特に感慨もなく終わり、さぁ高校はどこに行こうかと考えていたところ、Aが高校でバンドやろうぜと俺を誘ってくれた。 Aがバンドに興味を持っていたなんてことを全く知らなかった俺は、なんでバンドやるんだ?とAに聞いたところ、Aは「バンドやってたら格好いいから。俺は格好よくなり
自分のことです。 まとめ・目的がないと雑談できない人は、情緒的な絆を基盤とする信頼ではなく、能力や貢献に基づく信頼を重視している ・自分に対しても同じように評価しているので、自分が「役に立たない」という認識に耐えられずに老害になるのでは? 目的がないと雑談できない人特徴 ・友達がいない ・目的がない飲み会などで、楽しくお話ができない ・褒められても、自分が納得できる褒められ方でなければ意味を感じない 自分のことです。でも他にもいるのでは??「認知的信頼」と「情緒的信頼」「目的がないと雑談できない人」は「認知的信頼」に偏っている人なのだろう。神谷さんに教えてもらった。 情緒的信頼・・・相手の幸福・繁栄 に対する気遣いや関心に基づいた個人間の情緒的な絆を基盤とする信頼 認知的信頼・・・相手の有能さや責任感などの特性に関する認知に基づく信頼 職場における情緒的・認知的信頼尺度日本語版の作成と 信
「本当のぼっちなので学食で一人で食ってるww」→「エンカ!🍻」 「弱者男性なので女に一人も相手にされない」→体面に女性がいるカフェの写真 「ブルーアーカイブしかやってない」→「友達と大会出てXXX入った!」 ネットでこういうこと言ってる人、みんな普通の人間だな こういうの見ると苦しくなる、俺には本当に友達がいないから 俺も友達作ろうとしたんだけど全くできない 中学2年生以降友達が1人もできなかった 通話界隈で友達を作ろうとしていた時(18歳ごろ)ほとんど数分で切断され、誰とも仲良くなれない 本当に何もなかったのでエピソードがないが、5chで1回だけ晒されていた(しかも晒しすら誰にもレスされていなかった!) ゲームのフレンドを作ろうとした時(19-21歳ごろ)自分はゲームのパーティー募集に参加して友達を作ろうとしていた、何度か募集に応じて何とか通話に漕ぎつける その後2回ほど通話してゲーム
私美大の大学生で、学費は奨学金なしで払ってもらえるくらいの家庭。中受して私立の中高一貫の女子校通ってた身だけど、中高の友人と大学の友人、あまりに金銭感覚や家庭状況違いすぎて、どこにも自分の置く場所がなくなってる。社会的階層の上にいるんだなって、強く感じてしまわざるを得なかった。 中高では海外旅行行くのは珍しくない話だし、大学になってからも(コロナ禍にも関わらず)年に何回も行く人を何人も見かける。ランチは1000円以上は普通に出すし、1500円くらいのもまあ出す感じ。みんなMARCH以上くらいにいて、ザ・私文ライフを謳歌してる。サークルの飲みやら、ゼミ合宿で男女入り混じって陽キャなお金持ち集団な感じ。自分の中の卑屈なおじさん心が社会的階層の上だなあ、みんなお金に困ってないでバンバン旅行行ってほんとよかったねえとネチネチ言いたくなる。非モテすぎて男女のワイワイにすごいコンプ持ってるからもある。
ありがたいことにGWは10連休だったのだが その終盤に来て友人という概念の難しさに直面している --- 自分の友人はどちらかというと「人が良い」感じの人が多い そういう人が好きだし、そういう人と遊ぶのが好きだから、結果的にそうなっている もっと言うと、みな知り合った当初は「人が良い」且つ「趣味が同じ」ような人たちだったんだけれど 趣味というのは移り変わるものであるから、いまはもうみな「趣味が同じ」とは言い難い状態になってしまっている なおここで言う趣味とは、趣味嗜好の話ではなく、 ホビーであるとか遊びであるとか、そういう話である また彼らは人が良いため、移り変わった先の趣味でまた新たな友人を見つけ、 それぞれによい感じのコミュニティを形成している これ自体はまあ、いいなー羨ましいなーとは思うが、取り立てて問題にするほどではない --- そして次に語るべきは自分についてである(いま隙が生まれ
はい。 何人か友達らしきものを作りましたが、結局ぼっちになりました。それも当然のことで、こちらから一切誘わないのだから、相手が飽きたら関係は当然切れるのです。 過去問がないと留年してしまうため、とりあえずサークルに入ろうと思うのですが、気力が出ません。大学生になってからの3ヶ月でもう人間関係にすこし疲れている自分がいます。 自分は友達を作ることを諦めたほうが良いのでしょうか?しかしコミュ力がなければ就活で詰んでしまいます。ぼっちに社会は厳しいものです。友達は作れなくとも、ネットでコミュ力をつけたり、習い事をしたり、何らかの集まりに行ったりしたほうが良いのかもしれません。 やるべきことばかり増えて、やりたいことが見つかりません。死ねばこのやるべきことをしなくて良いと思うと死にたくなります。いや、やっぱ嘘、やりたいことは本当はあるけどやるべきことがノイズになってやれないの方が正しいな、死にたい
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