新聞、ラジオ、報道映画による総礼賛! 〈神鷲の忠烈 萬世に燦(さん)たり 神風特別攻撃隊 敷島隊員 敵艦隊を捕捉し(スルアン島海域) 必死必中の體當(たいあた)り〉 ――これは、太平洋戦争末期、爆弾を搭載した飛行機もろとも敵艦に体当りする「神風特攻隊」のニュースを報じた、昭和19(1944)年10月29日の朝日新聞(東京本社版)の一面トップ記事の見出しである。 10月28日午後5時のラジオニュースで、特攻隊の体当り攻撃が初めて公表されるや、29日、新聞各紙は、一面のほとんどを割いて、フィリピンで出撃し、10月25日に敵艦に体当りした関行男(せき ゆきお)大尉以下、神風特別攻撃隊(特攻隊)敷島隊の初戦果を報じた。 フィリピンで、基地航空部隊である第一航空艦隊(一航艦)司令長官として着任したばかりの大西瀧治郎中将によって特攻隊が編成されたのは、昭和19年10月20日。「敷島隊」「大和隊」「朝日