このように地元での理解が不十分なままでは、資金集めも思うように進まず、増資が必要になった際も、沿線割り当て分の出資交渉が難航した。そうこうするうちに1918年4月、北武鉄道の敷設免許は失効してしまう。 それでも、北武鉄道は解散することなく再出願を目指すが、ここで状況に大きな変化が生じた。それまで北武鉄道計画に対して距離を置いていた秩父鉄道が出資を言明したのだ。1919年3月6日付「国民新聞」に、次の記事がある。 「秩父鉄道が極めて冷静の態度に出で同問題(注:北武鉄道建設)の渦中に入る事を絶対的に回避し来れるが今度の新運動(注:再出願)に向つては秩父会社の幹部が公然同鉄道布設の有利有望なるを言明し相当株引受を約するに至りたる」