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墓誌の検索結果1 - 7 件 / 7件

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墓誌に関するエントリは7件あります。 歴史history考古 などが関連タグです。 人気エントリには 『中国の唐の時代の墓誌 日本から渡った吉備真備が書いたものか | NHKニュース』などがあります。
  • 中国の唐の時代の墓誌 日本から渡った吉備真備が書いたものか | NHKニュース

    中国で発見された唐の時代の官僚の墓石に刻まれた墓誌が、当時、唐に渡っていた吉備真備によって書かれたとみられることが分かりました。専門家は、吉備真備が書いた文字は日本国内でも見つかっていないとして、貴重な発見だと注目しています。 25日、北京で公開されたのは、中国の唐の時代の官僚で、遣唐使など外国からの使節の受け入れを担っていた李訓という人物の墓石に刻まれていた328文字の墓誌です。 墓誌は、6年前に河南省洛陽で見つかり、李訓の生前の経歴などが記されていて、文章の最後に「日本国朝臣備書」と刻まれていました。墓誌を発見した広東省深※センにある博物館の閻焔館長によりますと、日本の「朝臣備」という人物が書いたことを意味し、文字が書かれた年代から、「朝臣備」は遣唐使とともに留学生として唐に渡っていた吉備真備を指すとみられるということです。 吉備真備は、奈良時代に2度にわたって唐に渡り、当時の中国の政

      中国の唐の時代の墓誌 日本から渡った吉備真備が書いたものか | NHKニュース
    • 吉備真備筆?の墓誌、中国で発見 留学中書かれた可能性:朝日新聞デジタル

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        吉備真備筆?の墓誌、中国で発見 留学中書かれた可能性:朝日新聞デジタル
      • 「明史」編さん者の墓誌見つかる 河北省滄州市

        明かりを照らして墓誌を確認する滄州博物館の職員(2022年4月15日撮影)。(c)Xinhua News 【4月26日 Xinhua News】中国河北省(Hebei)の滄州市(Cangzhou)博物館は、市民から寄贈された墓誌が、清代に明王朝の正史「明史」の編さんに関わった学者のものであることを調査により確認したと明らかにした。墓誌に記載された被葬者の名は呂修祉(Lv Xiuzhi)で、明の天啓元(1621)年に「挙人(科挙の地方試験『郷試』の合格者)」、清初に科挙の「榜眼(ぼうがん、次席及第者)」となり、弘文院で編集者として「明史」の編さんに携わった。 同博物館の王瑋(Wang Wei)副館長によると、墓誌は蓋石(ふたいし)と誌石の二つからなる。一辺の長さはいずれも88センチの正方形で、厚さは蓋石が16センチ、誌石が18センチ。青石製で文字が篆刻(てんこく)されている。刻字は小さく、彫

          「明史」編さん者の墓誌見つかる 河北省滄州市
        • 【THE古墳】太安萬侶の墓誌に幻の文字 発掘から33年後の発見

          太安萬侶の墓誌の3次元計測CG画像。銅板に彫られた文字の左側から毛筆の跡(赤い部分)が見つかった。左の写真の「萬」の左側に毛筆跡のわずかな盛り上がりが確認できる(奈良県立橿原考古学研究所付属博物館提供)研究に終わりはない-。古代史ならではの謎解きのロマンを実感させたのが、古事記を編纂(へんさん)した太安萬侶(おおのやすまろ)の墓誌だった。昭和54年の発見以来、多くの研究がなされ、「もう新発見はないだろう」ともみられていたが、予想もしない幻の文字が見つかった。712年の古事記編纂から1300年にあたる平成24(2012)年、レーザー光による3次元測量で、肉眼では全く見えなかった「安萬侶」の毛筆の文字が浮かび上がった。来年は安萬侶の死去(723年)から1300年。再びメモリアルイヤーを迎える。

            【THE古墳】太安萬侶の墓誌に幻の文字 発掘から33年後の発見
          • 吉備真備の筆跡か?中国留学中の墓誌発見! - 暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ

            今年も残すところあとわずか。 昨日で仕事納めの方も多いでしょう。 普段忙しい方は、今日から新年のための準備ですね。 そんな暮れも押し迫った中、歴史好きを喜ばせるニュースが飛び込んできました。 なんと、奈良時代の遣唐使吉備真備の筆跡が中国で発見されたことが26日わかりました。 今日はそのニュースに絡み、吉備真備についてお話したいと思います。 目次 中国で見つかった吉備真備の筆跡 吉備真備っていつの時代の人? 遣唐使として活躍した吉備真備 吉備真備の遣唐使からの帰国後の活躍 頭脳ハ身ヲタスク おまけ~生後2か月のネコ子ちゃん 中国で見つかった吉備真備の筆跡 奈良時代の高級官僚で政権中枢で政務を執り、2度も遣唐使として唐に渡った吉備真備(きびのまきび)が筆をとったとみられる墓誌(ぼし)(死者の簡単な伝記)が、中国国内でみつかった。所蔵する博物館などが25日、北京で発表した。8世紀前半に真備が留学

              吉備真備の筆跡か?中国留学中の墓誌発見! - 暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ
            • 唐代の墓誌銘見つかる 1337年の歴史 中国河北省

              【11月14日 Xinhua News】中国河北省(Hebei)邢台市(Xingtai)臨西県(Linxi)搖鞍鎮(Yaoan)の郷楊黄営村でこのほど、唐代永淳元年(紀元682年)の墓誌銘が農地を整備をしていた村民によって発見された。1337年前のものとみられる。同県の歴史・文化専門家は銘文から、三国志で有名な軍師、沮授(Ju Shou)の子孫のものと判断した。 文献資料によると、沮授は後漢末期の名武将、袁紹(Yuan Shao)の幕下にいた軍師。袁紹の配下で青州、并州、幽州を奪取し、河北を統一した。「官渡の戦い」で大敗を喫した後、曹操軍の捕虜となった。その後、河北への脱走を図ったため処刑されたという。 墓誌は青石製の正方形で蓋はなく、47センチ四方、厚さ12センチ。銘文は19行、405字から成る。「行楷」(行書と楷書の中間の書体)で刻まれた文字は滑らかさと流暢さ、および優雅さと力強さを備

                唐代の墓誌銘見つかる 1337年の歴史 中国河北省
              • 唐代の書家・顔真卿の筆による墓誌、陝西省で発見

                【11月16日 Xinhua News】中国陝西省(Shaanxi)考古研究院秦都咸陽城考古チームは13日、同省西安市(Xi’an)西咸新区にある秦漢新城を調査した結果、隋唐時代の貴族である元氏一族の墓とともに、唐代の書家、顔真卿(Yan Zhenqing)の筆による墓誌が見つかったことを明らかにした。 墓誌は元大謙(Yuan Daqian)、羅婉順(Luo Wanshun)夫妻の合葬墓から出土した羅婉順のもので、中国国内で唯一、科学的な発掘調査で見つかった顔真卿の初期の筆跡となる。 考古チームは今年6月から、秦漢新城龔東(きょうとう)村にある漢~唐代の墓の発掘調査を実施。隋唐時代の墓が多数出土し、元氏一族の墓3基と墓誌4点を確認した。 顔真卿の筆による墓誌は、上の蓋石と下の誌石がいずれも51・4センチ四方で、花や草、四神の線刻で縁取られた蓋石の上面には篆書体(てんしょたい)16文字が、誌

                  唐代の書家・顔真卿の筆による墓誌、陝西省で発見
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