元日も源氏は外出の要がなかったから 長閑《のどか》であった。 良房《よしふさ》の大臣の賜わった古例で、 七日の白馬《あおうま》が二条の院へ引かれて来た。 宮中どおりに行なわれた荘重な式であった。 二月二十幾日に朱雀《すざく》院へ行幸があった。 桜の盛りにはまだなっていなかったが、 三月は母后の御忌月《おんきづき》であったから、 この月が選ばれたのである。 早咲きの桜は咲いていて、 春のながめはもう美しかった。 お迎えになる院のほうでもいろいろの御準備があった。 行幸の供奉《ぐぶ》をする顕官も親王方も その日の服装などに苦心を払っておいでになった。 その人たちは皆青色の下に桜襲《さくらがさね》を用いた。 帝は赤色の御服であった。 お召しがあって源氏の大臣が参院した。 同じ赤色を着ているのであったから、 帝と同じものと見えて、 源氏の美貌《びぼう》が輝いた。 御宴席に出た人々の様子も態度も 非